私の「万葉歌碑の旅」

 

6月に亡くなった母のライフワークであった「万葉歌碑の旅」。私は運転手として母と一緒に歌碑を探して、歌の意味を教えてもらいました。以下、「万葉歌碑の旅」から。

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2021‐04‐18 八王子の万葉公園で万葉歌碑。
2017‐6‐6 山梨県の万力公園。万葉の動植物の公園。犬養孝の解説が本人の声で聴くことができる。
 栃木県の宇都宮護国神社。栃木県宇都宮の護国神社を訪ねたが、目当ての万葉歌碑は見つからなかった。

 い香保せよ なかなかしけに おもいどろ くまこそしっと 忘れせなふも
伊香保にいる背の君よ、私の妹に思いをかけているようですが、私があなたと一緒に寝たことは決して忘れませんからね。くやしい)(観山荘西側)

 い香保風 吹く日吹かぬ日 ありといえど 吾が恋のみしてときなかりけり
伊香保の山から吹いてくる風も、吹く日と吹かない日があるけれど、私があなたを思う心だけはどんなときも変わらず、いつもあなたを思い続けています。)(伊香保の神社境内)

 い香保ろの そいのまき原 峯もころには奥をなかねそ まさかしよかば
伊香保の山沿いにあるまきの林は、ずっと嶺の方まで続いているのだから、私たちのことだって先のことをあれこれ考えることはないと、今がよいのだからね。)(森林公園管理棟前)

 い香保ろの 八坂のいでに 立つ 虹の 顕ろまでも さ寝をさ寝 てば
伊香保の山裾にある大きな水門にかかる虹が、はっきり見えるようになるまで、一緒に寝ていられたらどんなによいものか。ぜひそうなるようにしたいものだ。)(水澤寺境内)
この歌の訳はこういう風に現地では書かれていた。こちらの方がいい。
(はっきりと二人の仲が知れてしまってもかまわない。それまでも共寝したならば、どんなによかろう。さあ寝よう、寝ましょう)

麻生区金程(かなほど)四丁目の金程万葉苑を訪ねる。坂道を登った住宅街の小山が万葉苑だった。万葉集には萩を歌ったものが143首、梅が118首ある。ここには80種類の万葉草木を植えてあり、そのいくつかには縁のある歌を掲げてある。

防人の歌碑が二首石碑に刻まれている。

 家ろには葦火炊けども住み好けを筑紫に至りて恋しけもはも 
 橘樹郡の上丁物部真根(たちばなのこほりのかみつよほろのもののべのまね)
 家では葦火をたいているけれど住みよいのだが、防人の任にある筑紫では恋しくなるだろうなあ

草枕旅の丸寝の紐絶えば吾が手と付けろこれの針持し
       妻の椋橋部弟女(くらはしべおとめ)
つらい旅の丸寝の紐が絶えるなら私の手と思ってこの針を使ってください

田子の浦ゆうち出でて見ればま白にぞ富士の高嶺に雪は降りける

 (山部赤人・富士を望む歌)

その右に長歌の碑がある。長歌は、575が延々と続き、最後に77で終わるという形式の歌、それを受けて57577の半歌が詠まれる。

 天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振りさけ見れば 渡る日の 影も隠れらい 照る月の 光も見えず 白雲も 行きははかり 時じくぞ 雪は降りける 語りつぎ 言い継ぎ行かん 富士の高嶺は

高麗錦(こまにしき) 紐解き放(さ)けて 寝るが上(へ)に 何(あ)ど為(せ)ろうかとも あやに愛(かな)しき  万葉14巻 3465
 (高級な錦織である高麗錦の紐を解いて共寝もしたのに、まだ恋しさが増す。この上、一体何をすればよいのか。ふしぎなほどに愛らしいことよ)万葉学者の中西進文学博士の揮毫

多摩市南野二丁目 一本杉公園 芝生広場

 赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ

  豊島郡の上丁椋埼部荒虫が妻の宇遅部黒女
 (としまぐん)(かみつよぼろ)(くらはしべ)(あらむしがめ)(うじべのくろべ)

