マリー・ローランサン美術館(ホテルニューオータニ・ガーデンコート)

マリー・ローランサン美術館。

マリー・ローランサン美術館は、高野将弘が蒐集したコレクションを中心に、画家の生誕百周年を記念して、長野県蓼科高原に設立された。2011年に閉館。

ホテルニューオータニ・ガーデンコートに、2017年に再度開館した、女性画家マリー・ロランサンの世界で唯一の専門美術館。油彩、水彩、デッサン、版画、挿絵本その他、600点以上の作品を網羅。写真や書簡なども多い。

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マリー・ローランサン(Marie Laurencin, 1883年10月31日 - 1956年6月8日)は、20世紀前半に活動したフランス女性画家彫刻家

 第一次大戦前には、繊細でけぶるような色彩やリズミカルで優雅なフォルムを駆使して、愁いを含んだ瞳の少女を描いた。エコールド・パリと呼ばれた時代に、経済的にも自立した最初の女性画家の一人となった。

戦後のパリでは、優雅さと官能性を備えた美しい女性像は圧倒的な人気を博す。マリーは舞台芸術や衣装デザインなどの応用芸術でも高い評価を得て、40歳では時代の寵児となる。1920年代後半からは、色彩も豊かになり、華やかな作風になる。

テレビ朝日系列で放送中の黒柳徹子司会のトーク番組徹子の部屋」では、番組のセット1976年の第1回放送から1990年までは、マリーの作品の絵画をセットの一部に設置していた。

お針子の母の私生児として生まれる。若き日の恋人は私人のアポリネール。ドイツ人男爵と結婚、離婚。  日本人では、澤田美喜と48歳の時に会っている。マリーは、バイセクシャルでもあった。73歳で没。

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「名言との対話」10月28日。松尾孝「生涯一人一研究」

松尾 孝(まつお たかし、1912年7月15日 - 2003年10月28日)は、日本実業家カルビー創業者。享年91。

18歳で家業を継ぐ。戦後の極端に栄養の悪い状態をみて「健康にいい、栄養のあるお菓子をつくること」を志した。1955年、カルシウムとビタミンB1を組み合わせて、社名をカルビー製菓とする。

アメリカからの救援物資の小麦粉と、車エビの餌になっていた小エビであられをつくろうとし、油で揚げて塩をまぶす「かっぱえびせん」が誕生する。1968年「やめられない、とまらない」のキャッチコピーでCMを開始しブランド化に成功、以降爆発的に売れた。1970年には「ポテトチップス」が人気商品となり、3年目には単品で200億円の売上を達成し1980年ごろにはポテトチップス全盛期を極めた。

鮮度にこだわり、菓子業界で初めて商品に製造年月日を表示するなど、日本のスナック食品市場確立の多大な貢献により1976年に藍綬褒章を受章、1980年には農林水産大臣賞を受賞した。

 引退後も、「じゃがりこ」や「じゃがポックル」などの製品開発に取り組んでいた。じゃがりこの製造責任者だった現社長の中村一浩は、世界一のポテトカンパニーを目指すとし、日本のジャガイモ産業の改革を掲げている。中期計画では2020年に売上げ350億円、営業利益20億円だが、創業100年の2080年には売上高を1兆円、営業利益を1,500億円という途方もない数字をあげている。ビジネスマン時代の同僚がカルビーに転職したが、今回初めてこの会社のことを少し知った。

松尾孝の創業理念は「未使用資源の有効活用。農工一体の精神。生涯一人一研究」であった。カルビーは、ジャガイモという未使用資源の有効活用を目指し、農工一体の精神で、生涯を一つの分野の研究にかける。この理念を社員にも説いたが、松尾自身も「健康にいい、栄養のあるお菓子をつくること」という志を具体化した、ジャガイモを用いたスナック食品の研究開発に生涯を捧げている。「生涯一人一研究」は、誰もが心に持ちたい言葉である。