図解塾11回「大機小機」

図解塾11回。日経新聞の「大機小機」の論評を図解するというテーマ。

WIFI環境のないところからの講義ということで、苦労しましたが、そのおかげでリモート講義の力が高まったと思います。ピンチはチャンス!

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以下、受講生の学び。

  • 本日も充実した2時間をありがとうございました。たいへん贅沢な時間でした。今日は「大機小機」の中から選んで図解にするという課題でしたが、他の皆さんのを拝見して気づき、反省したことがあります。それは、自分の場合は与えられた文をただ図解にすればいい、という態度でしたが、他の方々はそこに書かれていない背景や基本的なデータを盛り込み、深い理解につながるものしていらっしゃったということです。文章を書かれた方に失礼かもしれませんが、何が言いたいのですか、という文が多いという印象を受けただけに、こういった深堀りや拡充を図ることが必要だったかな、と思いました。図解塾は、単に図解作成のテクニックを身に付けるものではなく、様々な文章の図解の作業を通して自分の知識を広げ、理解を深め広げていけるという点で非常に役立つものだという思いを新たにしました。「50歳からの人生戦略は図で考える」を楽しみにしています。外国語訳も出るということですが、英語版だと海外の友人にも紹介できるのでいいなと願っています。
  • 本日もありがとうございました。㋄がほぼ参加できていなかったため、久しぶりの参加でした。キーワードをとらえ、それぞれの関係を考えながら配置を決めていく。ようやく少しずつできるようになってきたように感じます。しかし、プレゼンは要練習!もっと余裕をもって課題に励みたいと思います…。皆さまとても複雑な内容の文章を、自分で様々調べながら図解しておりその向上心に感服いたしました。久しぶりの図解塾で緊張しましたが、継続してチャレンジしていきたいと思います。子ども寝かしつけのため、最後のみ参加で失礼いたしました。次回も楽しみにしております。
  •  みなさま、本日もお疲れ様でした。みなさんの図を見て、言いたいこと、あやふやなところ、調べたところ、工夫されたところ、いろいろ見ることができて、勉強になります。自分の作った図は、ブロックをあちらこちらに移動して、なかなか収まらなかったので、自分の解釈があやふやで、もう少し落とし込んで知ることが必要なのだと思いました。俯瞰で見ること大事、素人大事。当事者が図解を作るのが必要。なっとくです。図を作りながら、素人な分野を知っていき、自分の考えを持つこと、を鍛えていけたらと思いました。今日もありがとうございました。
  •  本日もありがとうございました。図解塾の本義を少し学ばせて頂きました。初心者ながらも皆様のユニークで素適な図解からとても刺激を受け、今後の学びもとても楽しみです。引き続きよろしくお願い申し上げます。追伸 最後のプレゼンテーションにおいて、就労や老人、障害含め、幼保一体、産官学連携として、日本社会全体が家族という新しいルールを創り、そのルールを世界へ発信するのも一考かと思いました。建国の精神「八紘一宇」そして「一元論」が、日本が誇れる考え方の1つと認識しています。感謝!「追追伸」私は右翼ではありません。悪しからず!(^^)!
  •  久恒先生、皆様、本日もお疲れ様でした。今回テーマの「大機小機」、自分の興味から「日米貿易」関係の話題を選択したのですが、題材記事の結論があまりに「尻切れトンボ」な感じだったので、どの様な話にまとめるのか方向が定まらないまま、悶々と事実関係の調べに多くの時間を費やしましたが、出来たものを俯瞰した時に、今後の我が国に必要な事柄が見えてきました。読み手が自由に考え学ぶ事でかえってうまい結論を出すことが出来よかったです。丹念に調べそれを俯瞰するという、このサイクルが重要だと気付かされたテーマでした。ありがとうございました。次回もよろしくお願いいたします。

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以下、書きかけ。

「名言との対話」6月16日。岩田孝八「いつの時代も良識は常識に打ち勝つ!」

 『松籟の如し 異能の商人 岩田孝八』を読んだ。松籟とは、松の林をぬって吹く風とその音をいい、茶釜が激しく煮え立つ音をいう。

長崎屋は、少年時代の岩田が祖父から聞かされた「大磯にあった大店」であった。父の店の屋号である。江戸時代のオランダ人宿舎長崎屋は貿易館の性格があり、青木昆陽前野良沢、平賀源内、シーボルトらと縁が深く、200年間続いた。その長崎屋と縁があったかど以下は不明だが、岩田はその名前を使い、長崎屋を創業した。ダイエー中内功大正11年生まれ。イトーヨーカドー伊藤雅俊大正13年生まれの同世代。流通革命を主導した革命児たちは同世代であった。

岩田は「商勘の人」といわれた。柴田は素質を重視した。その素質は商人としての素質であった。

岩田は「全ては数字で表現でき、数字で管理できる」と言っている。また、「商売発展の原動力は、外にあるものより内にあるものの活用です」「競合店ではない、敵は内にあり!」という姿勢で内部の人材を育成することに傾注しており、安易な事業買収は行わなかった。

「軍隊は情けもモラルもない飢餓の世界だった」

「将来必ず人口が急増するところ、これが進出先の第一の条件である」と出店していった。。

「人材である、すべては人材である」との考えで人材教育に力を入れている。昭和40年代には学卒者の大量採用を行っている。その結果、長崎屋には優れた人材がいると言われた。岩田自身も珍しく「うちには3000坪級の店の店長が務まる人材が1000人いる」と豪語していたそうだ。

上場を果たした昭和38年以来大量の学卒者を採用している。私は昭和48年卒業であるが、4年生の時にヨーロッパ旅行をした。その時に知り合った私立大学の学生が明治屋に入ると言っていたのでよく覚えている。彼も一員だったのだ。

「いつの時代も良識は常識に打ち勝つ!」という信念の持ち主」だった岩田は、「大胆と細心」の両方を備えた人であり、「豪胆と小心」を兼ね備えた人であった。そして人間としての風圧が強い人であった。岩田は出来の良かった息子にあとを譲っている。現在の長崎屋はどうなっているのだろうか。