大学院の「必ず書ける! 修士論文の書き方」講座に出講ーー威力。目から鱗。気づき。新たな視点。ハッとした。

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品川の社会人大学院で、18時半から20時まで「必ず書ける! 修士論文の書き方」と題した講義をしてきました。ZOOMで20名ほどが受講しましまた。 

 以下、すぐに届いた受講生の感想から。

  • 本日は貴重な講義をどうもありがとうございました。大変失礼ながら、講義冒頭では図解の重要性に疑いの念を感じておりましたが、実際の演習を通じてその「威力」を実感しました。文章⇒図解について。たった2行の文章であっても、いざ図で表現しようとすると(不慣れなので)手が止まりました。そして頭を捻って書き出した図には、文脈の捉え方と行間の読み方が如実に表れており、いかに受け手に着信にした際に差が出るかをまさに「見せつけ」られました。図解⇒文章について。全体構成をイメージするため、書き始めに時間を1・2分使いましたが、その後は文字通りスラスラと筆が進みました。「あ、次書くのはこのことだな」と次の展開も念頭に置きつつ書けたことが自身でも驚きでした。まさに、肌身で感じた貴重な体験でした。玉に瑕なのが、本所感を書く前に図で整理をしなかったことかもしれません。講義間の5分で書き上げたものでしたので、今回はご容赦ください。本日はどうもありがとうございました。
  • 本日の論文基礎講座の講義、ありがとうございました。講義を拝聴して、目から鱗が落ちるような思いがいたしました。「図解」をすること。「図解をしなければよくわからない。図があってこそ理解ができる」ということ。自分の経験を振り返り、正にその通りだと感じました。嘗て受験勉強をしていた時、理解を進めるために、教科書や参考書の内容を、自分なりに図解をして覚えていました。そのように覚えた項目は、不思議と後々まで忘れませんでした。その時は、文章を図解してから頭に入れる作業でしたが、自分の考えを図解してから文章におこした経験はまだありません。しかし論文演習を進める際には、「図解」して体系的にとらえることが不可欠だとわかりました。今はまだ、修士論文を如何に進めていくか模索しておりますが、必ず図解をして視覚的に捉えながら、論文を作成していきたいと存じます。本日は大変有意義な講義を拝聴させていただき、誠にありがとうございました。
  • 本日は講義ありがとうございました。私も仕事上で、図式にしたり絵を描くことを実践しているはずなのですが、不完全であったのかなあと感じた時間でした。自社の理念・行動指針・戦略などを図にしてわかりやすくすることも行っていたのですが、文章から図にしていました。文章にする前にフリーハンドで描いていましたが、おそらく文章から人に伝わりやすいように図式にしたと気づきました。図式にすることからスタートすることで、より深みのある分かりやすい文面になるのではと気付かされました。私にとって本日の講義は、論文を書くためだけでなく、自身が事業を行っていることにも強く影響する気づきを得ました。ありがとうございました。引き続きよろしくお願い致します。
  • 図解は文章を説明するのに活用する、あるいは、装飾して、インパクトをつけて、視覚に訴えるという認識でした。思考法にする、体系・関係を整理して論理展開のルートを決める手段というのは新たな視点で、いいことを聞いたというのが本日の感想です。論文ではなく、明日からの仕事で、ディスカッション用に使ってみたいとも思っています。ありがとうございました。

  • 本日は貴重な講義をありがとうございました。講義を通じて、文章、箇条書きの欠点について理解出来たとともに、図解から文章を作成していくという考え方は、全体の構造、又部分ごとの関係性を明確に視覚化することが出来ますので、今後論文を作成していく上で大変参考になりました。今まで私自身、仕事で相手に物事を伝える時などは箇条書きで伝達する事が多く、きちんと相手に伝わっていると勝手な思い込みをしていたと反省致しました。先生のおっしゃられた、図に出来ないものは論理的ではないという事を肝に銘じましてこれから論文を作成していきたいと思います。今後ともご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

  • 本日の講義、ありがとうございました。 これまで、文章を書く際は「箇条書き」することを心掛けていましたが、冒頭の「箇条書きは悪」との言葉にハッとさせられました。同じ文でも人それぞれ理解に違いがあり、文から図にすると人それぞれ図がまちまちになってしまうということから、文章で表現することの難しさを痛感しました。文章を書く際は、全体の構造と部分の関係を表すことが重要との説明がありましたが、先日、職場においてデータ管理に関する講演を受講する機会があり、その際に講師から情報システムの構築の際はアーキテクチャーと各システムとの連携が重要との指摘があり、ITにおいても文章を記述する際にも重要なことはある意味共通することだということに気付きました。また、図を最初に作成すると文書が非常に書きやすかったことを実感しました。本日の講座で得た知識を、是非論文を執筆する際の参考にしたいと存じます。
図で考えれば文章がうまくなる (PHP文庫)

