「定年はあっても、停年はない」

林周二『研究者という職業』(東京図書)を読了。

ビジネスマン時代から、郷里の中津の横松宗先生から「研究者になりなさい」と言われていました。それがいつか実現したことになるのですが、林週二のことを書いたことをきっかけに、この本を読んでみました。生涯現役であるためには、研究者的生活が大事になると改めて思いました。

研究者という職業

研究者という職業

  • 作者:林 周二
  • 発売日: 2004/09/01
  • メディア: 単行本
 

 ・研究者とは「自分の頭脳を働かせることで、系統的な情報創造活動を営み、かつそれでメシを食っている各種の知的職業人たち」。

・研究者には、「定年はあっても、停年はない」、「生涯現役、生涯第一線」。

・研究のテーマを自分自身の手で掘り起こし、研究生活を楽しむ体験をもったタイプの研究者たちは、高齢に達してからも概して何がしかの研究業績を出し続けている。

・プロとは「上手になるほどお金を稼ぐことのできる者」。アマとは「上手になればなるほど出費が嵩む者」。

・鋭い観察力。分析能力。理論を構築する能力。

・発想の泉を涸らさないことだ。

イブ・モンタン

・旗を振っておくこと。

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YAMI大学深呼吸学部のプロジェクトの仁上さんの「情報探偵団」の「ファミリーヒストリー」のZOOMミーティング。仁上さん、亀団さん、橘川さん。題材の一つとして「久恒」を追うことになりました。母にインタビューし、系図の原案を作成しました。これを膨らませることにしたいと思います。まずは、「質問」を作成することから始めます。

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「名言との対話」3月31日。永井路子「『万葉集』は、愛と恋の聖書」

永井 路子(ながい みちこ、1925年3月31日 - )は、日本歴史小説家。

 東京生まれ。東京女子大学国語専攻部を卒業。戦後は東京大学で経済史を学ぶ。歴史学者となる黒板伸夫と結婚。1949年小学館入社、『女学生の友』や『マドモアゼル』等の編集に従事。1961年、『マドモアゼル』の副編集長で退社して文筆に専念する。

1964年、『炎環』で直木賞を受賞する。1984年、中世を題材にした作品で歴史小説に新風をもたらしたとして、菊池寛賞を受賞。

1998年、寄贈した蔵書を中核資料とした「古河文学館」開館。2003年、幼少時を過ごした旧居永井路子旧宅を修復し古河文学館の別館として公開。古河文学館から北へ500mほど離れており、江戸町通りに面している。19世紀初頭に初代・永井八郎治が葉茶屋「永井屋」を開業し、のちには陶漆器・砂糖も扱い、質屋も営んだという。永井家は江戸時代からの古い商家で、土蔵造り・2階建ての店蔵が残されている。

 永井路子『万葉恋歌』(光文社文庫)を読んだ。永井は万葉集を「日本の古典の中で、もっとも若々しい古典である」と述べ、「愛と恋の聖書」と呼ぶ。「日本人の心のかたち、愛のかたちがどんなものか。いわば愛の原型といったものを考えるとき、『万葉集』を抜きにしては、何も考えられない」が結論だ。

奈良時代。牛乳を飲み、チーズの味も知っていた。女はスカートと上着のツーピースを着て、腕や髪にアクセサリーをつけていた。ロングスカート、ロングストール。椅子の生活。ベッドで寝た。上流階級の生活は現代と同じだったのだ。

多摩川に晒す手づくりさらさらに何ぞこの子のここだ愛しき」は、208年に万葉歌碑の旅をライワークとしている私の母と狛江の多摩川沿いに建つ玉川碑を訪ね、その意味を教えてもらった。歌碑は多摩川のかつての六郷用水の取水口に近い民家の庭先に立っていた。万葉当時文字を持たなかった日本人が、中国から伝えられたばかりの漢字を使って使っている日本語を何とか表わそうと努力して、音を漢字にあてはめた万葉仮名で書き表わされている。訳は「多摩川にさらさらとさらす手づくりの布のように、さらさらにどうしてこの娘がこんなに可愛いのだろう」。この碑は、刻まれた文字が江戸幕府の老中として活躍した松平定信の筆になる。また渋沢栄一が撰文した裏面の撰文の玉川碑陰記には、この碑のできた由来を述べた後、「そもそも微なことでも、(大事なことは)世に紹介し、幽なことでも(大事なことは)闡明にしていくことが、孔子が著したとも言われる「春秋」(という歴史書)の志であった。」という言葉がある。公益活動に熱心だった渋沢栄一の志がみえる気がする言葉である。

「たらちねの母が手離れかうばかりすべなき事はいまだせなくに」は、「私たち女性すべての初恋の姿でもある」と永井は説明している。

オーディブルの「講演・エンターテイメント」の女性の講演録を聞いたことがある。文藝春秋社の文化講演会での講演録で、それぞれ1時間弱の中身の濃い講演だった。母系社会という視点での連続講演だ。それぞれ有名な作家達であり、山崎朋子上坂冬子山崎豊子宮尾登美子は太平洋戦争に翻弄されており、「戦争」というテーマをそれぞれの立場から深掘りしており、心を打つ。

山崎朋子「アジアの女・アジアの声」は、「帝国海軍の伊号潜水艦長であった父を喪った経験。朝鮮人青年との恋愛。アジア各地に散った底辺女性や満州花嫁の悲劇のエピソード。個人の幸せと国家の真の姿を見つめる」。上坂冬子「繁栄日本の陰に」は、「奄美大島の民謡に隠された長崎原爆の被爆者たちの知られざる人生。アメリカ在住の広島からの原爆の被害者たち。ノンフィクションというものがよくわかる」。山崎豊子大地の子と私」は、「日中戦争最大の犠牲者・戦争孤児。同じ日本人なら最後の一人まで捜し出すのが人間じゃないか。「私たちを三度も捨てないでください」という言葉の衝撃」。「宮尾登美子「いま女はさまざまに生きる」は、「満州難民収容所。空腹で子供とひとつの饅頭との交換を考えた。引き揚げ後の肺結核。赤ん坊だった娘に収容所経験を書き残したかった。そこから始まった作家人生」。杉本苑子「万葉の女たち娘たち」は、天皇・貴族・庶民・奴隷まで、あらゆる層の人々が本音を吐露する万葉集の歌は現代人の胸を打つ」。平岩弓枝「秘話かわせみ」は、「「御宿かわせみ」の執筆秘話。師匠・長谷川伸と兄弟弟子たちとの濃密な修行の日々」。

そして永井路子「歴史をさわがせた女たち」は、「平安以前は女系家族。女帝が多くその官僚としての女官の存在など、女の時代であった。新しい日本史のヒーロー像。裏声で語るオンナの物語」だった。永井路子の講演からは、日本の古代は実は女性上位の時代だったことがよくわかった。

万葉集は愛と恋の聖書」とはよく言ったものだ。永井路子は本日で96歳。青年期(25-50)、壮年期(50-65)、実年期(65-80)、熟年期(80-95)を終えて、大人期(95-110)に入っている。