世田谷文学館「描くひと、谷口ジロー」展。

世田谷文学館「描くひと、谷口ジロー」展を先週見てきました。

名前も作品も知らなかったことを恥じる思いがした素晴らしい企画展でした。

谷口ジローは1947年、鳥取市生まれ。京都でサラリーマン生活を送ったのち上京。『犬を飼う』で小学館漫画賞審査員特別賞、『「坊ちゃん」の時代』(原作・関川夏央)で手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。海外にも活躍場を広げ、2003年、『遥かな町へ』で「アングレーム国際漫画祭」のベストシナリオ賞、優秀書店賞を受賞したのをはじめ、鳥取市が舞台の『父の暦』はスペインでも賞を受けた。2011年、フランス文化賞シュバリエを受賞。2017年2月11日、69歳で逝去。

テレビで時々見ている『孤独のグルメ』の漫画を描いた人だった。本名の「谷口治郎」をペンネームで「谷口ジロー」と変えている。カタカタにするとインパクトがあるという例だ。

鳥取市出身。19歳で上京し、漫画家のアシスタントを経てデビュー。92年に「犬を飼う」で小学館漫画賞、98年に作家の関川夏央さんと手がけた「『坊っちゃん』の時代」で手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。久住昌之さん原作の「孤独のグルメ」は、雑貨輸入商を営む男性が1人で食事を満喫する自由を描いて人気となり、テレビドラマ化された。

 海外でも評価され、11年に仏芸術文化勲章「シュバリエ」を受けた。

鳥取市出身。19歳で上京し、漫画家のアシスタントを経てデビュー。92年に「犬を飼う」で小学館漫画賞、98年に作家の関川夏央さんと手がけた「『坊っちゃん』の時代」で手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。久住昌之さん原作の「孤独のグルメ」は、雑貨輸入商を営む男性が1人で食事を満喫する自由を描いて人気となり、テレビドラマ化された。

 海外でも評価され、11年に仏芸術文化勲章「シュバリエ」を受けた。

1956年生まれの小説家、批評家で友人であるブノワ・ペータースというインタビューアーの質問の前に語る理解がいいので、それをピックアップする。2011年8月22日から27日までのロングインタビューだ。

「自分の作品について分析するのは難しい」と本人がいうとおり、インタビューアーの分析が谷口のことがよくわかるという面白い構成になっている。

まず、キャリアの様々な「出会いや出来事」についてからインタビューが始まる。人を理解するときに、私が使う「生い立ち・出会い・出来事」という枠組みは、フランスでも同じだと嬉しくなった、」

  • あなたの作品のステップで重要なものの一つが、『「坊っちゃん」の時代』です。
  • あなたはセリフを重視し、息づかせた。今はなき日本語の美しさがある。
  • 顏の表情や姿勢の正確さは、あなたの作品で驚かされる特徴の一つです。
  • あなたの作品で驚くのは、単純化された人物とほとんど写真的な背景とのコントラストです。
  • 一生勉強を深められるというのは作家の仕事の魅力です。描くたびに新しい題材のスペシャリストになれる。
  • 『歩く人』はフランスで出版された最初の作品でもあります。、、この作品には繊細な絵で描かれた瞑想的な物語があった。、、絵だけで読者をひきつける、、、この劇的魔実験が、その後の作品を飛躍させたと感じます。
  • 孤独のグルメ』、、、原作者の久住昌之とともに、瞑想的な発想と、漫画の読者が受け入れやすい地点を見つけたように思います。
  • フランスでは特に代表作の一つとされる『神々の山嶺』です。長さにも、山をテーマに扱った作品の力にも驚きます。
  • あなたは3つのタイプの漫画を描いていますね。一つは、、オリジナルのもの。二つめは脚本家(原作者)がストーリーを書くもの。三つめは自分で小説を選んで脚色するもの。
  • あなたはセリフ作りが非常にお上手です。
  • あなたの作品で驚くのは、端壽7んかされた人物とほとんど写真的な背景とのコントラストです。
  • フランスで特筆すべきは、あなたは漫画の世界を超えただけでなく、、、。小説や映画を資する人たちの心を掴みました。
  • あなたは情熱的で心に響き、読者をとても幸せにする作品を世に出してきました。これは魔法のようなことです。

