「多摩よこやまの道」の名所「防人 見返りの峠」ー「赤駒を 山野にはかし 捕りかにて 多摩の横山 徒歩ゆか遣らむ」

「多摩よこやまの道」の名所「防人 見返りの峠」にやっと来ることができました。

「赤駒を 山野にはかし 捕りかにて 多摩の横山 徒歩ゆか遣らむ」

(豊島郡の上丁の荒虫の妻の宇遅部黒女

馬が山野に逃げてしまったので、夫には多摩の横山を歩いて行かせることになってしまった。可哀そうだ。

豊島郡(現在の荒川区、北区、板橋区、文京区)や、東国の防人は国府である府中に集合して、多摩川を渡り、多摩丘陵を越える。そして東海道を辿り、浪速津(大阪)まで行く。その後、船で瀬戸内海を通り、博多までの長い道中をゆく。

この見晴らしの良い横山の高台では、関東各地からきた防人たちが、はるばる来たなあと故郷を偲んだだろうと感じられる。それをあらわす万葉歌だ。

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海抜145mの見返り峠からは、左の富士山や丹沢山系、右の秩父山系、狭山丘陵が眺望できる、絶景。多摩川に面した多摩市連光寺から、町田市相原、相模原市城山町の三沢峠まで、24キロの尾根であり、多摩丘陵の背骨とも呼ばれている。
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「見返り峠」に建つこの塔は歴史来街道団が平成29年に再建したもの。

この道を歩く夫婦連れをよく見かけた。
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・「多摩よこやまの道」を直接歩く人は多いのだが、尾根幹線道路の歩道から直接登る階段もあった。しかし、道標がないので知られていないのは残念だ。

・歌碑が建っていないのは、不思議な感じもした。有名な「赤駒を 山野にはかし 捕りかにて 多摩の横山 徒歩ゆか遣らむ」の歌碑があれば、名所になるだろうに。

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名言との対話」9月7日。ダニエル・イノウエ「私が米国人であることを疑う人はいないと思いますが、同時に私は誇り高い日本人であります」

ダニエル・ケン・イノウエ(Daniel Ken Inouye、日本名:井上 建〈いのうえ けん〉、1924年9月7日 - 2012年12月17日)は、アメリカ合衆国の政治家、軍人。

父は福岡県、母は広島県出身でハワイ生まれの日系二世。ハワイ大学マノア校在学中に真珠湾攻撃があり軍隊を志願する。アメリカ陸軍最強部隊として米陸軍史に刻まれる第442連隊に所属し、ヨーロッパ前線で戦う。有名な442部隊は「Go for break」(「当たって砕けろ」)が合言葉だった。右腕を失うが戦功をあげて英雄となる。帰還後、右上での損傷で医学志望をあきらめ、ハワイ大学政治学を専攻した。

1954年には準州であったハワイ議会の議員に当選した。1959年には民主党からハワイ州選出の連邦下院議員に立候補し当選し、アメリカ初の日系人議員となる。1963年には上院議員となり、50年近く在籍した。上院民主党の重鎮議員の1人となり、実質名誉職ではあるものの大統領継承順位第3位の高位の役職だである上院仮議長に就任する。

1980年代には対日批判の急先鋒、2007年には慰安婦問題に取り組む。日米の調整役でもあった。ニューヨーク・タイムズ紙や英国のガーディアン紙はイノウエ氏を、「ステーツマン(statesman)」と書いていた。政治屋を示すポリティシャンではない。政治家である。ニューヨークタイムスは「目立ちたがらない。自己主張しないで人に道を譲る」という伝統的な日本人の美徳を生涯持っていた。しかしここぞという国家の危機では前面に出て、解決に努力した」と」賛辞を送っている。

駆逐艦に「ダニエル・イノウエ駆逐艦」という名前がつき、ハワイホノルル空港は、2017年4月27日から「ダニエル・イノウエ国際空港」という正式名称になった。

ハワイ州のデビッド・イゲ知事は2014年12月1日に史上4番目のハワイ生まれの州知事として就任した。ハワイ州知事の中ではジョージ・アリヨシに次ぐ2番目の日系人で、沖縄にルーツを持つ知事としては初となる。就任式では、「過去を敬い、新しい明日を描こう」というテーマが掲げられた。後のアメリカ合衆国上院議員ダニエル・イノウエらと共に第442連隊戦闘団第100歩兵大隊で戦った父への敬意を表す言葉でもある。また知事はハワイ大学マノア校出身で、ダニエル・イノウエの後輩だ。このことも、ホノルル空港の正式名称付与に影響したのだろうと推察する。

欧米には施設に偉人の名前をつける習慣がある。アメリカでは施設や軍艦などにも、英雄などの個人名をつける。例えばジョン・F・ケネディ空港、空母ロナルド・レーガンなど。こういう傾向は他の国にも多い。フランスのドゴール空港、イタリアのダ・ヴィンチ空港、モンゴルのチンギスハン空港など。日本では高知龍馬空港が愛称としてあるくらいしか思い浮かばない。

イノウエの父の故郷である福岡県八女市は、功績を讃えて同市内にある城陽の公園内に、国内外からの寄付金をもとにイノウエの胸像を建立し、今年2021年3月18日に除幕式が行われた。

山崎豊子に『二つの祖国』という本がある。アメリカ市民として生きてきた十一万二千人の日系人は、「敵性外国人」として、有刺鉄線に囲まれた砂漠の強制収容所へと入れられる。自らを生んだ母国と父祖の国の間の葛藤を描いた傑作で、テレビドラマにもなった。また彫刻家の日系二世のイサム・ノグチは、日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれ、アイデンティティを探し求める生涯を送っている。

日系三世のデビッド・イゲとは違い、二世のダニエル・イノウエは、筆舌に尽くし難い苦労もしただろうし、極めて難しい立場であったろうと同情を禁じ得ない。日系人であるという負い目が442部隊での活躍になり、政治家としても日米の間での立ち位置に苦慮しながら第3の道を切り拓いたのだ。日本的精神を胸に、アメリカへの忠誠を疑われるつど、一つ一つの行動で晴らしていく姿には感動をおぼえる。「二つの祖国」問題を解決した生涯だった。