『橋本陽子と青藍工房展ーール・サロン2022入選記念』ーー「お花がにっこりと笑ってくれる」 「藍色に魅入り酔ってしまって、頭へ来て阿呆になったという訳です」 「作品を残したい」

『橋本陽子と青藍工房展ーール・サロン2022入選記念』に出席。銀座かねまつ6F 。16時半から。

パリの伝統ある世界最古の公募展(ルノアールセザンヌなども)で入選を果たした橋本陽子の企画展。橋本陽子は「藍ろうけつ染め」という独特の技法で作品を生み出している工芸作家である。海や山、草花、木々など自然を題材に、自由に図案化している。藍の濃淡をろうけつ染めで表現する。入選作品の鳴門の渦を屏風に描いた「上巳の渦」では、18回も染色を重ねている。ル・サロンの代表者は葛飾北斎を思い起こさせるとし「動物の爪が獲物を捉えるかのような渦巻の表現が素晴らしい」と語っている。

青藍工房は徳島、蓼科、東京、宮古島にあり、娘や教え子たちに引き継がれている。


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1831年徳島市生まれ。銀行員の夫の転勤に付き添う。お茶、お花、踊りなどの他に、草木染などの手仕事を趣味として楽しむ。1965年、明石朴景に師事し本格的に藍染の道に入る。1971年、生家に藍窯をもうけ「青藍工房」を設立。ピカソの青へのあこがれが命名に関係している。以降、銀座や関西を中心に個展を開催している。

藍染めは子どもひとり育てるのと同じくらいの労力がかかるから、相当な熱意がないとやりきれない。

「お花がにっこりと笑ってくれる」

「藍色に魅入り酔ってしまって、頭へ来て阿呆になったという訳です」

「作品を残したい」

リケジョの長女・初子(メタモジ専務)は7年前の父の他界後に、母との距離を縮めるためもあり、「藍染めをやろう」と決心し、藍染めと、自然を描く水墨画、自然を詠む俳句も母・陽子と一緒に学びながら、活動を共有していく。橋本陽子がル・サロン2022年に入選。翌年に初子も応募したところ、母娘ともに入選を果たしたのである。

初子は夫とともにジャストシステムを立ち上げた最先端を走るコンピュータ・エンジニアであるが、藍染という伝統芸術に入っていった。エンジニアとして「脳」に強い関心があり、その影響で脳をヒントにした抽象画を藍染めで描いた作品を描いたと発言している。昨年亡くなった歌人の私の母・久恒啓子の「いづこの部分が夫のことばを奪ひしや抽象画のごとき脳の影像」という短歌を思いだした。

藍染めという伝統の中に生き、ろうけつ染めという革新技法を編み出した母。そして精魂込めたその技術を受け継いでいこうとする娘。母娘の交歓を伴った生命の流れを強く意識するイベントであり、「伝統と革新」を担おうとする高い志に感銘を受けた。

ライフワークという言葉がある。「ライフ」には、生活、人生、生命という3つの意味が込められているが、母の生活そのものである藍染めは、やがて人生そのものになり、そして次の娘の生命に引き継がれていくことになった。「藍ろうけつ染め」がライフワークとなった物語である。


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このイベントは私にとっても意義深かった。今年の初めあたりから旧知の「メタモジ」の浮川初子専務から「図解ソフト」の相談があった。そのプロジェクトの担当部長の松田さんと担当エンジニアに会うことができ、進捗状況を聞くことができてよかった。ジャストシステム時代に、「図解マスター」というソフトの監修をしたことがあり、それを一段と進化させることになる。近々、プロットを見せてもらうことになった。

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上記のイベントの前に、恵比寿の東京写真美術館で開催中の「星野道夫 悠久の時を旅する」展をみた。詳細は明日。

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「名言との対話」。11月22日。谷口雅春「考えを発展してくれるなら、我が教えも、我が人生も無駄ではなかったと思う」

谷口 雅春(たにぐち がしゅん・まさはる、1893年明治26年〉11月22日 - 1985年昭和60年〉6月17日)は、新宗教生長の家創始者

兵庫県神戸市出身。早稲田大学文学部中退し、大本教の専従活動家となる。出口王に三郎の『霊界物語』の口述速記、機関誌の編集主幹を歴任。1922年の第一次大本事件を機に脱退。1922年、「今起て!」との神の啓示を受けて、『生長の家』の執筆に着手する。ニューソート自己啓発)流の成功哲学を世界に広めようとした。

1949年、宗教法人格を取得。政治活動に積極的であった。建国記念日の制定、元号の法制化、優生保護法の廃止。帝国憲法の復原・改正など。玉置和郎、村上正邦などを参議院に送り込んでいる。

教義をみていこう。

  • 「万教帰一」。神道、仏教、キリスト教など諸宗教は根本は一致。目玉焼きの黄身が本当の神、白身はそれぞれの神。大本教と同じである。
  • 「現象世界は存在しない。実相があるだけである」。「仮想人間。実相人間」。
  • 大東亜戦争は「偽の日本」の敗戦であって、「神州日本国」は敗れたのではない。
  • 日本国憲法は無効であり、明治憲法に還るべきである。アメリカは、日本を愛国心の減少、家庭崩壊、性的退廃で、自滅させようとした。
  • プロライフという生命尊重の考え。優生保護法の廃止。「人類の平和は先ず生物を殺さないことから始まらなければならない」。肉食と殺生をやめよ。
  • 現在の生長の家エコロジー活動に熱心。最も積極的に環境問題に取り組んでいる。緑の保守主義脱原発立憲主義
  • 平成29年度。会員は3.7万人。信徒は46万人。

スピリチュアルメッセージ集37『プロティノス 谷口雅春』を手にした。この中で谷口雅春に語らせている。

  • 日本の神道ギリシャ神話などは多神教である。情欲もある人格神だ。「それぞれの神々たちが工夫を凝らし、自らが責任を負うエリアにおいて、地域において、さまざまな主教と信仰において、多くの人々を指導してこられた。
  • 生長の家は戦後、大きなブームとなった。多くの人々の力になった。また高邁な神理を含んだ数多くの書籍を遺した。その両方を達成できた。
  • 書籍を、集大成である『生命の実相』などをたくさん残したとしても、実際に読ん者は数少ない。その考えを発展してくれるなら、我が教えも、我が人生も無駄ではなかったと思う。

谷口雅春は著書を400冊以を書き、主著の『生命の実相』は1900万部を超えるほど多くの人々に読まれている。しかし、その威力には限界もある。谷口雅春は自らの考えを継承してくれる組織や人々の存在が大事であり、宗教法人格を持った「生長の家」を残したのである。

人は何を残すか。谷口雅春は、膨大な著書に込められた大思想と、宗教法人という大事業を残したのだ。