大学院で「都議選」の公約の図解に挑戦ーー多くの人が投票政党が決まった

大学院で「都議選の公約」の図解の授業。過去2回は、「仕事」と「人生」という自分にとての切実なテーマでした。今回は「政治」、とくに目前に迫った東京都議選の公約を図解で比較するというテーマで盛り上がりました。受講生の皆さんは、支持政党、投票政党が決まったのが、この授業の成果です。

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  • 品川キャンパスでの参加でしたが、先生との距離も近く、個室でのワークとはまた違った刺激を受けて参加できました!次回も対面参加をしたいと思います。クラスメートの皆さんともこの雰囲気を一緒に味わえると嬉しいです。エニアグラムの結果をうまく利用する事例もなるほどという気づきがありました。あと2回で終了と聞いて驚きました。貴重な授業時間を精一杯楽しみながら学びたいです。【学び】・比較対象が多いときは、自分の視点のポイントを置いて使う情報を取捨選択する勇気も必要。・色を使った強調やグループ化は視覚的にも印象に残りやすい。・普段、政治への興味が薄く、政党の特徴や政策についての知識はゼロベースな状態で、どこをゴール(視点)とする図解にするかを決めるのに時間がかかった。・今回の図解は、各政党が東京都の課題をどうみているか、都民の関心がどこにあると仮説をしているのか、わたしの関心はどの課題なのか、その課題を政策にかかげている党はどこか、実行可能性が高いのはどの党かと思考を整理していく上で大きな手助けとなった。(投票しましょう!)以上、本日もありがとうございました。
  • 本日もありがとうございました。 事前に新聞記事が送付された時に、どう図解するのか全くイメージできませんでした。自分の関心があるところで図解してみれば良いと言われたものの、それでも今日の課題は難しかった。 文字情報の密度がとても高いこと、密度が高い故に全体像が掴みにくく、そこで図解が活きることを再認識しました。図解することで関係性や対立軸が浮かび上がり、自分の中で新たな気づきがあったり、考えがまとめることができることを実感しました。 皆さんの図を見るのは毎回参考になります。今回は課題が難しかった故に意見交換がこれまで以上の楽しい時間となりました。皆さんの個性が出る図解になっていて非常に面白かった。 課題が難しくになるにつれ、内容の理解と整理で手一杯で、せっかく学んだ手法を使いこなせていないな、と感じます。これまで書いた図を見直してみようと思います。
  • 本日は短い時間でしたがありがとうございました。久恒先生が最後に受講生皆様の変化について共有頂き、図解を書くだけではなく、図解を基に自分の納得した結論を導き出せるようになっているという部分について、今回の皆様の発表を聞いたり、図解を見させて頂き非常に納得出来ました。また同じ議題なのに人それぞれ違った視点を持って、意見を述べていた部分について非常に興味深かったです。日常業務においても、図解で整理し意見を出し合うことで、本当に考えるべきことは何か、自分自身の考えがよりクリアになってくるのではないかと感じました。引き続き図解を意識して使用し、自分自身の考えをまとめられるように努力して参ります。次回もよろしくお願い致します。
  • 今日の講義はエニアグラムの解説から始まって都議選の政策図解。「いつも以上に面白かった」というのが一番の感想です。切り口や図解の仕方が見事なほどに違っていて、非常に参考になりました。面白かった。(自分の整理の仕方がは当たり前すぎて、面白くない!)図解する時に、重要度に応じて情報を取捨選択し、優先順位や関係を見つけ、そしてそれをどう表すかを考えるようになった感じです。でも、これって、第1講で教わったように「物事の ”大小” ”重なり” ”関係” の成り立ちを整理するために図解する」という先生のお話のとおり・・・!更に、痛感するのは、当たり前だと思っていた文章の曖昧さと、図解の楽しさ。本日もありがとうございました。
  • 久恒先生が最後に受講生皆様の変化について共有頂き、図解を書くだけではなく、図解を基に自分の納得した結論を導き出せるようになっているという部分について、今回の皆様の発表を聞いたり、図解を見させて頂き非常に納得出来ました。また同じ議題なのに人それぞれ違った視点を持って、意見を述べていた部分について非常に興味深かったです。日常業務においても、図解で整理し意見を出し合うことで、本当に考えるべきことは何か、自分自身の考えがよりクリアになってくるのではないかと感じました。引き続き図解を意識して使用し、自分自身の考えをまとめられるように努力して参ります。次回もよろしくお願い致します。
  • 選挙について考えたことがなく、それを図解にするなんてことは想像もできないことでした。先生から提供いただいた新聞記事と都議選の位置付けなど講義を受けて、個人の関心や主観で作成をしてよいとのことだったので、改めて新聞記事を読み、私が注目したポイントだけを抽出して図にしました。私が注目したポイントはコロナと経済対策の2つです。その中でも多くの政党に共通していたことは経済を回復させ、かつ給付や教育・医療を無償化するというものでした。経済状況がよくないなか、その2つを同時に進めることができるのか疑問です。文字だけでみると国民に寄り添った政策とみえるかもしれませんが、財源はどこから持ってくるのか、国の恩恵を受けられる人と受けられない人に精神的かつ経済的な逆格差ができるのではなかと、個人的に疑問に感じることや腑に落ちないことを発見する時間になりました。政治のことを意見交換することは少し憚られる気がしておりましたが、図にすると説得力をもって説明できるので、個人の考えに対する偏見がなくなるのではないかと感じました。次回の授業も楽しみです。
  • 先生、皆様、本日もありがとうございました。今回の授業もあっという間でした。今回の授業を通じて自分が困っていたところ、分かるようになりました: 関連さ多い図解をどの部分から始まるかと言うことで困る時、自分が興味があるところから始まっても結構だと言うことがわかった。また、図解をする内容が分かっても、図解の形を考える時相当時間掛かっちゃうところは、構想力は大事と言うことが分かった。 皆さんの図解からも色々勉強しました。佐々木さんの完璧な図解、矢田さんのいい考え方、加藤さんの表式図解、三沢さんの繋がり強い図解、小林さんの✲❋∆※などのマークを使った図解は、大変勉強になりました。先生が教えくださったこと、皆様の図解から勉強したことを今回の日本文化の図解で生かしたいと思っています。これからも、よろしくお願いいたします。