谷口ジローは質問に触発されて、自身のことを語る。

勉強。資料収集。大量の資料、写真。背景や衣装。日常生活の詳細。道端で営まれていた商売。背景にも意味がある。背景は物語の登場人物。背景と事物の正確さはとても重要。

  • 漫画表現の特殊性に私はかき立てられます。
  • 何でも漫画の形式にしてみたい。SF、幽霊の世界、哲学の本、芭蕉の俳句、詩も漫画にしてみたい。
  • 仏教思想や仏陀の生涯、仏陀の教えには興味があります。、、、自分のことよりも他者のことを考えることによって自分が救われるといった教えは興味深いし、そう生きたいとは思っています。
  • いつも緊張して、新鮮な気持ちで新しいものに取り組んでいきたいですね。
  • 漫画を描いて生活できればもう充分、幸せという気持ち。
  • 私をかき立てるものは、成功したいという欲求ではなく、大切な漫画を語りたい、描きたいという「望み」なのです。

関係者の証言。

  • 漫画界の小津安二郎川瀬巴水みたいな。
  • 海外(とくにフランス)での評価が高い漫画の「巨匠」です。子どもでも知っている作家。
  • 向上心の人。挑戦されれば必ず受けて立つ。芸術の職人。絵を描くことが人生そのものだった、最後まで第一線。

「自分だけで描きたいものを描く」。アシスタントを使わずに、一人で描きたいと折に触れて語っていたが、それはかなわなかった。

代表作の一つ『「坊っちゃん」の時代』の第1巻を買い、読んでみた。主人公は「明治という時代」で、漱石を縦軸に、当時の文学者らを横軸に配した構成で、時代の空気を感じる名作だ。

以下、登場人物。漱石39歳。独歩34歳。啄木19歳。鴎外43歳。森田草平。蘆花37歳。平塚明子18歳。山県有朋63歳。伊藤佐知千夫41歳。安重根東条英機鈴木三重吉柳田国男30歳。藤村34歳。

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「名言との対話」10月19日。童門冬二「起承転転。最期まで緊張して生き抜く。終活はない、転活があるだけだ」

童門 冬二(どうもん ふゆじ、1927年10月19日 - )は、日本小説家。本名は太田 久行。 

東京下町生まれ。海軍少年飛行兵(予科練)の特攻隊に入隊するが、出撃しないまま終戦を迎える。東京都に入庁し、目黒区役所係員から、東京都立大学理学部事務長、広報室課長、企画関係部長、知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長を歴任した後、美濃部都知事の辞任に附き合って、1979年に51歳で退職し、作家活動に専念する。広報室長時代に美濃部知事から、やさしい文章を書くことを教えられ、知事に惚れこんで仕事をしていたという。

「ボクの鉱脈は30年あまり勤めた都庁時代にあった。たとえば「組織と人間」の問題。こうしたテーマを歴史小説の形を借りて現代に生かすことを考えたのです。上杉鷹山だって美濃部さんに、ちょっと似ているでしょ(笑い)」。上司に惚れこんで仕事をしていたというから、美濃部は相当に優れた人物であったのだろう。

都知事選で「東京で自慢できるものを3つ挙げてほしい」とのの質問に自民推薦の警視総監経験者の秦野候補は「皇居、地下鉄、高速道路」と答えた。美濃部は「そばとウナギ、きれいな若い女性、そして半蔵門付近のお堀端」と回答して都民の共感を得たというエピソードを思い出した。

童門冬二は17歳で終戦を迎え、特攻隊から戻った少年に対し世間の目は罪人を迎えるようで、童門は傷つきグレた。その傷を癒したのが太宰治の著書であり、その純粋さ優しさに童門は取り憑かれた。童門冬二にとって太宰治はデーモンであり、ペンネームの童門はデーモンから来ている。デ-モンとは、悪魔、悪霊、半神、魑魅魍魎などを意味する。デーモンという言葉はよく聞くが、魑魅魍魎と理解しておこう。その童門の師は山本周五郎太宰治である。

今までこの人の本はよく読んできた。

「自分の中にある鉱脈を掘ればいい」「人物の探求に終わりなし」「起承転転」「少しはまともに働きながら、こつこつ自分の文学を育てていこう」「現地を訪ね、さらには郷土史家の書いたものをどっさり買い込んでネタとして活用」「汗とか油を流して努力を続ける人間、つまりプロセスに生きている人間が僕は好きなんです」 「日々ニュースになる事件や出来事の中には必ず小説のヒントがある」「地方の振興のために命を注ぎながらも、歴史の表舞台に出ることのなかった人たちを掘り起こす」「歴史という無限の鉱脈を掘ることに一生懸命になっている自分がいた」「地方に眠る武将や儒学者などを発掘するようになった」「起承転転」「どこまで経ってもいまの自分に満足せず人生を完結していない」「風度(態度・容姿、人品。風采。風格)」

