マスク会議。

マスク会議。

多摩市・多摩信金・多摩大。多摩大学総合研究所所長として出席。来年度から始まるBS多摩プラットフォーム推進協議会の会長に選任された。

1:BS多摩プラットフォーム企画運営委員会(最終回)。創業・経営相談。ビジネス支援キャラバン隊。支援施設創業者利用補助金。BS多摩プラットフォーム推進協議会の役員選任。事業計画。

2:BS多摩プラットフォーム推進協議会(令和2年度より)。民間ビジネス支援者等実施事業の認定。

3:多摩市地域経済牽引事業促進会議(基本計画と牽引事業計画の効果検証の有識者会議)。

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「名言との対話」3月27日。黒田善太郎「面倒で厄介な仕事、カスの商売、が実は金(きん)の商売である」

黒田 善太郎(くろだ ぜんたろう、1879年2月7日 - 1966年3月27日)は、富山県富山市出身の実業家

日本を代表するオフィス用品の総合メーカーであるコクヨの創業者であるコクヨノートやファイルなどの文具、デスクやチェアといったオフィス家具など、ビジネスに欠かせない商品を多数取り扱っているトップ企業だ。

富山から大阪に出た23歳の時に働き始めたのが、和式帳簿の表紙を作る店だ。持ち前の「改良精神」を発揮し頭角を現す。1905年に独立し、大阪市に「黒田表紙店」を開業し、「表紙は黒田の表紙でなければダメだ」と評判をとる。そして表紙製造請負から、帳簿と表紙の一貫生産事業へ展開していく。1913年には様式帳簿を販売。伝票、仕切書、複写簿、便箋の製造にも進出し、紙製品メーカーとして発展していく。

現在のコクヨのホームページを見ると、会社の歴史が整理されている。創業の時代(1905-1917年)。繁栄の時代(1918-10936年)。受難と再建の時代(1937-1953年)。基盤確立の時代(1954-1968年)。業容拡大の時代(1969-1978年)。積極投資と商品多角化の時代(1979-1988年)。スピード成長の時代(1989-1997年)。企業変革の時代(1998-2005年)。再成長への模索とアジア進出の時代(2006-2013年)。創業者の善太郎は、創業、繁栄、受難と再建、基盤確立の時代を疾走したのだ。1961年、社名を「コクヨ株式会社」に変更する。コクヨは、国の誉れという意味だ。国は出身地の富山、越中を指す。わずかな成功に初心を忘れないという戒めでもあった。

天職を全うするには人の信を得ることが最も大切である。人の信を得る最善の道は、自ら誠を似て実行することである。

商売の利潤というものは、追求するものではない。利潤は、その事業が社会に貢献することによって社会から与えられる報酬である。

50年の長い間には、自分の仕事のみすぼらしさと圧迫のはなはだしさに非憤の涙を絞ったこともあった。しかしそのつど、これが自分に与えられた天職だと自らに言い聞かせてきた。
 ひ孫の現社長まで一貫して同族経営であり、その間、財界を中心に華麗で膨大な閨閥をつくっている。例えば、ワコール創業者・塚本幸一の長男で2代目社長の塚本能交の妻も一族である。こういった戦略も創業者の将来に向けた布石だろう。富山大学にある黒田講堂は、黒田善太郎の寄贈によるものだ。
創業ビジョンである「カスの商売」とは、面倒でやっかいで儲からないが、世のため人のためになる仕事をやり続けようとする考えである。人が見向かない厄介でカスとみえる仕事は、本当は金(きん)を生む仕事なのだ。コクヨは現在では、中国、香港、インド、ベトナム、タイ、インドネシアなどにも進出している。国の誉れを指すコクヨの「国」は、黒田善太郎の志であった越中を越えて、日本にまでなったようである。