大本教ーーー「万教同根」

大本教」の教義をまとめました。

梅棹忠夫『日本探検』の2回目「大本教」から。

  • 宗教活動は「大本」。社会的・思想的活動は「人類愛善会」。
  • 1921年の弾圧、最後は免訴。1935年の弾圧、教団は壊滅。控訴院裁判長「大本の教は、宇宙観、神観、人生観、社会観に対し、理路整然たる教義である」。
  • 三千世界を立て直し、今の「けものの世」を理想の「みろくの世」に変える。
  • 二大支柱は、文化的国粋主義と人類同胞主義。
  • 「世界のいろはが一つになるぞよ」。世界語の出現。エスペラント語
  • 「人類愛善」思想と「万教同根」思想。
  • 1925年、世界宗教連合会。1955年、宗教世界会議の大会が亀岡(霊国)と綾部(天国)で開催。

4月に訪問した亀岡の「万祥殿」と「朝暘館」を見学しながら教えてもらったこと。

  • 大天主太神(おおもとすめおおみかみ)は宇宙創造の大神。唯一神。これが阿弥陀如来、アラー、八百万の神などとしてあらわれる。
  • 惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)。神様にすべておかませします。幸を倍にしてください。
  • 「芸術は宗教の母である」。「大自然は神がつくった芸術作品だ」。「信仰と芸術は両輪だ」。芸術に触れることによって、神がつくった自然の花や月に対する感度があがり、ありがたさを感じることがふえていく。能舞台
  • 「信仰即芸術即生活」。お茶席は日常、生活の場。魂の向上、天国、天界へ。
  • 「神人一致」。神は万物普遍の霊。人は天地経綸の主体。神人合一して無限の権力。
  • 三大学則「天地は真神の体・宇宙は真神の力・活物は真神の霊魂」
  • 四大主義「清潔主義。楽天主義。進展主義。統一主義」。「楽天主義」とは、天命を楽しむこと。
  • 四大綱領:「政(せい)」万世一系。「教(おしえ)天授の真理。「慣」ならわし)天人道の常。「造」(なりわい)適宜の事務。

高橋和巳邪宗門』を読み始めた。

---

1万歩。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」5月8日。ハリー・S・トルーマンザ・バック・ストップス・ヒア」(ここが終点だ=ここが決定の場だ)

ハリー・S・トルーマン英語Harry S. Truman1884年5月8日 - 1972年12月26日)は、アメリカ合衆国政治家。同国第33代大統領(在任:1945年4月12日 - 1953年1月20日)。

アメリカ・ミズーリ州農村出身。高校卒業後、銀行や農業に従事。第一次世界大戦には大尉として参戦。郡裁判所判事となり、1934年に連邦上院議員当選する。1944年に4選を果たした民主党のF・ルーズベルト大統領の副大統領に選出される。わずか82日後の ルーズベルトに伴い大統領に就任したが、戦争詳細は聞かされていなかった。

トルーマンは反共路線を明確に打出し,47年トルーマン・ドクトリンを宣言,マーシャル・プランによるヨーロッパ復興援助や北大西洋条約機構 NATOの結成をはかるなど封じ込め政策 を推進した。NSC(国安全保障会議)、CIA(中央情報局)、国防総省を創設した。

1948年の大統領選挙戦で再選。フェアディールを唱え社会改革政策に取組む姿勢を示した。1950年には朝鮮戦争武力介入するが、後にマッカーサー司令長官を解任した。

トルーマン大統領は、日本への原爆投下を決定し実行した。日本は降伏の意向を示していた。7月7日に和平の特使の派遣を天皇が裁可、12日に近衛文麿の派遣が決定して、ソ連に申し入れたが、ソ連は拒否している。この日本の意向をトルーマンは知っていた。7月16日に、世界初の原爆実験が成功している。科学者の85%が無警告での原爆投下に反対し、7人のアメリカ軍最高幹部のうち6人が反対していたが、ソ連へのけん制のために実行したとされている。7月25日、「最初の原爆を広島・小倉・新潟・長崎のうちの一つに投下せよ。2発目以降は準備が出来次第と浮かせよ」と命令する。トルーマンは、一発の爆弾で大都市が壊滅するほどの威力のある原爆の投下は京都と東京を除く軍事拠点に限定せよとしていたし、広島は軍事都市だと認識していた。

トルーマンは、公式には、戦争を早く終わらせ多くのアメリカ兵を救うために原爆を投下したのだと原爆投下を正当化し続けた。しかし、惨状を知り、深く後悔していたが、責任は大統領にあるとして、この悪夢にうなされ続けた。そして大きな失敗を抱えて生きるしかないと考えていた。

 「合衆国大統領は、貴方は世にも立派な人だと告げる声を嫌という程聞かされる。大統領は、貴方は立派な人ではないと言う一つの声に耳を傾けなければならない」との言葉を語っている。原爆投下についての反省の弁ともとれる。

トルーマンは、大統領執務室にザ・バック・ストップス・ヒア」(ここが終点だ=ここが決定の場だ)と刻まれた置物を置いていた。後ろには誰もいない、自分が最終責任者だという意味である。原爆投下についての政権内の賛否はあったが、自分の責任でしたことだと歴史の審判を仰ぐこととしたのだ。この座右の銘は、大統領退任後の長い時間のトルーマンを苛んだであろう。

韓国の伊次期大統領は、「ザ・バック・ストップ・ヒア」という言葉を好んでいるというし、現代のバイデン、プーチン、ゼレンスキーも、「ラストマン」としての怖れを持ちながら日々の決断をしているのだろう。

モラトリアム人間」という言葉を思い出した。自分では責任を取らないで、バックにいる上司に丸投げする人たちという意味である。現場に近いところにいる責任者から、しだいに組織の中枢の責任者へと、モラトリアムの意識が浸透してきているという警告の書が話題になったのは、半世紀も前のことになろるだろうか。

私が大企業の本社で課長になった時に、最初に心したのは、最終責任をとるつもりで、判断し、決定を下そうといういうことだったことを思いだした。当時は、課長会議で決まらなければ、部長会議にあげよう、そこで決まらなければ、役員会、それでだめなら社長にという風潮をみての決心だった。うまくいかなければ責任をとるという決意で仕事をすると、懸念や反対を表明する人はあったが、羽交い絞めにしやめさせる人などはいなかった。役職を引き受ける時には、「ザ・バック・ストップ・ヒア」の心意気で難題に取り組まなければ大きな業績をあげることはできない。