四十九日。初盆。納骨。

朝の散歩:近所の貴船神社

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貞雄寺。
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久恒貞雄の銅像

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久恒 貞雄(ひさつね さだお、1870年5月24日(明治3年4月24日) - 1950年昭和25年)5月10日)は、大正から昭和時代前期の政治家銀行家実業家貴族院多額納税者議員衆議院議員(1期)。

豊前中津藩下毛郡上宮永村(豊田村、中津町を経て現中津市)に生まれる。生家は平凡な農家で、青年期は種物売りや荷馬などで稼いだ。近衛歩兵連隊に入隊し、日清戦争に従軍。帰朝後の1897年明治30年)1月、福岡県田川郡弓削田村(後藤寺町を経て現田川市)に赴き、田川採炭に入社するが程なくして退職する。他にも採炭会社を転々としたが長く続かず、自ら石炭商を開業。ついで日露戦争に従軍し、帰朝後に採炭業を始めた。漆生炭鉱を買収し、下山田、猪ノ鼻と鉱区を広げ、久恒鉱業を設立。1920年大正9年)同社社長に就任した。ほか、下毛銀行、大分商業銀行各頭取、筑豊石炭鉱業組合理事長、福岡県土木調査委員などを歴任した。

1928年昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙では福岡県第2区から立憲政友会所属で出馬し当選し、1期務めた。ほか、1932年昭和7年大分県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1939年昭和14年)9月28日まで在任した

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メインイベント:宝蔵寺で母の四十九日。初盆。納骨。

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宇佐の大分県立歴史博物館で公開中の「久恒氏関係文書」を見る。

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富貴寺

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浄土。

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別府にて家族の打ち上げ。
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「名言との対話」8月3日。観世栄夫「伝統は守勢に立たされると衰退する」

観世 栄夫(観世榮夫;かんぜ ひでお、1927年8月3日 - 2007年6月8日)は、シテ方観世流能楽師、俳優オペラ演出家

一時喜多流に転流して後藤得三の芸養子となり、後藤 栄夫(ごとう ひでお)の名で活動したが、その後後藤との芸養子を解消して観世流に復帰した。

『華より幽へ 観世栄夫自伝』(白水社)を読んだ。以下、能楽界の革命家の言葉を抜き出した。

・能は自分の体を自分の思う通りに動かせるように、作り上げていかねばならない芸能である。

・毎日の稽古は義務感ではなく、自分が今日ここにいて、明日の目的を持って、そこへ向かっていく姿勢が汲み取れた。その強固な姿勢がなければ、毎日の稽古は単なる繰り返しになってしまう。

・ぼくがこだわったのは、自分が教わってきたこと、自分がやってきたことしか理解できないということである。

・伝承や伝統が断絶して、危機感が生まれたときの方が、伝統より意識するようになり、伝承や伝統が生き生きと蘇生するような気がする。

・危機感は、新しい伝統を生み出す最大の要素ではないだろうか。

・伝統の批判的摂取

・先人を批判して、その批判した人をその次の人も批判して、その中で残っていくのが伝統ではないか。

・舞うための呼吸ができる身体、その筋肉を鍛えていく方式である。喜多流にはその肉体を作り替えていくメソッドがあった。

太夫は一朝一夕には養成できない。太夫は楽器のように、自在に声が出る身体に作り変えなければならない

・能の持つ歴史は重い。誰がなんと言おうと、600年間繰り返し上演されている、伝統の重さである。

・能を演者の立場ではなく、演出家の立場で見ることをかけていると思った。

・能のシテは、ある意味で演出家である。

能楽界から離脱することになった演出家の目は、演劇やオペラの演出によって開かれていたと思う。

・演出家の目を鍛えるためによほど嫌いなものでない限り引き受けた。

・僕は演出的な視線を持った能があるべきではないかと思っている。

・能は一人の能役者の人生が反映される技術である。

・舞うたびに新しい発見がある。いつも課題を突きつけられる思いだが、同時に体力気力が必要な能である。

・様々なジャンルの俳優のぶつかり合いは、その長所や短所がよく見える。

・免疫学者で能作者の多田富雄先生が、「命の井」という脳死の能を作った。心臓移植がテーマである。「望恨歌」を作ったこれは従軍慰問題なども語れる能である。「原爆忌」という新作。

・現時点で「現代」を扱っているのはほとんどない。最終的には、現代としての様式ができない限り、現代を語り切れないと思う。

・能は室町期、観阿弥世阿弥父子中心とする大和猿楽の一座によって先行の諸芸能の要素を吸収して大成した。

・脳の基本はすり足を基本としている。腰が入った構えである。

・全神経、全筋力を一瞬のうちに働かせるのは、日常の稽古よって創られたた身体と深い呼吸法である。

・深く強い呼吸法と精神の集中力、持続力があって、初めて能は成立するのである。

いくらか今までの能からはみ出していかないと、どうしても新しい様式は生まれない。新しい内容に則した技術は、今までの技術では処理しきれない。必ず無理がある。

・芸術は社会的存在だと思う。芸術に社会性がなければ意味がないとさえ思う。

観世栄夫の思想と行動は、「伝統は守勢に立たされると衰退する」に集約されると思う。外に向かって開いていく、新しい分野と出会う、現代社会の課題と向き合う。そういう姿勢が伝統を蘇生させる。