山本一力『ジョン・マン』「1波濤編」「2大洋編」を聴き始めた。

オーディブル」の新サービスで山本一力『ジョン・マン』を、1波濤編から聞き始めました。

2010年12月に第1巻「波濤編」が出て、「2大洋編」、「3望郷編」、「4青雲編」、「5立志編」、「6順風編」、「7邂逅編」は2019年7月に刊行されている。8巻も予定されている。いつまで続くのだろうか。10年以上の歳月をかけている畢竟の長編大河小説である。決意のライフワークなのだろう。

いつかラジオで「ジョン・マン」を書くと言っていたのを聞いたことがある。「こんな男がいたのか」という驚きをもって山本一力が語っていたのを思いだした。

1.2倍の速度で聴いても1巻当たり5-6時間はかかる。「2大洋編」も聴き始めたが、血湧き肉躍る内容で、実に楽しめる。船に関する数字が実に細かく調べ上げていることに感心した。故郷土佐での暮らしと万次郎らが漂流し鳥島で150日間の無人島暮らしと、アメリカの捕鯨船が出帆するまでを交互に書き進めている。その出会い、そして水夫になるところまで2巻の途中まで聴いた。当面は、この大作を散歩のときに聴くことにする。「耳読」をするために散歩するということになる。

鯨の油が貴重な明かりとりの燃料であることから始まった捕鯨の最盛期であるが、なにか別の油が出てきたらという不安を語る人もる。油田の発見で世の中ひっくり返ることを匂わせている。

鎖国して近づくと侍が発砲する「ジャパン」についてはオランダ情報が貴重であり、その情報はニューヨークで船長が手に入れている。オランダ人の入植から始まったニューヨークにはオランダ人が多く住んでいた。こういった情報も入っている。

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今日のヒント。 浅井慎平

とにかく必死でやってみる。結果としてできなくてもいいじゃないですか。その努力こそ、人間としての幸福が宿っていると思うんです」

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力丸君来訪。大型モニーの調整をしてもらう。

ヨガ1時間。0.6万歩。

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「名言との対話」2月19日。アンドレ・ブルトン美は痙攣的なもんだろう。さもなくば存在しない」。

アンドレ・ブルトン(André Breton, 1896年2月19日 - 1966年9月28日)は、フランス詩人文学者シュルレアリスト

2020年3月に箱根のポーラ美術館シュールレアリスムと絵画ーーダリ、エルンストと日本の「シュール」」展をみた。

第一世界大戦を経験し大量破壊兵とそれを生んだ近代代合理主義に疑問を持つ。超現実を表現する新たな美意識を提唱し、1924年シュールレアリスム宣言」を発表する。エルンスト(ドイツのダダ運動。1891-1976))、ダリ(スペイン。1904-1980))とシュールレアリスム運動を進めた。オートマティスム(自動記述)を発明して作品を書いた。ブルトンはシュルレアリズム運動は世界の見方、人間の生き方についての新しい思想だった。1928年には『シュールレアリスムと絵画』という書物を書いている。

シュールレアリズムを創始し、「シュルレアリズムの父」と称されブルトンは、常にこの運動の中心にいて「法王」とも呼ばれている。しかしエルンストやダリはブルトンから除名されており、創始メンバーはみなブルトンから離れている。

ブルトンシュールレアリズムの主な要素として、理性によるコントロールを受けない思考の書き取りである「自動記述」を始めた。あらかじめ何を書くかを決めずに、先入観なしに紙にペンを走らせるという方法だ。それはマッソンやミロの自動デッサンにつながっていった。かけはなれた図像の並置によって不条理なイメージが生まれ、幻覚的効果が現れるエルンストらの「コラージュ」に発展していく。シュールレアリスム運動は、第一次世界大戦への惨禍への反省から生まれた。合理主義に基づく近代文明への懐疑であった。

日本では福沢一郎などが禅と結びつけて取り上げた。しかし表面的に模倣されたが、反理性、反文明、反戦、反ファシズムの思想にはならなかった。むしろ「現実離れしていて真の理解が不可能であるさま」のことを「シュール」と呼ぶようになっていく。「シュールリアリズム」の旗手と皆が思う福沢一郎は「俺あシュールレアリストなんかじゃねえよ」と否定している。世に出た初めの印象はなかなか払拭できないのだ。

大学生時代、部誌に「シュールロマンチスト宣言」なる文章を寄稿したことを久しぶりに思い出した。シュールとは「超」であり、「究極の」という意味で使っていたのだと思う。当時、「シュール」という言葉が話題になっていたのだろうか。

この企画展と図録、書籍『シュルレアリスム宣言』(岩波文庫)を眺めて、20世紀の芸術にもっとも大きな影響を与えた芸術運動のひとつである「シュルレアリズム」については、ブルトン自身の名著よりも、まだ解説の方がわかる段階だが、少しだけ理解が進んだ気がしたのだった。「美は痙攣」であるというブルトンの見方は、岡本太郎にも影響をあたえているように思う。