万葉歌碑の旅ー志高湖、奈多神社。ペテロ岐部、江口章子。

国東半島の海沿いを巡る旅。

志高湖の万葉歌碑。

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別府湾に面した奈多神社。
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奈多神社の万葉歌碑。
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殉教者ペテロ岐部の銅像
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長崎鼻江口章子(北原白秋の)の妻の歌碑。
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「名言との対話」8月4日。小菅桂子「職人さんの人生の味作りに、舌鼓を打っていただけたら幸いである」

小菅 桂子(こすげ けいこ、1933年8月4日 - 2005年8月10日)は、日本の料理研究家。専門は食文化史。

小菅桂子「にっぽん味の職人物語」(新潮社)を読んだ。

コロッケ、パン、駄菓子、鮨、西洋菓子、かるめら焼き、すっぽん、地酒、味噌、インドカレー、鰻丼、洋食、せんべい、とんがらし、 芋、栗菓子、餅菓子、飴、、など料理の職人たちへのインタビュー集だ。

職人と言う人種は、よほど心を許さない限り多くを語ろうとしない。本音を話してくれるようになるまでにはとにかくかなりの時間がかかる。本音で付き合おうという気持ちになった時、初めてざっくばらんな口調に変わり、苦労話や秘伝、エピソードなどを惜しげもなく語ってくれる。小菅桂子は、それぞれ長い時間をかけて、そういう場面を作り出し、それを書き留めたのである。

 

コロッケもビールと同じでね。基礎がしっかりしていないといいものは揚がらないってことですよ。

私は職人は技を超えて芸を売るようにならなければ本当の職人だと思いませんね。技だけだったら職工だね。

魚は、毎日河岸に行かなければ、なかなか分かるもんじゃあない。

舌というものはやはり訓練しませんとね。いつもいいものを口にしていれば舌訓練されて、味覚に対して肥えてくる。

なぜ炭を使うかって? 炭じゃないと本当に火が通らないの。

うなぎ職人は昔から「串打ち3年、板8年、火鉢一生」といわれていますが、本当にその通りで、一通り身につけるのに地道にやって十年。だからやっぱり一生仕事じゃないですか。

味噌作りほど気をつかう、そして気の長い仕事はないと思います。ちょうど子供を育てるような仕事ですな。

後から考えてみると、やはりコツコツ勉強していたものはみな独立したり、有名店の料理長になっていますね。

何をやったって難しいですよ。ひとつひとつに心をぶち込まなくなくちゃ。、、、長いことチーフの下にいてニ番、三番で修業をした人はいい仕事をしますよ。

焼き方あたりからそろそろ一人前ですが、煮物ができなかったら料理人じゃないですね。料理人で商売しても煮方を一生懸命やった人の商売は続いています。

中国料理というと「食は広州にあり」という言葉を思い浮かべる。それは以前のことで、「食は日本にあり」、いや「食は東京にあり」。

足袋屋の職人でもそうですが、仕事をしている時見てごらんなさい。身体が左右に動いていますよ。このリズムがちゃんとしていないと、仕事というのはうまくいかないんです。第一仕事ははかどらないし、このリズムがつかめない人はいい職人になれないですね。

側の人は90点とか100点とか言ってくれますが、自分で採点したら65点くらいじゃないですか。材料と腕は5分と5分。手間を十二分にかけないとおいしいものはできません。それと心づかい、気くばりですね。よく考え研究すれば、もっともっとおいしくできると思うんですよ、私は死ぬまで研究だと思ってます。

 

この本のあとがきでは、「職人さんの人生の味作りに、舌鼓を打っていただけたら幸いである」と述べている。専門の学識と現場を知る者として、その力量を存分に発揮した作品となっていると思う。まさに職人人生の味作りに、舌鼓を打って読んでしまった。この仕事自体が職人的な仕事である。