「図解塾」第4期がスタートしました。

「図解塾」第4期がスタートしました。

3期のメンバーに加えて、新人も参加です。新人への図解塾についての短い説明を含めた自己紹介と今年の抱負を語るところから始めました。「1000本ノックと問題解決」を第4期のテーマとしてやっていきます。

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塾生の終了後のレポートより。

  • 今回、図解塾に初参加させて頂きありがとうございました。「頭の中に相当な汗をかく時間」と聞いていましたので、はじめ緊張していましたが、例題を二つ解き、参加者のみなさんの図解もご披露いただくうちに、緊張も解け、あっという間の楽しい2時間でした。本や雑誌、新聞、ウェッブサイト等で、図や表などを見る機会は多いですが、一つのテーマを複数の人で、自ら図で表現してみるという経験は初めてです。同じテーマであっても、人それぞれに異なる視点でものを見たり感じたりしている、ということを実感し、大変面白く感じました。
    次回以降も楽しみです。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
  • 2022年初めての図解塾、先生、みなさま、お疲れ様でございました。みなさまの図解塾のことと本年の抱負など伺い、先生の怒涛の新しい事、のお話。なんだかこの場にいて良いのだろうかと、とても心配になってしまいました。そんな場に参加できることに感謝し今年も楽しんでいきたいと思いました。どうぞよろしくお願いいたします。今回の1つ目の課題は、どう書いてよいかわからず、図解が進みませんでした。怒られないように改善点を示す、というのにひっかかり、マイナスな言葉を使わないように、、などと考えていたらオタオタしてまとまりませんでした。2つ目は少し落ち着いて楽しく図解に取り組めました。寒い冬にはこの千本ノックは体を温めるのに良いかもしれません。みなさまの図解は、それぞれの視点からの図解で、同じ問題なのにこんなに違うのだなと再確認し、気づきもあり、勉強になり、面白かったです。本年もどうぞよろしくお願いいたします。今日の図解です。2枚目はお客様相談室を加えました。
  • 2022年が明けて、最初の図解塾。今日もこれまで通り、脳に汗をかき、気づきの多い2時間でした。今日の図解千本ノック、特に2番目の悩みを抱える若い社員にどうアドバイスするかという問題解決を含んだ課題はよかったと思います。自分自身も文章の上っ面だけを図にまとめるという段階は過ぎて、全体の幹になるものは何かをつかむことや、関係性を考えること、さらに文章に表れていない課題や着想を加えることなどが身についてきたように思います。しかし、今日の千本ノックで思い知らされたのは、より多面的、多角的な見方をすることが欠けていたということです。具体的には悩みを抱える若い社員へのアドバイスにも「顧客」という視点がなかったことです。図解塾でトレーニングを積むことによって、図解表現のテクニックだけでなく問題解決力も向上していくと思いました。
  • 久恒先生、今年もよろしくお願いいたします。22年最初の図解塾、楽しい疲労感を感じた2時間でした。一つ目のテーマでは、クライアントの機嫌を損ねないようなウェブサイト改善提案を図解でということで、クライアントがウェブサイトを通じて何を誰に伝えたいのかを再認識し、それにそぐわない点を見直しポイントとして提案するという流れを図解してみました。二つ目は担当業務に不満を持つ若手のモチベーションをあげるアドバイスを図解を使って行うものでしたが、Sさんの図に空白を作り、面談で本人の考えを一緒に書き込んでいくというアプローチは私も使えるようになりたいと思いました。また、次回も皆さんのいろいろな表現を拝見するのが楽しみです。
  • 久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。年始1回目である今回、早速図解ノックの2課題に挑みました。一つ目はWEBデザイナが、顧客である自然派化粧品会社の『読みづらい』HPを改善提案する話。箇条書きのままでは顧客に叱られそうな現状認識を、いかに「前向き」に顧客へ伝えるかという課題ですが、とかく揉めそうなネガ指摘も、在りたい姿との対比やシンプルかつポジティブな言葉への言い換えを図に織り込むことで、提案を明瞭かつ前向きに顧客へ伝えることが出来るのではないか、という事を確認しました。二つ目は『企画・開発部門』への異動希望がなかなか叶わない玩具メーカー『調達部門』に所属する中堅社員へのアドバイス。今の部署で先ずは実力をつけ、小さな成功体験を積む過程で他部門からも「一目置かれる」立場になれば、いよいよ次はキミも…というストーリで作図したのですが、これは大失敗でした。この切り口では「説得」は出来ても、相手に「納得」してもらえることは難しいという結果に帰結し終わってしまいます。図解の目的である「合意形成」を獲得する為には、聞き手に共感してもらえるアプローチが不可欠ですから、このケースでいえば「モノ造りからお客様の手に渡る迄のプロセスにおいて、どの部署も皆等しく『お客様に喜んで頂き、信頼を戴く』事を目指して自分の持ち場で懸命に働いているのだ」という事を本人が「俯瞰」できれば、次は「ではどうするか」という前向きな相談に自ずから「V字回復」して行く事も出来るかもしれません。「納得してもらう為の構図」という物を意識して図解を進める事を忘れない、という事が本日の大いなる学びとなった次第です。図解塾はいよいよ第4期へ突入し、更には人物記念館ツアーや出版など、本年も久恒先生の野望は益々拡大の一途でワクワク致します。今後とも宜しくお願いい致します。有難うございました。
  • 今回もどうもありがとうございました。第4期初日なのに遅れて参加したため、2つ目の課題「若手社員の悩みへのアドバイス」の図解だけチャレンジできました。課題を見て頭に浮かんだのは、「彼が本当にやりたいことは何?」「クリエイティブな仕事って言ってるけど、具体的にそれって企画・開発部でしかできないこと?」といったいくつもの疑問でした。そのため、着地点であるアドバイスが出てきませんでした。それで、言葉から図にすることを諦め、代tわりに以前学んだ「自分の仕事を図解にする」というのを思い出し、私がイメージする仕事図(会社やエンドユーザーとの関係性を表したもの)を作ることにし、彼に質問しながら、彼自身に自分の仕事のことややりたいことを文字で書き足してもらって完成するような図にしました。 空白が多いので図解と言えるのか心配でしたが、久恒先生から、考え方が変わってきたねと褒めていただいたので、ほっとしました。今年も冷や汗をかきながら図解ノックに挑戦していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

