森鴎外記念館。NPO法人知的生産の技術研究会の幹事会。

夜はNPO法人知的生産の技術研究会の幹事会をリアルとリモートの併用で行いました。

2022年以降の組織、人事、活動などについて意見交換し、方向が決まってきました。

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終了後、代々木で飲もうとしたが、どの店も満員で入れなかった。しかたなく、コンビニでビールを買ってきて福島さんと根岸さんとミニ打ち上げ。

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午後、千駄ヶ谷森鴎外記念館で、「森類」展を見てきました。

この記念館への訪問は、2012年のオープン時、2017年の「賀古鶴所という男」に次いで3回目だ。生誕150周年記念事業として千駄木の鴎外旧居・観潮楼跡に建てた森鴎外記念館である。
1962年の鴎外生誕100年では、文京区立鴎外記念本郷図書館に鴎外記念室ができた。私は2005年に鴎外記念本郷図書館を訪問している。2006年には図書館移転に伴い、記念室は独立して本郷図書館鴎外記念室となる。そして生誕150年の2012年、瀟洒で重厚なこの記念館が建った。

森類は、鴎外の末子。鴎外の子であることの幸福と、鴎外の子であることの不幸を描いた朝井まかて森類』の大著を読むことにしたい。

森鴎外』(筑摩書房)も購入。短編の「安井夫人」「最後の一句」と安野光雅「轍と蜃気楼」を帰宅後の風呂の中で読んだ。

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「名言との対話」9月17日。曽野綾子「残っている仕事は重要なことが一つだけだ。それは、内的な自己の完成だけである。自己の完成のために、まさに神から贈られた時間を手にしているのである」

曽野 綾子(その あやこ、1931年(昭和6年)9月17日 - )は、日本の作家。

カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。 聖心女子大学文学部英文科卒業。夫は三浦朱門で同じくカトリック信者。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。

近年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、人気を集めている。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。芸術院会員。文化功労者。 

クリスチャンで美貌のこの女性作家は、1995年から10年間、危機に瀕した日本財団の会長をつとめた。私には意外な人事だったが、保守論客であったことも選ばれた理由だろう。曽野綾子沖縄戦渡嘉敷島 「集団自決の」真実』 を読むと、不確かな情報で、事件や渦中の人を断罪していく危険性について教えてくれている。曽野綾子はこの難ポストをこなした。緒方貞子と並ぶ、国際的な女性という評価だ。

曽野綾子の私日記1と3を読んだことがある。日本財団会長と人気作家という「二重生活」をどのように過ごしているかが、ほぼ毎日書き続けている私日記でわかる。毎週火曜日に行われる執行理事会の幅広い議題、仕事の関係で会う様々な分野のトップ、息抜きに訪れる三浦半島の家での農作業、外務省批判、作家としての心構え(例えば取材費は全部自腹という原則)、財団の仕事での広報の重要性、財団の出張規定の改定(39歳まではエコノミークラス)、夫・三浦朱門の動きや人柄、息子や嫁、孫との交流、淋巴マッサージ、、などの活動ぶりが手に取るようにわかる。公人としての仕事。個人としての作家活動。私人としての妻や母、祖母の役割。見事な毎日だ。
この日記はサンデー毎日、VOICE(2001年7月から2003年9月まで)などの雑誌で連載したもので、それが単行本になっている。このスタイルの日記は現在も続いているはずだ。この日記を書くという行為は何よりの日本財団の広報活動だろう。内外に700億円の資金を配分する仕事で得た経験が、人を見る眼をより確かにし、この人のエッセイを豊かにしていると思う。

今まで、曽野綾子の本は何冊か読んできた。最近は曽野綾子は、私が読んだ『辛口・幸福論』、『人間にとって成熟とは何か』以外にも、「老いの才覚」「人間の基本」「人間関係」「人生の原則」「生きる姿勢」などのタイトルの本を書いている。こういったことをストレートに書ける女性はなかなかいない。実績と年齢が人を聞く気にさせのだろう。飾りもなく、本音で、遠慮なく、人生の機微を語ってくれる人は貴重だ。

