年末年始にやること:総括(〇▲✖)と計画(新世界?)

年末年始にやること。

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  • 年末の「2020年の計画」の総括:〇✖▲。数字。事件。継続。プロジェクト。
  • 年始の「2021年の計画」の作成:方針。方向。目標。公私個。新世界。
  • 『図解コミュニケーション全集』第2巻に入れる4冊分の著書の原稿の校正。

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「名言との対話」12月29日。石川淳「くだらないものは書くな。お前が仕事をしているなら、お前がヴィヨンのように泥棒であろうと、あるいは人殺しであろうと一向に構わぬ」

石川 淳(いしかわ じゅん、1899年明治32年)3月7日 - 1987年昭和62年)12月29日)は、日本小説家文芸評論家翻訳家

東京浅草生まれ。漢学者で昌平黌の儒官であった祖父と琴の師匠をしている祖母のもとで育てられ、小学校時代から『論語』の素読をさせられる。中学時代には森鴎外夏目漱石を愛読し、森鴎外訳『諸国物語』に感銘を受け、通学途中の市電の中で森鴎外を見かけたことに感激した。そして東京外語大学でフランス語を学び、翻訳に打ち込む。戦中には「江戸期」に留学したと言われるほど江戸文化に親しんでいる。こうして和漢洋の三極構造が有機的に組み合わさった深い教養人が誕生した。

1937年普賢』で第4回芥川賞。1957年『紫苑物語』で芸術選奨文部大臣賞。1961年多年にわたる作家業績により日本芸術院賞1981年『江戸文學掌記』で第32回読売文学賞(評論・伝記部門)。1982年石川淳選集』全17巻にいたる現代文学への貢献で朝日賞。

 澁澤龍彦編『石川淳 随筆集』(平凡社)を読んだ。編者が、石川のダンディを示すそうとした書だ。ダンディとは、精神のおしゃれ、カッコよさを指す。和漢洋、古今聖俗を自由に往還する石川の随筆を精選し、歯ごたえがある書となっている。

本を読むことは美容術の秘薬であるとして、「詩酒微逐」という言葉を紹介している。読書人は目を使うから自然に顔が立派になるということだろう。

随筆について述べているのが興味深い。中国では古来、士太夫の文学は詩と随筆にあるとし、散文ではなく詩、そして軽いニュアンスのエッセイではなく随筆を文学のトップにあげている。ヨーロッパでは詩人が最上の文学者の地位にあるのと同じである。また随筆家の基本条件として、博く書をさがしてその抄をつくることにあるとし、食うにこまらぬという保証、つまり金利生活者であることが重要だと指摘している。つまり地位と財産がある者の文学が随筆なのだ。

この書では、古今東西の著名人を罵倒していて驚いた。為永春水については品性いやしきにちかく俗悪ほとんど下司に類したと評している。滝沢馬琴は士太夫きどりだが、あさましい文体のあとに愚劣なつらつきを残していると書く。永井荷風の晩年の随筆は小市民の愚痴と切り捨てる。アランについても「ウソッパチにきまっているのだから、わざわざ翻訳するにはおよばない」と書く。ほめているのかけなしているのかよくわからない文章にも困惑させられる。幻惑してからかって面白がっているのだろうか。

アンドレ・ジイドの「完全な真摯さを我がものにしようと念ずる者は、30歳前後で自分自身に驚き、自分は一体どうなるのだろうという不安に徹しない限り、その目的を達することは出来ない」という言葉を紹介している。安易な社会への妥協と参加を戒めている。石川が定職を持たない理由だろうか。30歳前後の不安については私もよくわかる。

「陽根の運動は必ず倫理的に無法でなくてはならない」「情熱の過度はそうしても女人遍歴という形式をとらざるをえず、したがって、有為の男子はどうしてもドン・ファンたらざるをえない」「批評というものはその惚れ方の度合にかかった」、、、、、。

夫人によれば「ふだん石川はあまり喋らない。お酒を飲んだときはうるさいほどペラペラ喋るくせに、その他のときはほとんど黙っている。黙って原稿用紙に向き合い、黙々と読書し、だから家の中はいたって静かであった」そうだ。

太宰治坂口安吾と並び「無頼派」と呼ばれたが、彼らとは違い88歳で亡くなるまで創作意欲は衰えなかった。独自孤高の文体で、和洋漢の広い学識を背景に時代と世相を作品に投影しているものから、ユーモラスなものまで多岐にわたり執筆している。晩年の『狂風記』は多くの若者から支持を得ている。

石川への弔辞では、安部公房は「あるべき表現、のぞむべき表現を、「精神の運動」と言い切った」とし、丸谷才一は「石川淳全集はわれわれを励ます。何を悲しむことがあろう」と述べている。「世界はさまざまな異なった考え方によって成り立ち、そして思想は他者を自覚することなしには生まれようもない」といわれた人もいた。

稲垣足穂は『弥勒』で「もっともお前が何を仕出かそうと問題ではないが、それならそれで仕事をしろ」の後に、「くだらないものは書くな。お前が仕事をしているなら、お前がヴィヨンのように泥棒であろうと、あるいは人殺しであろうと一向に構わぬ」と言われたと石川の言葉を書き留めている。自身で「精神の運動」と呼ぶダイナミズムによる作品をつくり続けることを至上としたのだ。この「精神の運動」とは何だろうか。

石川淳随筆集 (907) (平凡社ライブラリー)