 赤駒(馬)を山野に放牧して捕えられずに、多摩の横山を歩いて行かせることか、馬がいれば乗せてやりたい、という妻の嘆き。

府中市宮西二丁目 大国魂神社 参道鳥居前の欅並木

 武蔵野の草は諸向きかもかくも君がまにまに吾は寄りにしを
武蔵の国(東京・埼玉・神奈川にわたる大国)の草が風に靡くよう、私は貴方にひたすら心を寄せたのに、という意味の歌。自然と共に生きた女心を歌ったもの。万葉仮名で書かれた歌碑。

八王子市鑓水御殿峠 多摩養育園

 妹をこそ相見に来しか眉引きの横山べろの鹿なす思へる

  逢いに来ました   横山あたり   逢わせもくれずに   母親は
  猪みたいに   追い払う    (現代語訳・竹下数馬)

 多摩側に曝す手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき(万葉集巻十四)

訳:多摩川にさらさらとさらす手づくりの布のように、さらさらにどうしてこの娘がこんなに可愛いのだろう。

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「名言との対話」7月11日。エズラ・ボーゲル「真の愛国者とは、国旗を身にまとって自画自賛をしている人をいうのではなく、真正面から問題を見つめて、その問題への取り組みを始める人のことだと信じるからです」

エズラ・ヴォーゲル(Ezra Feivel Vogel、1930年7月11日 - 2020年12月20日)は、アメリカ合衆国社会学者。

中国と日本を筆頭に東アジア関係の研究に従事した。

1958年にハーバード大で博士号を取得した後、日本に2年間滞在。その後も日本滞在を重ねた。1973年にハーバード大学東アジア研究センター所長となり、1980年には同大に新設された日米関係プログラムの初代所長に就任。1993年には民主党クリントン政権で東アジア担当国家情報官に就いた。

 1979年に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を出版して日本でベストセラーになった。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」では、戦後日本の高度経済成長の要因を日本人の学習意欲の高さや日本的経営などにあると読み解き、米国の対日観に大きな影響を与えた。私もこの衝撃的な本をむさぼり読んだ。

 

2000年にハーバード大学を退職して以降、中華人民共和国の改革開放の立役者・鄧小平の本格的な研究に10年以上取り組む。2011年に出版された『Deng Xiaoping and the Transformation of China』は中国語にも翻訳され(中国語タイトル:『鄧小平時代』)、中国大陸、香港、台湾など中華圏で100万部を超えるベストセラーとなった。日本では、『現代中国の父 鄧小平』(日本経済出版社。上下巻)として出版されている。「名言との対話」で鄧小平について書いたとき、私はこちらも手にしている。

JALの広報課長となった私が創刊編集長をしていた広報誌月刊Currentsのエッセイを部下を通じて野田先生に頼み、その御礼として赤坂プリンスホテルの旧館で食事をしたことがある。「論文よりもエッセイが書きやすい、今後はエッセイストになろうか」と野田先生はおっしゃった。その時、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」で有名なエズラ・ボーゲルさんに紹介しようと直接電話をかけてくれて驚いたこともある。

1990年に刊行された舛添要一監訳・エズラ・ボーゲル他『アメリカを脅かす日本 危険な依存』(騎虎書房)を読んだ。

舛添要一の「まえがき」では、世界GDPの22%がアメリカで、日本は15%となっており、一人当たりGDPでは日本はアメリカを追い抜いたと書かれている。日本の絶頂期の時代だった。「冷戦は終わった。、、、そして日本人が勝った」という日米逆転の雰囲気の中で、ボーゲル教授はアメリカに警告を発している。高付加価値分野の産業部門で国家としての取り組みが必要であること、そして世界で戦える強力な企業の育成が必要だと処方箋を書いている。それから30年経った現在、日米は再逆転となった。アメリカは目を覚ましたのだ。そして眠った日本は中国にも追い越されている。

この本の中でボーゲルは「真の愛国者とは、国旗を身にまとって自画自賛をしている人をいうのではなく、真正面から問題を見つめて、その問題への取り組みを始める人のことだと信じるからです」と結んでいる。

エズラ・ボーゲルは、中国と日本を含む東アジア研究の大御所だが、日本研究、中国研究により得た成果で自国アメリカを啓蒙し、世界に平和をもたらそうという姿勢だ。単に自画自賛をして自国を応援する人たちとは違う。そのグローバルな視界は、大きな竜のようにうねり続ける世界全体をあたたかい眼でみつめていたと思う。そういう人が真の愛国者といえるのだろう。真の愛国者同士は語り合える。