本日から戦線復帰ーーZOOM。立川。代々木。荻窪。ZOOM。

朝:秘書の近藤さんとZOOMでMTG。子ども図解塾。図解塾。大学院の準備。

午前:立川で体を整える。

午後:代々木でNPO法人知的生産の技術研究会の福島事務局長と面談。

夕:荻窪日本地域社会研究所を訪問し、落合社長夫妻と面談。

夜:デジタルメディア研究所の定例ミーティングに久しぶりに復帰。

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「名言との対話」6月28日。古山良司「私がやったのは前のレースや、本番の返し馬の時にどこを走らせればいいのか馬場状態をアタマに入れたことだけ」

古山 良司(ふるやま りょうじ、1929年6月28日 - 2011年8月22日)は、国営競馬日本中央競馬会に所属した騎手調教師

横浜生まれ。父は騎手。1950年に騎手デビューし、「戦後派ナンバーワン」といわれた。デビューした年から勝利し、1953年には49勝で全国ランキング5位。1955年にはタカオー天皇賞で優勝、70勝で全国3位。1959年にはコマツヒカリに騎乗しダービージョッキーとなる。1962年、ヤマノーで皐月賞、ヒロヨシでオークスに優勝。1968年から69年にかけて「怪物」タケシバオーの主戦騎手として春の天皇賞に優勝しアメリカ遠征もしている。

20年間の騎手通算成績は4409戦619勝。八大競争は5勝。1955年の天皇賞タカオー)、1959年の東京優駿コマツヒカリ)、1962年の皐月賞(ヤマノオー)、1966年の優駿牝馬(ヒロヨシ)、1969年の春の天皇賞タケシバオー)。目玉となる競技である重賞競走は、八大競争以外には13回を数えている。

競馬にはレースごとの格付けがあり、G1(グレード1)は9段階のトップで、中山大障害も含め26種類ある。八大競争とは、皐月賞日本ダービー菊花賞桜花賞オークス天皇賞(春)天皇賞(秋)、有馬賞だ。最高賞金はジャパンカップで、優勝3億円、総額5億7千万円だ。

1970年に調教師に転身する。30年間の調教師通算成績は4541戦372勝。「走る精密機械」トーヨーアサヒ、「トライアル三冠馬サンエイソロン、「G1善戦マン」スダホークすなど個性的な馬を調教した。しかし、G1級競争の優勝はならなかった。

日本ダービー皐月賞オークスなどでの優勝が雨であり、「雨の古山」の異名がある。「私がやったのは前のレースや、本番の「返し馬」の時にどこを走らせればいいのか馬場状態をアタマに入れたことだけ」。返し馬とは本番の15分前にコースの馬場にでて待避所まで走るウオーミングアップの流れをいう。

また古山は追い込み戦法が多かった。ゴール前で馬にムチを入れ始める「追い出し」のタイミングをうまくつかみ、見事なゴボウ抜きを演じた。

名ジョッキー古山良夫は、追い込みを始めるポイント(場)と、ムチを入れ始めるタイミング(時)をつかむ天才だったのであろう。

少し競馬に関する知識を得よう。明治天皇ら賞品が下賜されるようになったのが、天皇賞のルーツである。100円あたりの払戻金が1万円を超える馬券のことを「万馬券」という。2016年頃からAI(人工知能)による競馬予想が盛んになっている。競馬は音楽文学絵画彫刻などの創作活動の主題となったり、社会制度にも入り込んで「馬事文化」を形成してきた。アイドル馬として私も知っているのは、20世紀のハイセイコーと21世紀のディープインパクトだ。

日本の競馬は現存している中央競馬は小倉競馬など10、地方競馬は15である。私の故郷にも中津市大貞に中津競馬があった。中津ダービー、中津桜花賞、中津大賞典、中津記念などのレースがあった。21億円以上の累積赤字があり、鈴木一郎市長が2001年に中津競馬場廃場し、平成期の自治体の公営競技整理の端緒となった。このプロジェクトは中津市役所につとめる私の叔父が責任者として取り組んでいたことを思い出した。