「副学長日誌・志塾の風」170622
- 矢沢コーポレーションの大島顧問と佐藤部長:高野課長同席
- GOODLIFE TAMの石原さんと造田さん:メディアネトワーク。イマ・タマ。観光ポータルサイト。タマチイキ。タマNAVI。インスタグラム。FM、、、。
- 知研の八木会長、高橋さん:東北。九州。中国。北海道。
- 学長への報告と相談:教員採用、ホテル講座、多摩大出版会、30周年、、、。
- リレー講座:講師は寺島学長
テーマ「17世紀オランダからの視界--世界認識の再構築」
・シルバーでモクラシー:80歳のなかにし礼は国に裏切られた世代。戦後世代は国家権力に鈍感。
・オスマン帝国の壁だったというマイナス面と文化面のプラス
・サファヴィー朝ペルシャはオスマンの後門の虎。シーア派イランは民族ではなく地理的概念。
・インドのムガール帝国。ムガールとはモンゴル。イスラムとヒンディ。
・アジアとはアッソスという地名から。西洋の対置概念。バタヴィア(インドネシア)経由の情報。オランダ風説書によるゆがんだ世界観。
・BREXIT。メイの誤算。若者の62%が労働党へ投票(学費無料・福祉充実)。シルバーも保守党から離脱(介護の負担増)。氷の女。
・チャーチルは1940年5月10日という最悪の時期に首相に就任。父の言葉「国民を信じよ。それがデモクラシーだ」。アメリカは1941年12月7日の真珠湾攻撃の3日後にドイツ戦に参戦。これでヒトラーを破り、イギリスは救われた。日本はヒトラーのナチス・ドイツと組んだ。
・現在は国家主義・国権主義への回帰。軍隊と警察の教化。戦前への回帰。海外ではプーチンとトランプにすり寄る日本という評価。受け身の民主主義の崩壊か、戦後民主主義は根付いたのか。そこが問われている。
「名言との対話」6月22日。フンボルト「人間が幸せか不幸かは、人生に起きる出来事をその人がどう捉えるかであり、起きた出来事自体はそれほど関係はない」
カール・ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(Friedrich Wilhelm Christian Karl Ferdinand Freiherr von Humboldt、1767年6月22日 - 1835年4月8日)は、ドイツの言語学者・政治家・貴族。フンボルト大学(第二次大戦後にベルリン大学を改称)の創設者。
20代でシラーとゲーテと親しく交わり、ドイツ古典主義の代表者となる。プロシアのローマ教皇庁公使、宗教教育長官、ベルリン大学創設、ウイーン会議のプロイセン大使、駐英大使、内相などの要職を歴任する。50代前半で公職から退き、比較言語研究に没頭した。
2歳年下の弟アレクサンダー・フォン・フンボルトは、大著『コスモス』を著した自然科学者・地理学者として著名である。現在、フンボルト大学の正面にはフンボルト兄弟の座像が建っている。兄弟増を設置することによって精神科学と自然科学との総合を表しているという。
同じ出来事でも後ろ向きにとらえるか、前に向きにとらえるかで、その意味は全く違ってくる。そのとらえ方は、やはり性格によるのではないか。出来事は中立だ。悲観的な人は常に悲観し、楽観的な人は常に楽観する。様々な公職を経験したフンボルトは、新しい仕事とその課題を面白がって解こうとしたように感じる。