「すみだ北斎美術館を支えるコレクター」ーー楢崎宗重(学究コレクター)の97年の生涯。

すみだ北斎美術館を支えるコレクター」展。

先日紹介したピーター・モース(1935-1993)と、もう一人が学究コレクターで浮世絵研究の第一人者の楢崎宗重(1904年6月26日 - 2001年7月18日)です。。

1995年高橋由一作「三宅康直像」、椿椿山作「水野忠啓像」など480点にものぼる個人コレクションを北斎生誕の地である墨田区に寄贈したコレクター。

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佐賀県唐津生まれ。五高を出て東大文学部で美学美術史を学ぶ。雑誌『浮世絵』を創刊するなど、軽く見られていた浮世絵を生涯にわたり研究対象とし、同時に発表の場をつくった人である。

1946年日本浮世絵協会を設立し理事長、『浮世絵と版画』を創刊。1954年立正大学教授。1977年定年退官。1980年に開館した太田記念美術館名誉館長。1980年から1982年にかけて『原色浮世絵大百科事典』を刊行。1989年青山学院女子短大図書館に蔵書を寄贈(楢崎文庫)。1994年東海道広重美術館名誉館長。1995年個人コレクションを北斎生誕の地である墨田区に寄贈した。古美術品480点を墨田区北斎館)に寄贈。1998年国際浮世絵学会名誉会長。

葛飾北斎歌川広重などの作品を研究、海外に所蔵されている浮世絵作品の調査も行った。著書に「広重の世界・巨匠のあゆみ」「北斎論」「浮世絵の美学」「楢崎宗重絵画論集」などがある。2001年没。墓所北斎と同じ元浅草の誓教寺である。

戦後間もない時期に刊行され、展示されている分厚い大著『北斎論』の展示をみた。そして浮世絵一筋の97年の生涯であることに感銘を受けた。

楢崎宗重は学究コレクターである。楢崎コレクションは浮世絵だけでなく、さまざまなさっかの日本美術の名品がある。北斎だけでなく、北斎一門の作品も多い。体系的なコレクションをつくりあげた名コレクターだ。

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「名言との対話」11月4日。池内淳子「母の介護は、神様が与えてくれた試練だと思っています。還暦を迎えた年になっても母がいるのはありがたいことです」

池内 淳子(いけうち じゅんこ、1933年(昭和8年)11月4日 - 2010年(平成22年)9月26日)は、日本の女優。

東京市本所区東両国(現:東京都墨田区両国)生まれ。1955年、映画『皇太子の花嫁』でデビュー。翌年には『新妻鏡』で初主演を果たし「新東宝現代劇の女優三羽烏」のひとりとして人気を集める。後に東京映画に移籍しテレビに進出。ドラマ『日日の背信』『女と味噌汁』シリーズなどで好評を得た。NHK大河ドラマ国盗り物語』『利家とまつ』、連続テレビ小説『ひらり』『春よ、来い』『天うらら』ほかに出演した。2002年には、東宝現代劇「空のかあさま」で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。2008年、旭日小綬章を受章。

『女と味噌汁』は高視聴率番組となり代表作となった。舞台でも夫亡き後に小じゅうとめと夫の愛人と同居する妻を演じた『三婆』は441回の舞台を数えるライフワークであった。

和服の似合う上品な美貌の持ち主であり、「お嫁さんにしたい女優」として高い人気があった。1960年代から1980年代まで、テレビドラマでは毎作20%以上の視聴率を獲る「20%女優」であり、「テレビドラマの女王」と呼ばれていた。

還暦を過ぎて母親の介護に遭遇する。母親には1日でも自分のそばで長生きしてほしい、そんな思いから在宅介護を決断した。

介護用品や福祉機器を試す。使い勝手の良い食器、折り畳みトイレ、、。、なかなか納得できるものは少なかった。電動リフトで車いすが乗り降りできるバン、キャンピングカーも電動リフトで車いすが乗れるよう改造し、ちょっとした旅行にも出かけられるようにした。この2台の車には、ポータブルトイレ、医療用酸素吸入器、携帯用ボンベ等、万全の体制が整っていた。
古い日本家屋の自宅も、トイレや風呂場など、必要なところには全部手摺を付け、段差には三角の板を置いて、車いすで動けるようにした。食器にもこだわり、瀬戸物を使っている。軽いもの、使いやすいもの、そして、できるだけいいものを探す。「割れないものは味気なくて。少し贅沢しないと気が滅入ってきますから。重いものは膝に置けばいいし、割れるから使わない、ではなくて、できるんだったら手をかけてあげたいですもの」。
介護に携わるのは2度目だった。父が脳溢血で倒れた時に、4年ほど在宅介護の経験がある。それらの経験から「一番悪いのは道路」だと指摘する。段差は多いし、道は狭いから車いすで外出するのは大変だ。「助成金制度を知らない人も多いし、重度の人でもほしくても高価で手に入らない機器もある。よく調べないとわからない」と制度にも苦情を述べている。

結婚で一度失敗し、その後は独身を通した池内には子供がいない。老後については「心の準備は若いうちからしておくべきだと思います」とインタビューで答えている。しかし、老後はなかった。享年76。77歳の誕生日のはずの日にお別れ会があり、800人が集っている。

「母の介護は、神様が与えてくれた試練だと思っています。還暦を迎えた年になっても母がいるのはありがたいことです」という池内淳子は、「介護する人は、決して無理をしないこと。共倒れしてしまったら、お互いにみじめですからね」というアドバイスもしている。

映画やテレビという公的世界の池内淳子しか知らなかったが、私的生活も充実していた人のようだ。