竹下隆一郎(ハフポスト日本版編集長)「教養としてのネットメディアの現在地」。

リレー講座。竹下隆一郎(ハフポスト日本版編集長)「教養としてのネットメディアの現在地」。

1979年生。中学生までアメリカ。ニューメキシココネチカット慶應義塾大学法学部卒。朝日新聞入社。経済部記者。公募で新企業のメディアラボへ。スタンフォード大学の研究員。退職しハフポスト(朝日新聞との合弁)に入社。

f:id:k-hisatune:20201029211229j:image
f:id:k-hisatune:20201029211234j:image

 ・トランプ登場に対して「エンタメだ」「中西部アメリカを見ていない警告だ」「支持率はすぐに落ちる」という声があったが、4年たっても支持率は43.6%を維持している。トランプ支持者には実際にはなかなか会わないが、野球帽をかぶったおっちゃんを支持する空気はある。

・インターネットで流れるニュースをみており、メディアとの区別がつかない状況。ラジオが流行している。時間を選べるポッドキャストが伸びている。1400万人のリスナーがいるウッシュリンボーショーは本当のことをパーソナルに個人的に伝えようとしていて面白く中毒になる。ニュースメディアは狭い。人々は無数にあるコンテンツから選んでいる。個人に話しかけるメディアが人気だ。かくれトランプをメディアはとらえきれていない。

・ネットメディアの新しい定義が必要だ。無名の人や企業自身がメディア化しつつある。香川が編集長のトヨタイムズは株主総会、決算倣億などを日経新聞の記事のように流している。ノーベル平和賞を受賞した国連世界食糧計画(WEP)はNHK教育テレビの手法を使っている。自分たちで記事を書く。

・インターネット利用率ではtwitterが55.8%と上昇中。一人一人が自分用に最適化された別々の画面を見ている。パーソナルに向かっている。「黒人は生きていくのが辛いと思うか」という問いかけにバイデン支持者は74%が諾と答える「不当な扱い」、トランプ支持者は否と答える「抵抗するからだ」。メディアが補強することによって、分断がさらに進む。

・日本。講談社のVIVIが自民党とコラボしているなど、記事と記事広告が入り乱れている。企業の広報部はメディア対策よりも、社長の文章力を磨く方に注力しつつある。就職希望者も消費者もトップのメッセージを読む。

GAFAが権力となった。独占させていいのか。検索の順番をAIを使って決めている。ユーザーの滞留時間で重要度を決めるというアルゴリズム。ニュースにおける民主革命でもある。twitterとFBがバイデンのウクライナ疑惑を「ウソだから」と見えないようにしたのは賛否両論あり。取捨選択の判断をIT企業がごろきに任せていいのか。基準や権限、根拠が不明だ。古いメディアは一貫性あるが、twitter、FBは気まぐれなアルゴリズムで流してくる。

スマホと向き合う人生。家にいることが多くなり、人との交流がなくなってきた。

アメリカ政治の個人化の歴史。LINKEDIN、Ubereats、買い物代行など、個人が社長や王様のような世界になりつつある。一方でバラバラになった個人は孤独になった。スマホ一台の世界で個人化、孤独化が広まっている。このような社会をまとめあげるのは何か?

アメリカのミレニアム世代。1980-1994年生まれ。資本主義への好感度は49%、ソーシャリズム70%。彼らは連帯を重要視するソーシャリズム社会民主主義)を支持している。

・日本。アメリカと同様の傾向。結びつけるものは何か。大学は一つの希望か、同じ教室に集っている連帯感。直接語りかける。インターネットには体温がない、人間らしさがない。

ーーーーーーーーーーーーーー

昼:長島先生と懇談

-------------------

「名言との対話」10月30日。上田耕一郎「ひそかに疑問を抱いたり批判をして逃げるのではなく、人間の自由のためにたたかうべきだったのだ」

上田 耕一郎(うえだ こういちろう、1927年昭和2年)3月9日 - 2008年平成20年)10月30日)は、日本政治家

 参議院議員として6期、24年、47歳から71歳までを全うした。400回の質問、質問主意書は42通という仕事ぶりだった。日本共産党では、「赤旗」編集長、党宣伝局長、政策委員長、副委員長などを歴任した。

日本共産党の議長をつとめた不破哲三(本名・上田建二郎)は実弟。1930年生まれの3つ違いの兄弟である。兄は耕一郎、弟は健二郎。耕は農民、建は建築労働者。当時の父は自由教育の「雲雀が丘小学校」の校長であり、労農同盟のつもりで命名したそうだ。二人とも日本共産党を率いる大物になったから父親も本望だろう。当初は耕一郎は「雲輔」(クモスケ)が候補だったそうだ。そうなっていたら日本の政治も変わっていたかもl知れない。やはり、名前は重要だ。

 演説などで、独特の節回しがあり「上田節」として親しまれた。 緻密かつ鋭い舌鋒で、歴代総理・大臣を追い詰めた論客としてのイメージが私にはある。

『国会議員』(平凡社新書)を読んだ。どこまでもまともな書きぶりだった。

人間が動かす国家権力の仕組みと動きに直に触れる。人間の生活、運命、生命を左右する国民支配のメカニズムは、人間がつくり、運営しているのだから、変えることができる。(変えていこうという強い意志が必要だ)

野党の武器は国会論戦で勝って世論の支持を受けることだから、徹底した調査と理論構築が重要だ。質問の最後は、「あれか、これか」「イエスか、ノーか」という言い方にする。二の矢、三の矢を用意しておく。(仕事の進め方に参考になる)

予算員会では衆議院は往復方式で、質問と答弁双方の時間の合計が質問時間。参議院では質問者の時間のみ計算する片道方式。参議院ではそんな答弁では質問できないと座っていても時間は減らない。(こういう決まりを初めて知った)

「一ヵ二分の一政党制」と言われた55年体制の内幕も興味深い。社会党村山富市理事(後の首相)の動きなどが暴露されている。企業・団体献金と国民一人250円の政党助成金はもらわない「野党らしい野党」としての共産党の存在義はきわめて大きいと嘆息している。(カネまみれの国対政治の実態を知った)

首都移転に関する衆院特別委員会での寺島実郎三井物産ワシントン事務所長の「最低でも100兆円プラン」、中曽根首相「あなたは楽しそうに質問しますね」、そして村上正邦参院自民党幹事長との戦友としてやりとりなどのエピソードもある。(人間的なやりとり)

日本の国会議員の数は欧州比較で少なく、かつ人口あたりの議員数は極端に少ないと言っている。この数字は本当だろうか。人によって違うから自分で調べてみたい。

 上田耕一郎は総じて国会議員という仕事は「まことにきびしいポストだと思う。それだけにやりがいもあるポストでもある」と述懐している。こういう気持ちで政治にあたってもらいたいものだ。

上田耕一郎の小学校時代の同級生の中で3人が特攻隊員だったこと、そして日本にも毅然として戦った人々と政党があったことを知り、1946年に日本共産党に入党する。「ひそかに疑問を抱いたり批判をして逃げるのではなく、人間の自由のためにたたかうべきだったのだ」との若い時からの固い志を胸に、四半世紀にわたる国会議員生活を誠実に全うしたことに頭がさがる思いがする。 

国会議員 (平凡社新書 (006))

国会議員 (平凡社新書 (006))