YAMI大学深呼吸学部参加型社会学科の初回の講義と意見交換会に参加。

YAMI大学深呼吸学部参加型社会学科の初回の講義と意見交換会

30人集まった。10人ほどは私も知り合い。男性13人、女性17人と優勢。世代は適当にばらけている。

主宰する学科長の田原真人さんから、2ヶ月にわたって「参加型社会」に向けて、その概念を提唱する橘川幸夫さんの10数冊の著書を読み解きながら、時代の変化を俯瞰していくという趣旨が述べられた。初回は1981年刊行の『企画力』解説から始まった。

ブレークアウトセッションで、5人のグループに入る。20分の意見交換では、「代理店」「実感」「コピー」「システム」「多様性」が話題になった。

全体のセッションでブレークアウトの各グループの議論の様子を聞く。私のグループは一番若い瀧本君が説明したが、田原さんからの指名で私も発言した。

私は、図解塾と重なっているので、この会しか出れないが、様子がわかった。

f:id:k-hisatune:20220105230355j:image

70年代について、音楽の「ロッキンオン」投稿雑誌「ポンプ」を創刊した橘川さんは、最初の著書「企画力」で以下の様に語っている。

「原理」は3つ。運動論としてとらえよう。全体像をつかもう。プロセスを大事にしよう。社会はマスメディアが力を持つようになった。人々はメディアを通じて情報を知り、メディアに情報を流す。ここでは玄人と素人が明確に分かれていた。これは「代理人」システムだ。大学、広告、政治なども代理店だ。そう橘川さんは説明している。

私は橘川さんと同年生まれだが、70年代は違う様相を意識してきた。彼は東京で生まれ育ち音楽とメディアを通じて社会に対峙している。私は地方で高校から大学時代を過ごし、受験戦争とクラブ活動に青春を燃焼、大企業(JAL)に職を得て世の中の実態に苦しみながら自分を探した。30歳になるまでわずか2年半を東京で過ごしたが、後は札幌と海外であり、橘川さんの世界と交わることはなかった。

東京に戻った30歳になって「知的生産の技術」研究会という勉強会に入った。そこで誰かが「企画書」を書いた橘川さんを講師に招いて出会う。大企業の底辺で動いていた私は彼の講演の内容はまったく理解できなかった。しかし、労務担当を経て10年ほど経って広報の仕事をし、メディアと縁ができるようになって、「代理店の時代」というエッセイを社内報に書いている。労働組合は社員の代理店、マスコミは世論の代理店、旅行代理店は消費者の代理店、広告代理店は企業の代理店、というシステムになっており、その代理店が大きな力を持つような社会になってきた。その危機感のなかで、直接それぞれの本体と触れ合いながら、社員の参加で会社を改革することを模索していた。それは会社がバブル崩壊でおかしくなったとき、その改革の任にあたったときに社員の参加、参画で危機を乗り切ろうとしたことに生かすことができた。それは今となっては橘川さんの理論と主張と同じだった気がする。

私自体は、80年代は知研という装置で一流の講師陣の話のシャワーを浴びたが、よく考えると彼らも欧米の知識人の代理店、アカデミズムという知識の代理店である人も多かった。こういうことをこれからずっとやっていても展望は開けないと思った私は、企業の現場の泥臭さの中で、飛び出すことのできない自らの世界を深掘りしていく。社会への参加、参画を強く意識して学んだ。その結果、90年に初の単著『図解の技術』を上梓することになった。

公人としても、個人としても、「参加・参画」を意識して30代を乗り切ったともいえるかもしれない。

2010年時代に入って、福岡空港のラーメン屋で偶然の再会を果たし、私の人生も大きく展開していき、今日のこの場面に立ち会っているのだ。今となってはその再会は必然だったような気もする。

今日は、哲学者の三木清について、毎日書き続けている「名言との対話」で取り上げた。その三木清の「人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している」というメッセージをかみしめている。

ーーーーーーーーーーーーー

力丸君との定例ズームミーティング。知研。会社。miro。人物記念館応援隊。、、

ーーーーーーーー

今日のヒント。三木清。「人生論ノート」。

機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。

ーーーーーーーー

「名言との対話」。1月5日。三木清「人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している」

三木 清(みき きよし、1897年〈明治30年〉1月5日 - 1945年〈昭和20年〉9月26日)は哲学者。法政大学教授。

兵庫県生れ。京大哲学科で西田幾多郎らに学ぶ。1922年から1925年に、ドイツ,、ランスに留学、ハイデッガーらに学ぶ。

1926年三高講師、1927年法政大学教授となり「人間学マルクス的形態」をはじめマルクス主義の諸論文を発表する。1930年共産党シンパ事件で検挙、拘留され転向し、マルクス主義の運動から離れる。1937年論文「日本の現実」を機縁に昭和研究会に参画、東亜協同体論を展開した。

1945年3月共産主義者庇護のかどで治安維持法違反で検挙される、9月26日獄死する。

著作に「パスカルに於ける人間の研究」「唯物史観と現代の意識」「人生論ノート」などがある。

三木清『人生論ノート』(新潮文庫)を読んだ。終戦直後のベストセラーになった本だ。

断片が羅列されたエッセイのようで軽く読めるが、人生についての三木の結論のようにも読める。以下、私が共感するところをあげてみる。

・機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。

・習慣を自由になしえる者は人生において多くのことを為し得る。

・どのような天才も習慣によるのでなければ何事も成就し得ない。

・切に義人を思う。義人とは何か、ーーーー怒ることを知れる者である。

・人は軽蔑されたと感じたとき最もよく怒る。だから自信のある者はあまり怒らない。

・怒りを避ける最上の手段は機智である。

・もし無邪気な心というものを定義しようとするなら、嫉妬的でない心というのが何よりも適当であろう。

・彼ら(古代人や中世的人間)のモラルの中心は幸福にであったのに反して、現代人のそれは成功であるといってよいであろう。

・成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。

この本は何度か手にしているが、その都度深く共感するの極め付きは、以下の文章である。「人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している」。「希望」という章の冒頭のこの言葉は、断然光っている。

私の師である野田一夫先生がいつか語ってくれた「必然的偶然」は、三木の言葉をさらに凝縮した言葉だと思う。

偶然によって三木は共産主義者をかくまったということで逮捕される。権力側は微罪であり、はやく解放すべきだという意見もあったが、間に合わずあっけなく三木は死んでしまう。批判する側はこの獄死に深い意味を付与する。偶然が必然になり、それが運命となって人生を総括する。三木清の場合そのものだ。三木清は天上で苦笑いをしているのではないだろうか。