森鴎外記念館で「森類ーーペンを執った鴎外の末子」展ーー私人としての鴎外

森鴎外記念館で「森類ーペンを執った鴎外の末子」展をみてきました。」

生誕150周年記念事業として千駄木の鴎外旧居・観潮楼跡に建てた森鴎外記念館。この記念館への訪問は、2012年のオープン時、2017年の「賀古鶴所という男」に次いで3回目。
1962年の鴎外生誕100年では、文京区立鴎外記念本郷図書館に鴎外記念室ができた。私は2005年に鴎外記念本郷図書館を訪問している。2006年には図書館移転に伴い、記念室は独立して本郷図書館鴎外記念室となる。そして生誕150年の2012年、瀟洒で重厚なこの記念館が建った。

森類は、鴎外の末子。鴎外の子であることの幸福と、鴎外の子であることの不幸を描いた朝井まかて森類』の大著を読んだ。

長兄・ 於菟おと、医学者)、長女・茉莉まり随筆家・小説家)、次女。・杏奴あんぬ、随筆家)と違って、末子の類(るい)は才能は乏しかった。鴎外の子であることから恵まれた環境にあったが、不器用でありための生活苦も経験し誠実な80年の生涯を送っている。文豪の子として生まれた宿命を背負い、何物かであろうと生涯もがき続けた人である。

朝井まかては、この目立たない末子のことを『類』(集英社)という作品にまとめた。この作品は芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。

類という人物についてよりも、公人としては最高の職で働いた軍人、個人としては明治を代表する文豪であり、この二つの生涯を生きた鴎外であるが、家庭における夫、父としての私人としての鴎外の姿を興味深く読んだ。

  • 公人としての鴎外。月、水、金は上野の博物館(帝室博物館総長)。火、木、土は虎ノ門の図書寮(図書頭)に出勤するという日々だった。
  • 家庭での私人としの鴎外。休日はほとんどの時間を書斎で過ごすか、花畑の手入れをしている。笑うべきことを見つめるのが上手。ふだんは和食で飾りけのないものを好むが、贅沢をするときは一流のものを愛した。洋食は上野の精養軒、鰻は山下の伊豆栄。優しさは子どもに等しく注ぐ。生ものは食べない。果物も必ず煮る。煮桃に砂糖、饅頭茶漬け。子どもへの教え方がうまく腑に落ちるように教える。成績については一言も口にしない。出張時には妻や子どもたちに毎日のように葉書を書く。「多種多様な花畑にしている。雑で強すぎる草を抜き、野蛮なものは侵略を阻む。その手助けを少ししてやる」「自然だけは、おいそれと取り返しがつくものではないというのに」
  • 個人としての鴎外。「人間は新しいことを学ぶものだ。学んで、それを実践する」「努力する精神だ。物事を整理して、考えを発展させる力だ。それさえ身につけさせれば、案ずることはない」「おれの本はただでさえ売れない。全集なんぞもっと売れないだろう」「おれの書いたものは売れない。死んでからはもっと売れぬだろう」
  • 二足のわらじという生き方について。「おれはとうとう、役人と文学、二つの道を歩きつづけた」「君も往きたまえ、艱難の道を」。

鴎外は人間としての傑作だ。公人・個人・私人、そのどれをとっても最高の境地である。この本では家庭人としての私人・鴎外を知った。鴎外研究はずっと続けていきたい。

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深呼吸学部:コミュニティ。共有意識。プロセスの共有。

  • キツ:広場でなく喫茶店。参加型投稿新聞。「人生相談。エニアグラム診断。後姿探検隊の写真。名言の部屋。偉人の名言50本。本の部屋100冊。読書悠々。人物記念館。図解塾動画」。
  • 深呼吸新聞:青山。5万円で2000部、好きな地域に配布。日刊新聞も。新聞販売店。「人・旅・本」。
  • 参加型:アクション。自由。双方向。仕掛け。セルモーター

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名言との対話」10月2日。坂田俊文「宇宙考古学」

坂田 俊文(さかた としぶみ、1931年10月2日 - 2020年3月24日)は、日本の情報工学者である。東海大学教授、宇宙航空研究開発機構技術参与。

千葉大学工学部卒。東大助手を経て、1970年東海大教授、1985年同大情報技術センター所長。1996年地球科学技術推進機構初代機構長。地球観測衛星ランドサットの画像処理システムを開発する。地球環境の監視からハイテク考古学まで手がた。人工衛星による宇宙からの地球観測や解析等を手掛けた画像処理工学における第一人者として知られている。

宇宙飛行に関わる重要な仕事にも多く関わっており、毛利衛向井千秋、両宇宙飛行士がスペースシャトル搭乗時に行ったハイビジョンカメラでの撮影をNASAジョンソンスペースセンターから誘導・指示した。

画像情報工学のパイオニアである。衛星画像をさまざまなことに活用しようとする。災害、事故の監視警報。砂漠化も森林資源破壊も汚染も一目瞭然である。「衛星画像で見れば地球は人類のかけがえのない家とおのずと気付くはず」と強調する。

著書に『「地球汚染」を解読する』(情報センター出版局、1989年)、『ハイテク考古学』(丸善、1991年)、『「太陽」を解読する』(情報センター出版局、1991年)がある。 

考古学というのは、現地へ入り、古文書を見ながら穴を掘ったり物のカケラを拾い集めるのが仕事である。

坂田は高度五百キロから調査しようとした。人工衛星から送られてくる地球観測データを画像処理する仕事に励み、「宇宙考古学」を提唱した。『現代』(96年7月号)「宇宙考古学で人類の未来を語りたい」のインタビューでは、人工衛星から送られてくるデータをコンピュータで解析し密林や地中に埋まった遺跡を探査したり古環境を浮び上がらせようという試みについて語っている。チンギス・ハンの墳墓の探査や法隆寺金堂の壁画の復元などを手がけた。エジプトのナイル川に沿ったピラミッド群のなかから未知の物を発見、発掘を行った。

坂田先生にはJAL時代に会ったことがある。「航空文明」というテーマで大がかりなイベントを企画したとき、相談に行った。このとき、宇宙からの画像を見せられて驚いたこと、そしてイベントの肝は膨大な入場者の胃袋をどう満足させるか、つまり「食」であると喝破されて、さらに驚いたことがある。スケールの大きさと人間への理解の深さを感じ感動した。

考古学は、生命科学の進展によるDNA解析による遺跡の分析、宇宙か送られてくる画像の高度処理技術からの視点という情報科学の両面から、革新が行われつつある。人体という小宇宙、と大宇宙から人間の歴史をみる視点は飛躍的に高まった。その一翼を坂田は担った。「宇宙考古学」という鮮明な旗は、可能性に満ちている。