「東京オリンピック2020」のアスリートたちの言葉から1

二つの台風の間を縫って、自宅に戻りました。

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大橋悠依 「まだ夢みだいなんですけど、泳いでいてすごく楽しくて。本当にそれが、自分が水泳をやっているすべてかなって。やってきたことは間違ってなかったし、楽しいレースができたと思います」

五十嵐カノア「金メダルが取れなくて悔しいですけど、海の神様にありがとうと思いました。初の五輪で良いサーフィンを見せることができて、日本のためにメダルも取ることができました」

 都筑有夢路「めちゃくちゃうれしい。メダルを取ったことで、サーフィンを日本中の人に知ってもらえたらうれしいです」

 堀米雄斗「自分は江東区で生まれ、スケボーも江東区で始めました。いまだにオリンピックに自分がいることが信じられないです。江東区でベストの滑りができて、本当にうれしい。スケボーの楽しさや、奥深さをみんなに伝えていきたいです」

 大坂なおみ「母国である日本でのオリンピック開催で、日本代表としてこの大きな舞台に立てたことは私にとって夢のような時間であり、とても誇りに思っています。今の自分にできるプレーをさせていただきましたが、皆様の期待に応えることができずごめんなさい。私自身も今はとても悔しい気持ちですが、これからもテニスプレーヤーとして頑張っていきます」

トーマス・デーリー「私はゲイで、金メダリストです。オリンピックチャンピオンは長年の夢でした。まだ実感がない。自分のストーリーを伝えることで、人々の意識を変えることができると思っています」

西矢椛「うれしすぎたから、涙がこみあげてきました。世界で知らない人がいないぐらい有名になりたい。パリ五輪にも出て、優勝したいです。スケボーは楽しいし、面白いからみんなやってほしいです」

中山楓奈「(西矢)椛が1位にいたので、逆転しようと思ったけどダメでした。観客がいなかったから、いつもよりプレッシャーなく滑れたと思います。(次のパリ大会に)出られるなら、出てみたいです」

上野由岐子「もう本当、感無量です。これが自分が背負っていたものだし、このマウンドに立つために13年間いろんな思いをして、ここまでこれたと思うので、投げられなくなるまで投げてやるって、先発に立ちました。諦めなければ夢は叶うと伝えられたと思うので、これからソフトボール競技はなくなりますが、諦めることなくしっかり前に進んでいけたらいいなと思います」

大野将平「子どものころ好きで始めた柔道が、リオ五輪以降嫌いになって。何のために稽古をやっているのだろうと、自問自答する日々でした。この大会も自分は何者なのか確かめるために、証明するために闘うことができました」

阿部一二三「(兄妹での金メダルは)歴史に名を刻めたというか、歴史を塗り替えられたと思います」

阿部詩「兄もしっかり優勝してきてくれたので、本当に家族一丸となって達成した金メダル。本当に柔道をやってきてよかったという気持ちがあふれ出てきました。さらに強く進化していけるように、頑張っていきたいです」

永瀬貴規「前回のリオ五輪で悔しい思いをして、それから5年間、本当につらい時間の方が多かった。本当にこのためにやってきてよかったです」

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「名言との対話」8月8日。岩井半四郎「女が強いのは家風だ」

十代目 岩井半四郎(じゅうだいめ いわい はんしろう、1927年8月8日 - 2011年12月25日)は、俳優、歌舞伎役者、日本舞踊家

岩井 半四郎(いわい はんしろう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は大和屋。初代から三代目までが上方歌舞伎で活躍する立役、その後は後期江戸歌舞伎から明治歌舞伎においては女形を代表する大看板の一つとなった。ここで取り上げるには、その十代目である。

国立劇場の幹部だった織田紘二は「人脈の豊かさは尋常でなく、付き合いは政界、経済界、スポーツ界から夜の社交界に及び、日本舞踊岩井流の家元としても多岐に渡っていた。俳優としても諸々の役に才能を発揮していたものの、これはという当たり役がないかわり、どんな役でもこなせる器用な人だった。、、他人の蔭口を耳にしたこともなかった。楽屋句会の有力メンバーで常に入賞していた印象がある。役の幅も人間の幅も広く豊かな人だった。そして知る限り「いい男だった」としのんでいる。

長女の岩井友見が書いた『花吹雪 岩井半四郎一家』(扶桑社。プロデュースは残間理江子)を読んだ。父・半四郎の人柄がよくわかる本となっている。名門に生まれたが、少年時代は落語家になるのが夢であった。歌舞伎の天才子役としてデビューすることになる。歌舞伎役者では珍しく大学卒(明治大学文芸科)だ。書道の先生になれそうなうまい字を書く。カメラは二科展に入選するほどの腕前、俳句も大したもの、デパート歩きが大好きで新しい情報をよく知っている。「女が強いのは家風だ」と言っていた。

次女の章子は女優の仁科明子だ。後に松方弘樹と大騒動のうえに結婚する。この女優は私もファンだったから、よく覚えている。

岩井半四郎は役者としても器用な人で、映画、テレビでも、主役から脇役までなんでもこなしている。私もよく知っている。こうやってみると、戒名の圓覚院慈雲良周居士には納得がいく。「悟りを開いた優しい方」という意味である。なるほど人柄にふさわしい戒名だ。戒名とは仏弟子になるということだ。これを機会に誰がどういう戒名をもらったかを探ってみたい。

福沢諭吉は自分でつけた「大観院独立自尊居士」。土方歳三「歳進院殿誠山義豊大居士」。御木本幸吉「真寿院殿玉誉幸道無二大居士」。谷啓「玄妙院殿谷啓雄大居士」。山田風太郎は生前に自らつけた「風々院風々風々居士」。荻昌弘「光映院明徳日弘居士」。金子哲雄「慈雲院殿應救哲心居士」。 橋本 武「教誉愛宝青蛙居士。淡島千景。「華優院慈篤慶純大姉」。立川談志は生前に自分でつけた「立川雲黒斎元勝手居士」。福田恒存「実相院恆存日信居士」。日高敏隆「蝶道院釋真隆」。はらたいら「曼照院智徳道晃居士」。宮脇 俊三「鉄道院周遊俊妙居士」。種村直樹「鉄道院周遊俊妙居士」。中村元「自誓院向学創元居士」。 上甲正典「弄球院正岳秀典居士」。河上肇「天心院精進日肇居士」。徳富蘇峰は生前自ら定めた「百敗院泡沫頑蘇居士」。夏目漱石「文献院古道漱石居士」。宮崎滔天「一幻大〇生居士」。小栗上野介「陽壽院殿法岳浄性居士」。近親者では、義父は「徳風院慈温英俊居士」。義母は「寿照院慈室静眼大姉」。父は「照山道順居士」。

今年亡くなった母の戒名は、菩提寺の宝蔵寺の住職と相談してつけた「明香院啓歌慈風大姉」である。人生の総括と人柄をあらわす戒名に興味を持った。福沢諭吉徳富蘇峰山田風太郎立川談志のように、生前に自分でつける人ももいることがわかった。