横尾忠則『創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集』(SBクリエイティブ)

横尾忠則『創造&老年』(SB Creative)を読了。

横田忠則は70歳になった頃、「したいこと」しかしない生き方に切り替えた。絵を描きいていくうちに創作が身体の中にエネルギーを発生させていることに気づく。

そこで80歳になって、80代、90代の自分より年長者の現役芸術家に会って「肉体と精神の交流から生まれる人生観」を聞き出そうとした3年間の記録である。 

 

 横尾忠則

「見たことのない自分や作品に出会いたい」「一枚でも多く絵を描きたい」「創造の快感は感性への道程のプロセスにあるわけだから、完成はどうでもいいんです」「釈迦の霊泉」「小説家は社会を相手に闘っている。絵描きは宇宙を相手にしている」「完成はない。ぜんぶ未完のまま。プロセスしかない」「無限の遊び、無限の行為が絵にはある」「ものを創る人間は長生きする。そのお理由はたった一つ。そんなこと考えていないってこと」「長き生きると作品の数が増えていくかなと、それだけ」「輪廻転生を信じている」「あえて失敗に挑戦するのが創造の醍醐味」

瀬戸内寂聴95歳「小説を書き始めてから、一日も休んだことがない」

磯崎新86歳「老人っていうのは、なかなか考えつかなかった」「身体が先」

野見山暁治94歳「アトリエ日記」「年をとたっという自覚がない」「人間だけが自分の年齢を知っている」「絵の学校に行くのが一番いけない」「頭は空っぽ」「毎日同じ画面に向き合う」「絵を描くことで、元気はエネルギーが自分の中に湧き出る」

細江英公84歳「偶然というのは自然の一部、、、その偶然を、自分のための必然にできるかどうか」「才能とは運を使う能力」「年齢は意識しない」

金子兜太98歳「私は他界があると信じている」「次の世界があるということでいいんですよ。そういうふうに考えた方がずとおいい」「「見えないものを感じとることこそ、ものを創る根幹になる」「私は経験だけをしゃべっています」「

・李兎かん81歳「絵を描いている時間が本当に生きている時間」「年齢意識、恐らく僕もあんまり考えたことがない」「自分に何が出来るか、自分がどうしたいか」「表現の根源は、使命感とか正義とかそれを通り越して、一種の業みたいなものかな」「狂気というか無意識と言うか」「AIは知識の総体ではある。人間は違う。無限の可能性を見せるのがアートだ」「身体には宇宙とおんなじくらいの広がりがある。肉体には皮膚がある。外との関係。脳にはない」「レンブラントの自画像。自己から突き抜けて他者性というか無名性に達している」

佐藤愛子94歳「80代までは年のことなんか感じることなかった」

・山田洋二86歳「次はもうちょっといいものをつくりたい」「年齢は感じないことにしています」「仕事っていう課題をいつも自分に課しておきたい」「老いは作品に必ず良い影響を与えるはずだ」「

・一柳彗84歳「これから80代の本当の挑戦が始まる」「年をとってからのほうが、新しい発見、芸術への情熱mハングリー精神、自由な発想をラクに持てるようになりました」「年を重ねて、雑事を減らして、作曲と向き合える時間が増えるのは幸せなことだ」「各種の芸道の内容は今も新しく新鮮」

最後の横尾忠則インタビュー。

・常に燃えている状態に自分を置いて置く。

・クリエイティブな行為に目的があるとすれば、それは「プロセス」なのです。

・芸術家にとって一番必要なものは「勇気」、イコール「遊び」

・答えは全部、自分の中にある。

・長生きするということは、未知の世界、未知のゾーンに入る。今までとは違って感じられる。それが新しい創造につながっていく。

・老化がどういう形でこれからの絵につながっていくのか、楽しみ。

・個人の領域を深く掘り下げていけば、汲めども尽きぬ深い井戸のようなものを持っているはず。

・未完で生まれて、未完で生きて、未完で死ぬ。

・創造寿命。

3年間に及ぶインタビューを終えて、「年齢を考えない」ということが、ほぼ全員の共通のキーポイントだと結論付けている。また「絵を描くという行為が、体に影響を及ぼしてきて、肉体を活性化しているという感じ」を持つ横尾は「身体感覚、身体知性、そういうものに創作行為や芸術活動をゆだねていこうとしておられるように感じました」と総括している。