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今日のヒント。

吉屋信子「不幸は突然くるかも知れぬが、幸福は突然はやって来ない」。

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NHKラジオ「半藤一利」を2本聴いた。9000歩。星野珈琲。

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「名言との対話」1月12日。吉屋信子「不幸は突然くるかも知れぬが、幸福は突然はやって来ない」。

吉屋 信子(よしや のぶこ、1896年(明治29年)1月12日- 1973年(昭和48年)7月11日)は、1920年代から1970年代前半にかけて活躍した小説家。

新潟県生まれ。少女雑誌で高い人気があり、10代から20代にかけて発表した『花物語』が「女学生のバイブル」と呼ばれるほどの大ベストセラーとなり、そして長く読まれたロングセラーとなる。

雑誌『少女の友』で、「暁の聖歌」、「紅雀」、「桜貝」などで女性読者を増やし、「わすれなぐさ」の連載に連なっていく。キリスト教的な理想主義と清純な感傷性によって女性読者の絶大な支持を獲得する。少女小説の元祖である。

1938年、有名な漢口攻略戦「ペン部隊」の役員に選ばれる。女性作家は他に林芙美子のみだ。太平洋戦争開戦直前には、特派員として蘭印(インドネシア)、仏印ベトナムなど)も訪問し、戦時中には大東亜文学者大会に参加している。

戦後は、『安宅家の人々』『徳川の夫人たち』『自伝的女流文壇史』など多数の作品を発表し、女性史を題材とした歴史物、時代物を書き続け、流行作家となった。1952年、「鬼火」で女流文学賞。1967年、菊池寛賞を受賞している。

『わすれなぐさ』(河出文庫)を読んだ。

「美しく我侭なお嬢様・陽子、人造人間とあだ名される優等生・一枝、無口で風変わりな個人主義者・牧子。一枝と心を通わそうとする牧子だったが、華やかな魅力に溢れる陽子の操る糸に絡めとられていく…。夏休みの水泳合宿、学校帰りの横浜ドライブ―少女小説の女王が描く、昭和ロマン漂う少女たちの愛と友情の物語」。

思春期の少女たちの微妙な関係を描いた作品だ。いままで読んだことのない分野の小説だったが、主題は男尊女卑や良妻賢母への疑問である。吉屋信子よりも34年も年長で、「良妻賢母となるよりも、まず一人のよい人間とならなければ困る」と語った東京女子大初代学長をつとめた新渡戸稲造などの考え方に共鳴していたのであろう。この本には「私達は人間として生まれて、何をしなければいけないのだろう」という問いかけがある。それに男たちは、「男は頭をよくして学問で科学であらゆることで研究をして業をなし人類社会に貢献しなければならない」「女は結婚して家庭をおさめ子を養育する天職が義務だ」と答えている。今となれば、あからさまな差別的な考え方だが、この連載中の1932年(昭和7年)当時の世相をあらわしているように思う。

鎌倉に吉屋信子記念館があり、一度訪ねたことがあるが、休みで入れなかった。この記念館は本人の遺志により、鎌倉市に寄付されたものだ。設計は有名な吉田五十八だった。

「不幸は突然くるかも知れぬが、幸福は突然はやって来ない」は含蓄の深い言葉だ。幸福というものはじっくりと育てていくものだ。じわじわと環境を整え、心持ちをゆっくりと整えていくものだ。だが、不幸は突然の竜巻のようにあらわれ、一気に幸福を屠ってしまう。幸福はもろいものなのだ。吉屋信子のこの言葉は名言である。