東京MXテレビ「寺島実郎の世界を知る力」ー今月の世界。日本の経済・政治・宗教。

東京MXテレビ寺島実郎の世界を知る力」(20日)。

今月の世界

  • IMF予測:2023年のGDP:米「減速」。EU「失速」。日「減速」。ロシア「低成長弱体化へ」。中国「半減」。アセアン5「5%」。インド「6.1%」。
    2050年の世界:GDP比率:米22%。アジア33%。日3%。日本の貿易:米12%。中国25%。アジア54.2%。
  • アメリ中間選挙民主党善戦。マイノリティ・女性(中絶)・若者。青いアメリカ(東西の海岸線)がビジネスセンター。活力は若い経営者(マスク51歳、、)と多国籍軍(ジョブスの父はシリア人、ザッカーバーグユダヤ系、グーグルのピチャイはインド系)。トランプ現象は分断をもたらした。2040年には白人がマイノリティ。分断は続く、終わらない。中南米もピンク一色に。平均寿命:白人米国人76.4歳(2歳減)。ヒスパニック77.7歳。アジア人81.5歳。日本人84.5歳。
  • 中国は習近平第三次政権。習近平と6人の小人たち(全員が漢民族)。「社会主義的現代化強国」「中華民族の偉大な復興」。成長力の鈍化(3%台)と不動産バブルの崩壊。7000万人の華人・華僑の失望が足かせに。毛沢東には周恩来がいた。苦闘する中国へ「国際の利害調整」「国内は不安定」。苦しむだろう。

日本の経済

  • 日本の埋没:GDP比率:1994年17.9%。現在4.2%へ。一人当たりGDP:世界27位(アジア4位)から2021年は世界30位(アジア5位、台湾に抜かれる)。アジアの先頭ではない。
  • 異次元の円安:企業・不動産・水のバーゲンセール。安きに流れた。規律と金利体系の連動が大事。健全な財政と国力、経済力は連動している。

日本の政治

経済と宗教

  • 日本のピークは1990年代(1994年17.9%。1997年所得がピーク)。1980年代末から90年代にかけて霊感商法合同結婚式。1995年の地下鉄サリン事件。宗教をめぐる不可解な事件。21世紀に入って、9・11、3・11、コロナ、ウクライナ戦争で、心のレジリエンス(耐久力)が問われている。
  • 日本総研「幸福度ランキング」の6回目。北陸3県が上位。東京3位。日本海側が上昇してきている。アジアとの物流と相関。

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昼間:今日は孫娘の小学校の発表会で有明ガーデンと豊洲。東京ガーデンシアター(8000人収容)。

夜:参加型社会学会ミーティング。力丸さんとのミーティング。深呼吸ゼミのミーティング。ZOOMでそれぞれ30分。

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「名言との対話」 11月21日。三原脩「覇権を握るのは難しい。覇権を持続することはさらに難しい。しかし一度失った覇権を奪回することはさらに難しい。」

三原 脩(みはら おさむ、1911年11月21日 - 1984年2月6日)は、プロ野球選手監督球団経営者

香川県仲多度郡神野村(現:まんのう町)出身。選手の調子・ツキを見逃さない慧眼の持ち主で、周囲の予想を超える選手起用・戦術で知将とも呼ばれたプロ野球の監督である。

セ・パ両リーグで日本シリーズ制覇、3球団での優勝、監督として最多の3284試合の采配という記録の持ち主である。だが、三原は記録よりも記憶に残る監督だった。

攻守走の三拍子そろった選手ではなく、代走、代打、など一芸に秀でた「超二流」を縦横に使った采配が見事であった。アテ馬偵察メンバー)やワンポイントリリーフなどの発明者であり、アイデアマンであった。こういう人であったことから、三原には名言が多い。

「野球は筋書きのないドラマである」

「監督はゲームに勝てる雰囲気を醸成し、技術・精神をつねに調整するいわばエンジニアである」

「タイプの違った二人の選手の長所をうまく組み合わせて起用すれば、一人のスーパースターに匹敵する戦力が生まれる」

「弱小チームを強くするのは男子の本懐である。ただし、チームを強くするのは監督ではなく、球団の姿勢だ」

野村克也『私が選ぶ名監督10人 采配に学ぶリーダーの心得』(光文社新書)を読んだ。名監督野村が評価しているのは、三原水原茂鶴岡一人川上哲治西本幸雄の5人だけである。10人の監督の中で三原は「情感」で選手を動かす監督に分類されている。野村によれば、三原は「人心掌握術」と「采配や選手起用の引き出し」が多くあった。世間からは「三原魔術」「三原マジック」と呼ばれている。

三原を語るにはライバル水原茂を語らなければならない。二人は高松中学、早稲田大学出身の三原武蔵と、高松商業慶應出身の水原小次郎といわれた永遠のライバルだった。

水原の巨人監督に就任にもなって九州の西鉄に移り4年目でパリーグ優勝。その後、鉄腕・稲尾、中西・豊田・大下の強力打線で、3連敗後の4連勝で巨人に雪辱を果たし、3年連続日本一を獲得する。6年連続最下位だった大洋監督になると、1点差勝負に徹し、1年目で日本一になる。この業績で菊池寛賞を受賞している。近鉄監督時代には永淵、ヤクルト時代には外山を投打二刀流で起用して成功している。

三原・水原の二人の物語は、プロ野球ファンの注目の的だった。実力の拮抗した好敵手の存在があったため、覇権を握ってはすぐにライバルに追いつかれ、失った覇権を取り戻すにはそれまでの努力以上が要求される。近代以降の世界の歴史においても、「覇権」を巡るこの言葉は当てはまる。三原の多くの名言の中でも、ライバルとの「覇権」をめぐるこの言葉は、選手、監督、オーナーの世界を歩いてきた苦労人・三原のとどめの名言だ。