寺島実郎「世界を知る力」ーー衆院選の総括。日本の課題。オランダのDNAを持つ宗教国家アメリカ。

寺島実郎「世界を知る力」(東京MXテレビ)。

  • 2021年秋の衆院選自民党:保守バネの発動。変容する保守。イメチェンの対価「新しい資本主義」「平和外交(近隣・核兵器禁止条約)」。公明党:連立での重み(一区数万票)。甘利ショックは婦人部(リベラル)の厳しさ。立民:無党派・都市中間層の離反。あまりに偏狭。旧社会党。中道リベラルではなく左に寄った。成長・分配のための経済産業構想の欠如。維新:「身を切る改革」の受け皿。ナショナリズム。国民:保守中道リベラルだが小さい。個人商店で生き延びた。
  • 日本の課題:IMF予測日本は2.4%(世界5.9%)とさらにダウンし世界GDP比は5.8%と埋没中。財政出動:1216兆円の借金。国債格付けは24位(1位ドイツ。中韓より下)。悪い円安スパイラルへ。川上インフレ(エネ・原料素材40%アップ)・川下デフレ(横這い)はいつまで)。外交:中国脅威論でなく。アメリカとは大人の関係を。近隣外交の大事さ。憲法改正自民党案第一条は天皇元首。象徴天皇制が伝統的な在り方。戦前回帰は孤立を招く。
  • アメリカをより深く知る視点:深層底流にあるオランダ。ニューヨークはニューアムステルダムだった。1609年にヘンリー・ハドソンがマンハッタンに上陸。1617年史上最大のバーゲン(100ドル)で購入しニューアムステルダムに。1664年イギリス(ヨーク公ジェームス)が奪った。ピルグリムファーザーズは12年間亡命したオランダからマサチューセッツへ入植。アメリカの原型にはオランダのDNA。[連邦共和国」「宗教の自由」「法の下の平等(民主主義)」(1602年オランダ東インド会社が西のアメリカのマンハッタンへ、東は日本の長崎出島へ)
  • マンハッタンの今日的意味:金融資本主義の総本山(17c、1654年ユダヤ教の教会シナゴーグ)。ユダヤ人は中世欧州で金融業(旧約五書「兄弟以外の他人には利息」)。15cイベリア半島からオランダへ。人種のるつぼ(17c前半にオランダ人が黒人奴隷を連行)
  • 宗教国家アメリカ:宗教性が強い。キリスト教は8割。プロテスタント46%(福音派24%。宗教保守。カルヴィン派。神の復活時に聖地エルサレムイスラムに占拠されてるのはまずい。原理主義ユダヤ教トランプを支持)、カソリック21%、ユダヤ2%、イスラム1%、仏教1%。2020年の大統領選挙:白人プロテスタントの72%がトランプに投票。白人の48%がトランプ、41%がバイデン。バイデンを支えたのは女性、若者、マイノリティ。アメリカの分断。

11月末刊行の『人間と宗教』(岩波書店)を予約注文。

「極端なまでに政治権力と一体化した国家神道の時代への反動から、物質的繁栄を最優先し、「宗教なき社会」を築いた戦後日本。しかし二〇世紀型の工業生産力モデルは力を失い、コロナ禍の下、日本の埋没は顕著だ。「日本人の精神性とは何か」、イラン革命の衝撃、現代のバベルの塔たる米国、世界を歩いてきた経済人がいま問い返す」。 

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豊洲で丸一日過ごしました。妻。娘、孫。息子夫婦。いい日でした。

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今日のヒント「幸福」

  • 「定年後、随分と幸せになった」「習慣は帝王」「徹底した楽観主義です」。(養老孟司
  • 食と農のバリューチェーンの一角に陣取ることが幸福につながる。(寺島実郎
  • 「いかに生きるべきか」。・個人的体験。深化。照合。多様性。一般化。再度個人へ。・人は研究者。自分自身で実験、検証、理論化。・研究者。人生は壮大な実験。研究の総和から人生学へ。(河合隼雄

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「名言との対話」11月21日。斎藤昌美「このりんごこそがこれからの主力品種になる」

斎藤昌美(さいとうまさみ。1918年11月21日ーー1991年11月27日)は、果樹園芸家。
青森県弘前市生まれ。尋常小卒。1947年から4年連続で青森県りんご協会主催のリンゴ立木品評会で優勝。1958年に農林水産省園芸試験場東北支部よりリンゴの品種「ふじ」を譲られ、着色を改良した。また台木との拒絶反応である高接病(たかつぎ)の対策を考案、普及に尽力し、国光や紅玉といった品種からの主要品種交代を促した。

第2次大戦後の青森県、特に津軽地域・弘前市の主力はりんご産業であった。荒廃りんご園の再生、安定増産期に入り、りんご産業は大きく発展した。しかし、1965年以降、バナナ、レモンなど海外果実の輸入自由化で打撃を受けた。特に1968年産のりんご価格が暴落し、大量の生果りんごが山や川に投棄され、「山川市場」と呼ばれるほどだった。

山田三智穂『りんご道の探求者-斉藤昌美の人と技術』(1994年)によれば、打開策としてスターキングやふじ等の高級品種への更新に挑戦し、1972年にはデリシャス系が30%、ふじ9%、陸奥5%と品種更新が進んだ。
新品種は高接更新で行われたが、この技術を広めるとともに、後に「りんごの王様」と言われるふじの栽培技術を確立したのが篤農家の斉藤昌美である。

斉藤は、ふじの育成と着色に心血を注ぎ、成果を挙げる。ふじは、味と保存力に優れていたことから急速に拡大し、最強の主力品種となり、「山川市場」以来の危機から脱出することに成功した。

こういった功績により、農林大臣賞(1950年)、日本農業賞(第1回)(1972年)、日本農林漁業振興会長賞、青森県りんご産業功労賞(1974年)、黄綬褒章(1981年)など数々の受賞に輝いている。

「ふじ」は、父がデリシャス、母が国光。斎藤は「このりんごこそがこれからの主力品種になる」と確信し、この原木の枝を周辺に分け与えた。後に「ふじ」と命名されたのは誕生後20年たったときで、日本一、藤崎町、そして山本富士子という女優からだそうだ。

現在では11月上旬から4月までの「サンフジ」と4月から8月の「ふじ」が市場を席巻している。サンフジは色鮮やかに紅色で縞模様があり糖度が高く、ふじは貯蔵性が高いのが特徴だ。シャキシャキとした食感で果汁が多く、甘酸のバランスがすぐれている。今では日本全国シェアは5割で、海外でも主要輸入国の中国では6割以上を占めている。まさに絶対王者となっている。

1人の篤農家、ふじの育ての親の努力と成功が、地域経済を救った。そして当初の目標であった「日本一」をはるかに超えて、りんごの王様「ふじ」は世界一にまで成長している。たった1人が世界を変えたのだ。ここにも偉い人がいた。