20年ぶりの豊陽中学の同窓会。台風の接近中、3次会まで。

豊陽中学の同窓会。1998年(平成10年)以来、20年ぶり。

48名。中学卒業以来の人も多かったが、名前か顔のどちらかはわかった。

最後の挨拶は、私が指名を受けた。20年前も仙台から駆けつけたということで挨拶をしたが、当時は人生80年時代を意識した挨拶をした記憶がある。20年後は人生100年時代をテーマとして話をした。20年間で20年、寿命の伸びは急だ。

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物故者を偲んで黙祷。吉富、大住、島沢、山中、豊浦、、、。

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 二次会は「安兵衛」。

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三次会は日出町のワインバー。藤田くんと東京からの中川さんと。f:id:k-hisatune:20190815091801j:image

 台風の接近中だが、自宅に着いたのは午前になった。

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「名言との対話 」8月14日。豊田泰光「人間はひとつのポジションで、一ついい仕事をすればそれで十分」

豊田 泰光(とよだ やすみつ、1935年2月12日 - 2016年8月14日)は、プロ野球選手野球解説者

現役時代は豪快な打撃で、西鉄ライオンズ(以下、西鉄)黄金時代の主力選手の1人として活躍した。引退後はニッポン放送フジテレビ文化放送スポーツニッポンの野球解説者をつとめた。2006年野球殿堂入り。

週刊ベースボール」で「1993年末から2013年までの20年、1001回にわたって「オレが許さん!」というコラムをまとめた本「豊田泰光 108の遺言」を読んで読んだ。不調の時、途方に暮れた時に、誰かの言葉に救ってもらった血いう経験が書かせた本である。

恩師と仰ぐ西鉄三原監督の言葉も紹介している。
「何でも一生懸命やり過ぎちゃいかん。ゴムひもだってひっぱり続けたらちぎれるよ」
「これから戦うジャイアントは日本一のチームだ」そして強い。だからきょうは負けてもいい。その代わりよく見ておきなさい」。初戦は負けたが、日本シリーズ西鉄が様勝2敗で制した。以降、1956年以降3年連続日本一となる。
三原からは、本を読めと言われて、実行したことが、後の評論家稼業に役に立った。

・食事は常に正餐である。(選手の不祥事を憂いて、正装で食事をさせよとの提言)
・「うまい」はあっても「やるもんだなあ」がない野球はつまらない。(大谷翔平には打者は余技として、投手に専念せよ、という意見だ)

 また、「人間はひとつのポジションで、一ついい仕事をすればそれで十分」という豊田は、選手としても豪快だったが、評論化しても辛口で聞かせた。ワンポジション・ワン仕事。ビジネスマン時代には、私も一つのポジション3年でひと仕事と考えていたから、共感する。豊田泰光は、それを地でいった人だ。

豊田泰光108の遺言

豊田泰光108の遺言