インターゼミ。
「副学長日誌・志塾の風」170422
16時から九段サテライトでインターゼミ。
(1年生よ、メモをとれ!)
学長講話。
- 本気で。チームプレー。社会工学。
- 17世紀オランダ論:近代とは何か。世界観の構築。日本史・東洋史・世界史。ユーラシア大陸史。パラダイム転換。相関性!
- 宗教改革500年:638年中国唐長安に景教(キリスト教ネストリウス派。ネストリウスはシリアの人。ビザンチン帝国)寺院。645年大化のの改新。736年景教が日本に。1517年ルターの宗教改革(カトリックへの挑戦)。1549年イエズス会のフランシスコ・ザビエルが日本(カトリック側の対抗宗教改革)。キリシタン禁制へ。1708年最後の宣教師シドッチ屋久島上陸。新井白石との4回の問答。「西洋紀聞」。3年前オランダ屋敷に3体の骨を発見。DNA鑑定でイタリア人シドッチと断定。オランダ(共和国・プロテスタント)はスペインと戦い建国。アメリカ合衆国につながる。憲法第一条は「宗教の自由」。トランプのイスラム教対策という皮肉。
- 文京区の切支丹屋敷訪問。マックスウェーバー「資本主義の精神」再読。17世紀オランダ論を連休に読み込み。
アジア・ユーラシア班(教授:金・水盛)。
AI班(教授:久保田・大場・木村)
多摩学班(教授:丹下・野坂・荻野)
サービス・エアンターテイメント班(教授:バートル・ハン・杉田・安田)
終了後、蕎麦屋へ。
金先生、杉田先生、丹下先生、目黒高校の松井先生と歓談。
帰りは、杉田先生の車で話をしながら帰る。学部のこと、ゴルのこと、、。
-------------
「名言との対話」4月22日。富田勲「いつも『これが最後』と思って曲を書いているんです。、、、子どもの心を忘れず、常に『今』に夢中でいたいですから」
冨田 勲(とみた いさお、1932年4月22日 - 2016年5月5日)は、日本の作曲家、編曲家、シンセサイザー奏者。
「これからは宇宙時代。何億年前には海にしかいなかった生き物が生存不可能と思われる陸を目指したように、人類は今や宇宙を目指そうとしています。大変な困難を克服しなければなりません。しかしこれは、生き物にとって受け継がれてきた悠久のロマンではないでしょうか。それは地球全体の国々の心は一つにならなくてはならないでしょう」(2015年9月。国際交流基金賞受賞スピーチ)
手塚治虫は1971年に「富田勲氏の音楽をひと言でたとえるなら、脱日本的な第一級の調理師とでもいうべきだろう。、、、グローバルなスケールで第一級の仕事をしてもらいたい。」と語っている。その期待に応えた仕事ぶりだった。
長男の富田勝は「幼少時に感動したものを、ホントに死ぬまで追い続けていたのが富田勲なのだと思います。倒れる1時間前まで創作意欲に満ち溢れ、最後まで前のめりで亡くなっていった父の人生は、本当に幸せだったと思います」と父を述懐している。
「渡り鳥が危険をおかしてまで海を渡るように、 『やらねばならぬ』ことは人それぞれにある。 私の場合それが『音楽』だったのです」
富田先生にはJALのファーストクラスに大吟醸酒を搭載する思い出深いプロジェクトを一緒にして以来、25年の長きにわたって酒友としてお付き合いいただいた。 あの大吟醸を思わせる人格の尊い香りを身近で嗅いでいたことの有り難さ、幸せををかみしめている。 毎年の「秩父で富田勲先生を囲む絶品の蕎麦と大吟醸を愛でる会」で蕎麦屋「小池」での集まりを中心に、富田先生と一緒に時間を過ごせたのは、ありがたいことだった。
富田勲は、地球を相手に、そして宇宙を相手に、次々と音楽の世界の最先端を切り拓いた。「子どもの心」で「最後」と思って、「今」を燃焼させた見事な人生だ。あの素晴らしい音楽とやさしい言葉が甦ってくる。