2011年に訪問した細井平洲記念館の名誉館長は作家の童門冬二だったので驚いた。ビデオで童門は「平洲は鷹山にあなたは山の上の一本松だ。風当たりが強い。しかしあなたは幹である。幹がひっくり返ると枝もだめになると「勇」を説いた」と語っていた。改革にあたるリーダーに必要なのは風を受けて一人で立つ勇気である。 

童門冬二「なぜ一流ほど歴史を学ぶのか」(青春新書)を読了。軽い新書なので気安く拾い読みした。「飛耳長目」。「自分の歴史観。歴史の氷を溶かして、自分の生き方に役立たせる。自分が生きる道しるべ。同時代を生きるという実感」「山川出版社「県の歴史」シリーズと「県の歴史散歩」シリーズ。イモヅル式歴史探究」。「自分の生き方を後押ししてくれるような知識を得て、パワーを得る」。「現役時代にやりたくてもやれなかったことに専念」。「新井白石は、歴史と経済。自伝「折たく柴の記」」「海の果ては空と海がくっついている。天孫降臨は海の彼方からどこかの民族が船に乗ってやってきたのだ。それが空から下ったように見えた」。「起承転転」。「恕。相手の立場に立ってものを考えるやさしさと思いやり」。

この人の著作を何冊も読んでいるし、勤め人を終えたのちに、「組織と人間」というテーマで歴史小説に挑みベストセラーを書くという姿勢に共感を覚えている。童門はどういう人生観と工夫を行っていたのだろうか。

  • 在職中から歴史雑誌(同人誌)を舞台に休日を使って習作活動。
  • 楕円思考、理論と実践、知識と行動、不易と流行、ゼネラリストとスペシャリスト、、。どちらかに偏らずに、どちらの視点や思考法も併せもつ。二者択二。
  • 同時進行。
  • 人生で大切なことはすべて映画から学んだ。小説を書く際の肥沃な肥料。
  • 「なら人間」を目指せ
  • 「自分を高く評価して、謙虚に生きたまえ」。主体性と協調性。
  • 仕事場は自分を磨く神聖な場所だ。
  • 平凡を重ねてついに非凡にいたる。
  • 歴史とは人間の生き方、死に方の集積。50代からは歴史を学ぶのに向いている。
  • 山本周五郎の作品を読んで人間研鑽や人格修行に励む。情を学ぶ心の師匠。
  • 太宰治。人の喜びや感動に奉仕する精神。文学の師匠。
  • 一文のセンテンスは最長でも40字までを限度とせよ。(丹羽文雄
  • 自分の手足を使って得た「なま情報」に勝るものはない。活字情報は「干物」。
  • 話法は落語から学んだ。6代目三遊亭円生。3分に一回は笑いをとる。
  • 「お前の敵はお前だ」(石川淳
  • 「人の多くは死ぬべきときに死んでいく」
  • 「たとえ世界の終末が明日であろうとも、私は今日、リンゴの木を植える」(コンスタンチン・ゲオルギュ)

童門冬二は「高齢者になったら、そばにいてくれるだけでいい人になりましょう。聖路加病院の日野原先生のように、という、私なりの生涯学習の目標がある」 。現代では90歳を超えてベストセラーを連発し、105歳で先日亡くなった日野原重明先生を励みにしながら小説の執筆を続けている。

「起承転転。最期まで緊張して生き抜く。終活はない、転活があるだけだ」。「起・承・転・転。終身現役、命の最後の一滴まで燃焼させたい」。

高見順の『起承転々』という作品のタイトルを人生の指針としている。そしてその「起承転々」という考えに感心し、使っている私がいる。人は一つ前の世代の先人から学びながら生きていくのだと改めて思った。

本日95歳となった童門冬二は、自衛隊の幹部学校で「徳育」という講義科目を持っている。歴史上の人物で当てはまる人を探して紹介している。道徳は、人物論で教えるしかないという考えだ。私の「名言との対話」への援軍を得た思いがする。