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昼食は、京王永山で橘川さんと。新規プロジェクトが目白押し

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「名言との対話」7月2日。堀文子「群れない、慣れない、頼らない」

堀 文子(ほり ふみこ、1918年7月2日 - 2019年2月5日)は、日本画家

女子美術専門学校(現女子美術大学)師範科日本画部入学。在学中に新美術人協会第2回展に初入選を果たす。34歳のとき、第2回上村松園賞を受賞。42歳で夫と死別。54歳で手がけた、絵本『くるみ割り人形』が、イタリア・ボローニャの第9回国際絵本原画展でグラフィック賞を受賞。69歳からイタリア在住。77歳から、アマゾン、マヤ遺跡、インカ文明を訪ね、81歳にはヒマラヤを取材。一つの場所に安住せず、絶えず新しい感動を求めて旅をし、居を変える「一所不住」を自身の信条としていた。亡くなる前年まで、毎年展覧会が開催されている。生涯現役の画家であった。

堀文子は5歳で関東大震災に遭遇している。しっかり者の母も含めてみな我を失っていた。一人年取ったばあやだけが冷静だった。そのばあやが総大将になって冷静に大震災を乗り切った。なぜその婆やは冷静で沈着だったか。この人は1955年の安政の大地震の経験があったからだ。マグニチュード6.9、その32時間後にマグニチュード8.4の南海地震が起きている。そして翌年に安政江戸大地震が続く。つまりこの3つの地震は連動していた。ばあやは、安政の大地震を知っていた。長生きをするということはこういうことだ。幼い文子は「あるものは滅びる」って声が電流のように全身を貫く。幼い心が悟りを受けた。この世は無常だ。一切なくなってしまうという人生観で自然を描き続けたのである。
箱根の成川美術館には100点を超える堀文子コレクションがある。「何かをやっている人というのは、それが運命なんですね。好きだから、などというものではない。私もただこの道を行く方がいいという予感があっただけ。六十を超えて、ようやくそのことがわかってきた気がします」。この美術館山本丘人と堀文子」展をみたことがある。二人とも「同じものは描かない」という信念を持っていた。師の山本丘人「表現の方法を新しく模索して、その作品は自らの心象風景として昇華していく」。堀文子は「たえず興味や関心の対象を変える」とし、常に新境地を生み出し、「私には一貫した画風はない」と語っている。
「花の画家」と呼ばれる日本画家・堀文子の「サライ」のエッセイを私もよく読んだ。また雑誌「致知」にインタビューが出ていたのを興味深く読んだ。
  • 、、皆さん、褒めてくださいます。貶す方はおりません。危険なことです。
  • 恐怖の連続です。そして絶えず、ああ、ダメだ、無能だと思う。その無念が私の道標で、私に絵を続けさせている原動力です。満足したことはない。
  • 大抵は若い時にちやほやされて、ダメにされるんです。
  • 自分を堕落させるのもよくするのも自分なんだ。
  • 安全な道はなるべく通らない。不安な道や未知の道を通っていくとか、獣道を選ぶとか。大通りはつまらないと思っている人間で、それがいまでも続いている。
  • いつ不安の中に身を置いて、昨日をぶち壊していくということです。ですから学ぶよりも「壊す」というのが私のやり方です。そして過ぎたことを忘れることです。
  • いつも自分を空っぽにしておくということです。
  • 私には必ず不安なほうを選ぶ癖があります。そのほうが初めてのことでビックリするから元気が出ます。とにかく自分をビックリさせないとダメです。

堀文子は「群れない、慣れない、頼らない」「闘わず屈服せず」という厳しい生き方が信条だった。そして「最後の最後まで、少しでも、一ミリか二ミリでもいいから、上り坂でいたいと思います。そして惨めに死ぬのではなく、生き生きと死にたい、と思っております」と語っていたとおりの生涯を送り、享年100のセンテナリアンとなった。人生100年時代の生き方のモデルの一人である。

 
堀文子「ホルトの木の下で」

 

」(幻戯書房