名言も多い。

・作家としての曽野綾子は、わたくし本体とは関係のない幻影でしかありません。

・国際的になるということは、その国の人としてみごとな人になることだ。、、、、思想、ものごし、にその人が選んだ人生の筋が通っていれば国際人になれる。

・幸福になる道は、理不尽なものだ。自分自身で泥だらけになって探るほかはない。

・私は大人になって死にたい。それゆえにこそ、簡単に人を非難せず、自分の考えだけが正しいとも思わず、短い時間に答えを出そうとは思わず、絶望もせず落胆もせず、地球がユートピアになる日があるなどとは決して信じず、ただこの壮大な矛盾に満ちた人間の生涯を、実に面白かった、と言って死にたいと思う。

・人間は、老年になったら、いかに自分のことを自分でできるか、ということに情熱を燃やさねばならない。

・仕事が道楽になった時、初めて、その人はその道で第一人者に近くなれるのである。

・都会には実にたくさんの人がいるから、少しくらい得意なことがあっても思い上がる隙がないからである。

・神はいるかもしれないしいないかも知れない。
・信仰を持つと自分の行動の評価を他人に委ねなくなる。誉めたり怒ったりする評価者は神しか考えられない。だから人の目をことさら意識することはなくなり、心が平穏になる。信仰がないと、常に人に正当に評価してもらおうとするから毎日が穏やかにならないのではないか。

・成熟していない人というのはどういう人か。他罰的傾向のある人。定年後にしたいことがない人。人生の雑音から超然としている人。人からの好意を受けるだけの人。論理は正しいがゆるやかに実現するといううまみに欠ける人。無思想な人。残りの人生でこれだけはやりたいというものがない人。成熟している人はどういう人か。謙虚に満たされた楽しい日々で自然に笑顔がでる暮らしをしている人。責任を引き受ける人。川の流れに立つ杭のような人。正義を通すための初歩的な生活の技術という判断のできる人。地理的・時間的空間の中で小さな自分を正当に認識できる人。経済的・時間的に苦労や危険負担をしていて話が面白い人。ものごとを軽く見ることができる人。目立った服装ができる人。

・「国際的になるということは、その国の人としてみごとな人になることだ」(To be ineternational,be national)(聖心)。、、思想、ものごし、にその人が選んだ人生の筋が通っていれば国際人なれる。

・正しくたって間違えたってどっちでもいのだ。お前の兄弟を支持しろ。(アラブの格言)

・国家にも人にも「徳」が大事 

・割引は使わない。対価を払うのが社会にいる「壮年」の務めだ。料理をしなくなったとたん人間は現役から脱落。 

大磯の澤田美紀記念館を訪問したとき、三浦朱門曽野綾子夫妻は「今日をいかに生きるかに悩む人々、未来の原型を過去に見出す能力を持つ人々、殊に若い人々に、このコレクションを見て欲しいと思う」と記念館の入り口にメッセージを残していたことも思い出した。

今回、『心に迫るパウロの言葉』(新潮文庫)を読んだ。

曽野綾子は40歳から聖書の勉強を始めている。原典講義を受けた。涙ぐみ、心の震えがとまらない体験をしている。パウロは自分の生き方の遥かな彼方に、一つの目標の峯のようい輝きながら聳えている存在だったのだ。

聖書、あるいはパウロの言葉。「物の判断においてはあなたがたは子どもであってはいけない。、、物を判断することにおいては、一人前の者となりまさい」。「あふれるばかりに感謝しなさい、快く分け与えなさい」「古い人を脱ぎ捨て、新しい人を身にまとう」「「知恵を用いて、好意にあふれた塩味のきいた言葉を語りなさい」

この本の中で、「私は50歳で初めて私に出会ったのである」。「鏡を見たら、そこに、老婆がいた、と私は思った」「50代になって、世の中が見えてきた、という感じが実に強い」、という記述もある。やはり50歳は一つの危機の時代なのだ。

教育については「人間を超える存在ーーたとえば神ーーの認識がなくて、どうして教育のほんとうの目的を個人が自分の中に設定できるのかと思う」。誰かがみているという意識が大事なのだ。

老年については、「残っている仕事は重要なことが一つだけだ。それは、内的な自己の完成だけである。自己の完成のために、まさに神から贈られた時間を手にしているのである」と書ている。曽野綾子は本日で、卒寿の90歳を迎えた。この人の言動はまだまだ世間を騒がせるだろう。歳を重ねながら、語っていく言葉を追い続けよう。

この本で曽野綾子は長く時間をかけて本を読むことの凄みを教えてくれた。私も、という気になった。「聖書」か、「論語」か、それとも何を選ぶべきか、考えてみよう。