「幸福塾」は「私人」の第1回目ーー恋愛至上主義者たち。

「幸福塾」は、「私人」の第1回目。

以下、塾生の学び。

  • 久恒先生、皆様、おつかれさまです。本日の幸福塾のテーマは「私人」。中でも「恋愛に生きたひとびと」で、今迄とは対照的な柔らかなタッチの人間模様を堪能しました。白洲正子:ダンディな旦那はそっちのけで遊びに命がけで没頭、宇野千代:街角の喫茶店で出会いそのまま恋に堕ち…あふれる情熱。瀬戸内寂聴:いいオトコは尾崎士郎!二番目も三番目も四番目も尾崎士郎!人気作家ウオッチングで鍛えた眼力?。原阿佐緒:男との付き合いは昆虫採集と同じ…実に妖艶!、森瑤子:自分の為に手に入れたコレクションから「あの人にこれを差し上げる」熟成なプレゼント。などナド…奔放な生き方など許されなかったであろう昭和の時代に名を馳せたその方々は、チャーミングだったり近寄り難きオーラを放っていたりと、まさに憧れのスター(死語!)っぷりで圧巻。心に響きました。一方後半は久恒先生がユーキャンから先日リリースされた「人生の名言」からのピックアップ。三島由紀夫:「幸福がつかの間」という哲学、不幸な人も幸福な人も好い気持ちにさせる…颯爽!三木清:余裕がないと親切にできない、幸福とは人格…身につまされるゥ。石川達三:賢明な夫婦は結婚の後本当の努力を…趣味人の成せる、ヒトに見えざる影の努力か!男性陣はどれも現実的かつ身近なシーンを思わせるものでした。『倖せの構造』曼荼羅のおよそ半分のレクチュアが完了し、次回は「家庭人」、そしてクライマックスである「ライフワーカー」「ネットワーカー」と歩みは順調。益々ワクワク致します。今後とも宜しくお願い致します。有難うございました。
  • 久恒先生、皆様、おつかれさまです。10月9日(日)にNHKラジオで劇作家、演出家、作家の宮沢章夫さんの追悼番組を偶然聞くことができました。かつて、出勤の車中で欠かさず聞いていた情報番組のパーソナリティだった宮沢さん、難しい演劇論からサブカルチュアまで何でも解説する分り易い語り口が定評でした。2020年3月、番組は突然打ち切られ、丁度その頃コロナで生活様式が一変した為「朝のラジオ」はそれきりに…。追悼番組の後SNS上では、当時お馴染みだったラジオネームの常連投稿者からのコメントをいくつも見る事が出来ました。オー懐かしい、皆元気だったのか!人生100年時代の筈なのに65歳でこの世を去った宮沢さんは、さぞ無念だったと思います。しかし多くの人の記憶にその名は長く留まり、そういう人々の繋がりから「永遠のいのち」を感じる事が出来ました。これも一つの倖せの形か、と考え至った次第です。幸福塾への予習としてupさせて頂きます、宜しくお願い致します。9人、立っている人、テキストの画像のようです
  • 本日もありがとうございました。本日は「私人」としての幸福論で、恋愛に焦点をあてていろいろな人の幸福論=恋愛論を紹介していただきました。当然のことながら、様々な人生、様々な恋愛があります。「恋愛というのは一種の精神病です」(深沢七郎)、結婚4回(宇野千代)、「男は代えれば代えるほど悪くなる」(瀬戸内寂聴)、「女にとって男とは、寝てみたいかそうでないかの二通りしかないのでないだろうか」(森瑤子)、谷崎潤一郎との妻譲渡事件(佐藤春夫)など、情熱的に生きてきた作家たちも印象的でした。また、男爵いもの川田龍吉がジェニーからの手紙を89通ももらっていたという話もよかったと思います。知らなかった歌人原阿佐緒や、垣内さんが紹介してくださった宮沢章夫のことも知ることができました。ラジオはこれまでほとんど聴く習慣がなかったのですが、生活に取り入れたいと思うようになりました。
  • 久恒先生、皆様ありがとうございました。今回は恋愛を軸にした私人を紹介していただきました。白州正子、深沢七郎宇野千代瀬戸内寂聴から佐藤春夫スタンダールまで、奔放な生き様を知りました。特に女性については、幸福という観点で、母性と恋愛は両立しないどころか、相反する場合があり、生き様まで影響するということを再確認させてもらいました。「男は変えれば変えるほど悪くなる」とは含蓄のある言葉で、理解は出来ませんが明言と感じます。「人生の名言」のところでは、幸福は人格である。機嫌を良くして、丁寧で、親切で、寛大に外に接すれば幸福につながる。という言葉が心に残りました。先生が最後の方で、締切は大事ですとおっしゃってましたが、ジョンレノンも、ヒット曲を作る秘訣を聞かれたとき、締切があるからだよ、と答えていたのを記憶してます。次回も宜しくお願いいたします。
  • 久恒先生、皆様本日は大変お世話になり、また恋愛と幸福についてをテーマに学び、有意義な時間を過ごすことができ感謝しております。幸せの構造には、公人、私人、個人の3つがあり、恋愛と家庭は、私人としての側面である。今日は、恋愛をテーマに描いた小説家や詩人、歌人の名言を取り上げてメンバー皆さんと一緒に考え、意見を共有し、人生や恋愛に対し、理解深めることができました。白洲正子深沢七郎宇野千代瀬戸内寂聴原阿佐緒森茉莉中城ふみ子、森瑤子、川田龍吉、佐藤春夫スタンダールから恋愛に関する名言を聴き、恋愛に関して様々な視点があることに気づかされました。特に印象に残ったのは、「男爵いも」を開発された170年前の川田龍吉の話です。イギリスのグラスゴーで龍吉が恋愛したジェイニーの89通の手紙が父親の手によって、読むことができず、龍吉が人生を終えた翌年金庫から手紙が発見されたという話を聞いて、とてもロマンチックな話だと思いました。 龍吉は、その当時、どんな思いだったのかと思うと、とても興味深く感じられました。私自身は、恋愛より、コツコツと地道に毎日を過ごしたいという思いが強く、今回のお話は、とても参考になりました。その他、三木清の「幸福は人格である」や石川達三の「幸福は常に努力する生活の中にあるという名言は、共感を覚えました。垣内さんの劇作家、演出家、作家の宮沢章夫について図解による説明はわかりやすく、戦後日本のサブカルチュア論の大家とよばれた宮沢章夫について今まで知りませんでしたが、興味を持ちました。これからも幸福塾で幸福論について学び、日々、幸福感じ取って幸せな人生が送れるよう取り組んでいきたいと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
     

