「頭のいい子は「図」で育つ」ーーアースアカデミアのイベントに出講

夜は18時から渋谷のスタジオでの「頭のいい子は〇〇で育つ」イベントに出講しました。

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第一部「頭のいい子は「ゆめ」で育つ」ーーすぎやまゆううこ(漫画家)

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第二部「頭のいい子は「図」で育つ」ーー久恒啓一NPO法人知的生産の技術研究会理事長) 

 

第三部「頭のいい子は「想像力」で育つ」ーー高校生と語る クリエイティブワールドとは?

小学生とその母親、高校生、大学生、大人が入り混じったメンバーたちとの3時間を楽しみました。図解塾のメンバーも3人参加してくれました。思ったとおり、漫画と図解は相性がいいことを再確認しました。

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午後:橘川さんと新宿でミーティング(リアル)。らんぶる。末広通りの九頭竜。伊勢丹メンズ8階rejiig。

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「名言との対話」6月29日。小島孝治「ミスの中にも、やっても影響の少ないミスと、一度やってしまたら取り返しのつかないミスがある」

小島 孝治(こじま こうじ、1930年6月29日 - 2014年5月27日)は、日本のバレーボール指導者で、全日本女子バレーボールチーム監督。

1953年、四天王寺高等学校の監督になり、インターハイで3度優勝。1965年、大松博文の後継者として日紡貝塚女子バレーボール部の監督。大松監督が築いた日紡貝塚の公式戦175連勝の記録を258まで延ばす。「つなぐバレー」は、日本バレーの特徴となった。 日立を率いる山田重雄とともに日本女子バレー界の両雄として競い合った。

1970年、全日本監督に初就任。1972年、ミュンヘン五輪で 2大会連続の銀メダル。1980年のモスクワ五輪で金メダル奪回を目指したが、ボイコットで幻に終わる。

1981年のワールドカップで銀メダル。1982年世界選手権4位。1985年のワールドカップ、1986年の世界選手権ではメダルなし。1992年、バルセロナ五輪総監督で5位。1995年のワールドカップ6位。全日本監督を退任。1996年の強化本部長としてアトランタ五輪で9位。2000年のシドニー五輪では出場権を逃す。

以下、小島孝治の言葉から。

「ミスの中にも、やっても影響の少ないミスと、一度やってしまたら取り返しのつかないミスがある。後者のミスは基礎・基本の訓練不足からくることが圧倒的に多いことを肝に命ずるべきだ」。そして「長い間悩んだ末、私が到達した基礎・基本のマスター度をはかる基準は次のようになった。・「おはよう」「こんにちは」が大声でいえる。・きちんと返事ができる。・コートの中で大声が出せる。・人の言葉を素直に聞ける。・構えているとき口を真一文字につむれる。・コートの上以外で指導者を非難しない。・練習が終わったら「お疲れさま」の一声がかけられる。つまり、私達が人間として、またチームの一員としてしなければならない最低の礼儀である」となった。

全日本女子バレーは、大松、小島、山田という名監督の系譜がある。バレーボール以外では教育委員として奈良市で4年、続いて1996年からは大阪市で8年務め、2004年には大阪市民文化功労賞を受賞。大阪市スポーツ顧問、おおさかシニアネット理事長、大阪スポーツマンクラブ会長なども務めた。しかし、小島の軌跡を追うと、一筋にこの道を追求した人生であることがわかる。小島の行き着いた基礎・基本は、人間としての礼儀だった。その基盤の上に立って、「ボールは手で拾うものではない。足と心で拾うもの」という考え方と、「チームワークの面白さは、「和作り」の面白さに尽きる」という言葉が出てくるのだ。

どのような分野も基礎、基本という根をしっかりと固め、次に枝ぶりをそろえ、最後にようやく花を咲かせることができる。その花の美しさがが世界のトップを争うように咲き誇るためには、人間としての心のもち方と技の基礎訓練が大事だと教えてくれる。ミスはどうしても起こるが、戦意喪失にいたるやってはならないミスというものがあるのだ。