横尾忠則は青年期はグラフィックデザイナー、45歳からの壮年期と65歳からの年期は画家であった。そして80歳からの95歳までの熟年期を迎えるにあたって、熟年期で活躍している先達に自分の考えをぶつけてみたというように私にはみえる。

この本の企画は横尾忠則が80歳だったため、自分より年長の80代、90代のアーチストへのインタビューとなった。横尾のグラフィックデザイナーから画家への転身は45歳だった。過去の実績の上にあぐらをかいた生き方をしたくない。新しい道に進みたくなった。既存価値が崩れる。それが快感、崩落の先に新しい道が見つかるという感覚を持ちながら進んでいくことだろう。熟年期以降の横尾忠則の変化に注目していきたい。

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「名言との対話」8月13日。長谷川常雅「まずい!もう一杯!」

 長谷川常雄(1933年8月13日ー2018¥9年5月27日)は、経営者。

京都出身。同志社大学を卒業。大塚商会に入社し、転勤で福岡に赴任。その後6年半を経て、「大きくなったら商人になる」との志のとおり、退職して独立する。

福岡で最初はお菓子屋、次は卵焼き屋、そして冷凍食品へと事業を広げていく。長谷川製菓株式会社の社長であった45歳のとき、脳血栓で倒れる。なかなか回復しない中、青汁関係の本を読み「最後の挑戦だ。青汁を飲んでみよう」と決心する。毎日5合飲んだら3日目に頭痛が消えた。奇跡であった。この青汁との出会いで長谷川は健康を取り戻す。

この体験から『この青汁を流布させることで日本人の健康に貢献したい』と使命を新たにする。その結果、「まずい!もう一杯!」というキャッチコピーで有名なCMで一世を風靡したキューサイの創業者となる。

1995年発刊の鶴時靖夫『「キューサイ青汁」大研究』(IN通信社)を読んだ。1995年に『キューサイ』に商号変更をするときだ。キューサイとは「九菜」である。

生のままで絞った青汁は、高血圧、便秘冷え性、顔色の悪い人、風邪をひきやすい人、アレルギー体質の人に効果があるといわれる。長谷川が原料で使った「ケール」はキャベツやブロッコリーの原種である。南ヨーロッパ原産のスーパー野菜である「ケール」を完全な無農薬で有機栽培し、マイナス20度Cで宅配するシステムをつくりあげた。

1997年に株式を店頭公開。1999年には東証二部、福証へ株式を公開し上場企業の仲間入りをする。2000年にケールの調達先である農事組合がキャベツを混入させた問題が発覚。赤字に転落する危機があったが、原料のケール調達を直営工場に切り替えるなどして信用回復。再び業績を伸ばした。「常に危機感を持て」が信条であった。

福岡中小企業同友会においても熱烈なリーダーシップを発揮していた。「事業計画作成部会」において中小企業経営のレベルアップのために貢献し、多数の信者をうみだし、一時は「教祖的役割」を担っていたという。

ヒットを打ち続ける中、2006年、キューサイ投資ファンドと組み株式を市場から買い取るMBO形式でTOB(株式公開買付)を実施。一族は応じ、経営権を手放し長谷川も勇退する。その3年後の10年に当時のコカ・コーラウエストキューサイの全株を引き取っている。

2019年5発16日に配信されたビジネスニュースによると、400億とも500億ともいわれる大金を手にした長谷川は73歳からロンドンで5年間暮らすが、望郷に思いがつのり、それから日本に戻っり、85歳で没している。

この人の実際の心境はわからないが、成功し大金を手にし、引退した後の人生をどう過ごしたらいいのか、考えさせられる事例だ。