    ーーーーーーーーーーーーー

    「名言との対話」10月12日。木下尚江「人は実に事業の糸によってのみ、自己を永く世界に織り込むことが出来る」

    木下 尚江(きのした なおえ、1869年10月12日明治2年9月8日)- 1937年昭和12年)11月5日)は、日本社会運動家、作家。男性。

    長野県松本市出身。松本中学の万国史の授業で、英国王を倒したピューリタン革命の中心人物・クロムウェルのことを知り、「我心は寝ても醒めても一謎語に注中されている『革命!』」と感慨を覚え、以後、木下は学校で「クロムウェルの木下」と呼ばれるようになる。英吉利法律学校から東京専門学校に転校し卒業。

    木下はキリスト教に出合い、廃娼運動、禁酒運動などに専念するが、その後「信府日報」の主筆を経て、三国干渉に対する遼東還付反対運動で共闘した石川半山の後を継ぎ、「信濃日報」の主筆を務めている。木下は選挙疑獄事件の容疑で警察につかまるが、「一年半の鉄窓生活は、僕の生涯にとって、実に再生の天寵であった」と述べている。人生の学問をしたのだ。

    1899年、毎日新聞に入社。「世界平和に対する日本国民の責任」と題する論説を執筆し、以後、平和と反国体を唱える。田中正造足尾銅山鉱毒事件問題や普通選挙運動に積極的に取り組んだ。

    1901年、社会民主党の結成に参加。日露戦争前夜には 「人の国を亡ぼすものは、又た人の為に亡ぼさる。是れ因果の必然なり」と主張し、非戦運動を展開した。また 反戦小説『火の柱』を毎日新聞に連載し、ペンを武器に戦った。

    1906年社会主義から離れる。木下は尊敬する田中正造の死に立ちあっている。長髪白髭の田中正三造は日蓮を思い起こすとも書いている。「独り聖人となるは難からず。社会を天国へ導くの教や難し。是れ聖人の躓く所にして、つまづかざるは稀なり。男子、混沌の社会に処し、今を救い未来を救ふことの難き、到底一世に成功を期すべからず。只だ労は自ら是に安んじ、功は後世に譲るべし。之を真の謙遜と言ふ也」との田中正造の言葉を紹介している。これは名文だ。この一文を読んで、田中正造は偉い人だと感じた。

    同郷人の新宿中村屋相馬黒光は著著『穂高高原』の中で、木下尚江を「顔色蒼白、痩形、眉宇の間なんとなく苦走り、また神経質らしい、それを太い線で、自らおさへてゐる」と描写している。

    この時代、人物描写をよくしたのだろうか。木下尚江は社会民主党結成時に同志となった人々を描いている。『木下尚江作品集』でみてみよう。当時の若い社会主義者たちの風貌や特徴がよくわかる達文である。

    幸徳秋水中江兆民門下の麒麟児は「色は小黒いが眉目の秀麗な、小柄な若い男」「幸徳の本領は詩人だ。彼が低く細い声で徐ろに度肝を吐くとき、一種の精気、ーー鬼気ともいふべきものが、相手の肺腑を打つ」。

    安倍磯雄。「中肉中背、黒の外套に中折帽子、あから顔に鳩のやうな柔和な目、如何にも清高の感じのする年少紳士」。

    片山潜。「一たび憎悪に燃えて、野獣の如く叫ぶ頑健粗野な体躯面貌は、あたかも岩石の聳ゆる如くに聴衆を圧倒する」。

    堺利彦。「常識の人、事務の人、強健で、、、一切万事一人で忙しく切って廻すところに、堺君の興味があった」。

    ジャーナリスト木下尚江は、生涯一貫して社会改革を唱えた熱血漢だった。その尚江が「人は実に事業の糸によってのみ、自己を永く世界に織り込むことが出来る」との名言を吐いているのは意外な感があるが、真実を衝いている。確かに、何かの事業で何かの役割を果すことは、その事業の中に自分を織り込むことだ。その事業を糸として世界に織り込むことができたなら、自己を世界に織り込んだことになる。自らが関与する事業に、広く、深く、自己を上手に織り込むことができたなら、永遠の命を授かったことになるということだという木下尚江の主張に共鳴する。この人のことと、田中正造については、さらに研究をすすめたい。