ゆるやかに始動。

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スケジュール確認。「全集3巻」のチェック。 読書。

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「名言との対話」8月9日。黒柳徹子「『私、これじゃなきゃダメなの』と決め込んだりしないことが大切ね。いくつになっても変われる可能性があると思うと、ワクワクするじゃない?」

黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ、1933年(昭和8年)8月9日- )は、日本の女優、司会者、作家。

東京都出身。1953年にテレビ女優第1号としてNHK放送劇団に入団。1954年、ラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』で初主演。多くの人気番組に出演し多忙を極める。1961年、文学座研究所に入所。1971年にはニューヨークに1年間留学。1976年より『徹子の部屋』がスタート、2011年には「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」としてギネス世界記録に認定された。『ザ・ベストテン』や『NHK紅白歌合戦』など音楽番組の司会、『世界・ふしぎ発見』のレギュラー解答者、舞台女優などマルチに活躍。

徹子の部屋』。「編集をしないこと」。1976年から40年目にして、放送回数通算10000回を達成した。同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持者としてギネス登録されている。現在も記録は更新中だ。

NHK紅白歌合戦』。通算6度の司会はNHKアナウンサー以外の女性の最多記録だ。

1981年、『窓ぎわのトットちゃん』を刊行。トモエ学園校長の言葉「君はほんとはいい子なんだよ」に励まされたエピソードがある。累計800万部の「戦後最大のベストセラー」で世界35カ国で翻訳された。印税で社会福祉法人トット基金」を設立。

ユニセフ親善大使」。1984年よりアジア人として初めて就任し、その後最古参のメンバーとなっている。年間報酬は、形式的に1ドル受け取るだけで、「ワンダラーマン」と呼ばれるが、黒柳はワンダラーウーマンとなっている。

黒柳徹子の言葉。

・テレビは、平和な世の中を作る事が出来るものだと思っている。

・自分のしている事が好きで、生き生きしている人には引きつけられます。

・どれだけ忙しくても、時間は作ろうとすれば作れるの。

・まず、くよくよしないこと。人と自分を比べないこと。比べる人、多いんですけど、比べても意味ないことですから。

・スクワット50回にウォーキング30分は、毎日やってます。

・仕事の話がくると、これは好きか子供に見せられるか、この二点だけを基準にしてきました。

・とにかく自分が何ができるのかを考えて、それで生きていけばいいと思います。

・老人とは、気分が動かなくなった人のこと。

・人間というのはいつも、志を高く持って生きていかなければいけないんだなということが、だんだんわかってきたように思います。

『あの日の「徹子の部屋」』(「朝日文庫)を読んだ。初回の森繁久彌から始まって、お母さんと呼ぶ沢村貞子、自身を見出だし「元気におやりなさい。元気に」と励ましてくれた飯沢匡など16人が登場する。黒柳徹子は本音を聞きだす名人だ。

・萩本欣一「一番小さいところで自分が一個として、その存在がわかるところがいいってんで、一番小さいとこ、ということでね」

杉村春子「自分で選んで歩き出した道ですもの」

三国連太郎「出会いが運命という、一つの軌道をつくるんじゃなでしょうかね」

武満徹「演出家や台本によって、自運の知らない面を引き出されるってことが、とってもあるんですね」

三波春夫「日本の歌を、日本の着物で歌いたい」

大滝秀治「最終的には「あいつ、うまいんだか、まずいんだか、わかんないけど、いいなあ」なんていうふうに言われることがあれば嬉しいな」

水谷八重子「自分のしたいことよりは、こううことをしていくんが、自分の道じゃないかしらんと、おぼろげにわかって、それから芝居を真剣にするようになりました」

最後に、黒柳自身がインタビューを受けている。「自分がやりたいように生きていくためには、人とケンカをしないのが一番の近道です」。2016年10月に「『徹子の部屋』も五十周年まであと十年は続けていきたいですね」と答えている。2026年までは続くということになる。

黒柳徹子のことを書いていて思ったのは、「好奇心と行動力と継続力」の凄まじさだ。八面六臂の活躍、世界中を相手に飛び回る気力と体力、そしていったん始めたら止めないで続ける姿に改めて感銘を受けた。いつも自分が固まらないように、新しいことにワクワクしながら踏み込み、自分を変えようとしている人だ。改めて「徹子の部屋」を楽しもうと思った。