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  • 作者:久恒 啓一
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ユーチューブで新・日曜美術館種村季弘 奇想の迷宮」をみながら帰りました。 種村 季弘(たねむら すえひろ、1933年昭和8年)3月21日 - 2004年平成16年)8月29日)は、日本独文学者評論家。稀代の「博覧強記」日本における「幻想文学」のジャンル的な確立に貢献した。「新・日曜美術館」は楽しそうなので、登録。

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「名言との対話」4月2日。飛鳥田一雄「「タイじゃなくて、マスを釣ってこい」

飛鳥田 一雄(あすかた いちを、1915年4月2日 - 1990年10月11日)は、日本政治家衆議院議員横浜市長日本社会党委員長を歴任した。

5歳、小児麻痺を契機に一雄をイチオと読むようになる。中学2年から杖をつく。中学時代からマルクス・ボーイとなった。弁護士、市議と県議を3年。代議士を4期10年経験。

1963年、「厚い壁がさえぎっている。厚い壁が砕かれるだろう。厚い壁のこなごなは、やがてきれいに除かれるだろう」と挑戦の決意をあらわし、横浜市長に当選する。同時期に全国で革新首長が続々と誕生し、飛鳥田は革新首長のリーダー的存在と見なされるようになった。1964年には全国革新市長会を結成し、会長となった。 4期15年の任期を全うし、際立った個性をもつ今日の横浜市の基礎を作り上げた。

飛鳥田市長時代は六大事業が中心だった。みなとみらい21をはじめとした都心部強化事業、これと連動した金沢地区埋め立て事業、港北ニュータウン事業、幹線道路事業、地下鉄事業、ベイブリッジ事業。外にも横浜スタジアムの完成に漕ぎつけ、1978年には日本社会党委員長になっていた飛鳥田が始球式を行っている。

『生々流転 飛鳥田一雄回想録』の最後にある関係者の座談会では、「市政を身近なものにした」「自治体に自信をつけさせた」「横浜方式」「時代の教師」という高い評価をもらっている。私の記憶でも革新市政を担った飛鳥田一雄は、華々しい革新市政の代表だった

「ボクの政策は、マルクスがウエーバーを着て歩いているようなもんさ」「行政の職人としてものを言うけど、こっちは市民の常識、素人の発想でいくわけさ」「保守と革新じゃあ、同じ首長でも困難さが違う」「抜擢して喜ばれても三ヶ月だけど、恨まれたら一生だからね」(人事は難しい)「市政をうまく進めるためには市民の間で多数派を占める必要がある。、、広報の充実とマスコミ対策だよ」

1977年、「原則は松の木の根の如く、対応は柳の枝の如し」と名言を吐いた成田知己委員長の説得で、日本社会党委員長に就任。横浜市長時代の退職金として、一般職員の基準額である1,592万円のみ受給し、市長としての特別手当分1億2,888万円を返上した。

全党員による公選で委員長に就任し、1979年、総選挙で東京一区でトップ当選。しかし社会党改革は難しかった。清新な党を目指したが派閥の存在に負けた。1983年の参院選の途中で「もう引き時だ」と決心する。5年九ヶ月その職にあった委員長を辞任し、石橋政嗣が後継となった。「いま一番気になるのは、人々が情熱を失ってしまっていること。政治は理論であると同時に、情熱なんだ。それを高度成長の中でみんな失ってしまった」。政界から引退し、市民派の弁護士として活躍した。1990年、75歳で死去。

心残りのない横浜市長時代と、内心忸怩たるものがある社会党委員長時代の二つが飛鳥田の主戦場だった。市長という地方の仕事は「突破と創造」がテーマであったが、政党委員長という中央の仕事は「均衡とまとめること」が課題であり、存分には成果をあげられなかった。

冒頭の「タイとマス」の意味は、希望と決意の違いである。「やりたい」という希望はダメだ、「やります」という決意をもって仕事をせよ。この言葉は庁内で語り継がれているようだが、課題解決に向けての気迫の重要さを示している。 会議の議事録でも感じることだが、「、、という意見があった」や「、、と決まった」など受け身のものが多いが、私も「、、と決定した」など気合のこもった議事録を書くことを指導してきたつもりだ。それによって組織の動きが速くなるからだ。議事録ではない、トップの指示書なのだ。飛鳥田市長の考え方に共感する。(再掲)

 

飛鳥田一雄回想録―生々流転