白川義員さんの訃報を聞くーー27歳でライフワーク全12巻の写真集を計画し、58年後の85歳で完成させ、2年後に昇天。

写真家の白川義員氏の訃報が聞こえてきました。4月5日、脳梗塞のため死去、87歳。
 に恵比寿ガーデンプレイスの「東京都写真美術館」で白川義員写真展「永遠の日本」をみました。 
f:id:k-hisatune:20210316212214j:image

愛媛県四国中央市に生まれ。1957年昭和32年)、 日本大学藝術学部写真学科卒業し、ニッポン放送に入社。1962年(昭和37年) 、 移籍したフジテレビを休職し、中日新聞社の特派員として8ヶ月間35ヶ国の撮影取材行い、フリーカメラマンとしての活動を開始。帰国後フジテレビを退社。

写真展の前期は「永遠の日本」(11作目写真集)、4月の後期は「天地創造」(12作目)となる。この二つの写真集で生涯のテーマ、ライフワークが完成している。

写真家の白川義員は、1962年、27歳から58年間で、2018年、83歳までで計画どおり、『アルプス』『ヒマラヤ』『アメリカ大陸』『聖書の世界』『中国大陸』『神々の原風景』『仏教伝来』『南極大陸』『世界百名山』『世界百名瀑』『永遠の日本』『天地創造』の全12作を完成した。85歳になっていた。

「地球再発見」「人間性回復へ」の旅を「前人未踏を往く」精神で143ヵ国と南極大陸を踏破した。想像を絶する偉業である。

「現場に立って撮影する苦労は5パーセント、現場に立つまでの苦労が95%」。日本ほど撮影に自由な国はない。しかし役人の邪魔と外国の数十倍の費用がかかる。

世界百名瀑の撮影には選ぶ作業に3年かけ188滝を撮影。中国の撮影には4年間かかった。アメリカ大陸は足かけ3年。ヒマラヤは4年間でブータンからアフガニスタンまで5000-6000キロのところを3000キロを足で歩く。21年かけた南極一周を含む3度の南極大陸全域撮影の総費用は18億円。5年かけて日本の景勝地6600地点を撮影。重要写真10万枚の中から選んだ最重要写真2万枚のデジタル化作業は、今も続いている。

白川義員は「私の仕事はどれも歴史上類を見ない撮影であった」と述懐している。まさ想像を絶する「前人未到の仕事」である。写真集『天地創造』をみていると、神の目を感じる。まさに天地創造というタイトルにふさわしい仕事だ。これほどの偉業は他に思い浮かばない。

前期の「永遠の日本」を今回見たのだが、それぞれの大型写真には「鳥瞰」と「赤変」ということ言葉が添えてあったものが多いことに気がついた。

81年に全米写真家協会最高写真家賞、88年に菊池寛賞を受賞。99年には紫綬褒章を受けている。

この人のことは、ヒマラヤ撮影(1968-1970年)の頃から知っていた。素晴らしいのは、27歳でライフワークを定め、全12巻の写真集を計画し、不屈の精神で58年後の85歳で完成させていることである。そしてその2年後に亡くなったのだ。これほど見事な生涯は稀有である。

ーーーーー

NHKラジオアーカイブ「太田昌秀2」。

新渡戸稲造『一日一言』からヒントをもらった。内村鑑三『一日一生』も注文。

1万歩。

ーーーーーー

「名言との対話」5月24日。横溝正史「謎の骨格に論理の肉付けをして浪漫の衣を着せましょう」

横溝 正史(よこみぞ せいし、本名はまさし。1902年明治35年)5月24日 - 1981年昭和56年)12月28日)は、日本小説家推理作家である。

兵庫県神戸市出身。大阪薬学専門学校(大阪大学薬学部)を出て実家で薬剤師をしていたが、23歳で江戸川乱歩(1894-1965)に出会う。乱歩は新人発掘に熱心で横溝に上京を促した。博文館に入社し「新青年」や「探偵小説」の編集長をつとめた。その後、2人で探偵小説の時代を築いていく。江戸川乱歩は人生の師だった。

楠木正成の「正」をとった本名を、作家仲間に略されてヨコセイと渾名されているうちに、セイシをそのままペンネームとした。

戦後の1948年に金田一耕助が登場する『本陣殺人事件』で第1回探偵作家倶楽部賞長編賞を受賞。デビュー後、25年目で46歳になっていたというから遅咲きであった。

1971年頃から角川春樹角川映画の柱にするため、横溝作品の文庫化に力を入れる。1979年には4000万部に達している。1980年からは、角川書店は長編推理小説新人賞として横溝正史ミステリー対象が設けられた。70代には4つの大長編を発表している。晩年に空前のブームになった。このあたりのことは、わたしもよく覚えている。この人は「遅咲き」の人であった。当時103歳の平櫛田中の活躍をみて、「せめてなりたやクリスティ」という戯れ歌を作った・「ミステリーの女王」アガサ・クリスティは85歳、田中は105歳まで生きている。横溝正史は79歳で、届かなかったが、その間に書かれた横溝の作品は多すぎて紹介しきれない。

東京都世田谷区成城にあった横溝の書斎は、山梨県山梨市に移築され、2007年(平成19年)3月25日より「横溝正史館」として公開されている。結核療養のため長野に行く途中でこの地で降りて過ごしたという土地である。平屋である。ほったらかし温泉の近にあり、2012年に訪ねたことがある。

2015年に、世田谷文学館で「植草甚一スクラップ・ブック」展で名前をみかけた。同時開催されている「コレクション展 特集 戦後70年と作家たち」の中に、「不老少年座談会」の雑誌記事があった。1976年の「GORO](小学館)の企画だ。そこでは、若者に人気の著名人が集まっていた。教祖・植草甚一(68歳)、巨匠・横溝正史(74歳)、識者・会田雄次(60歳)、そして紳士・梅田晴夫(55歳)という人たちだった。

今回、『山名耕作の不思議な生活』を読んでみた。「山名耕作の不思議な生活」「ネクタイ奇譚」「双生児」「二人の未亡人」などの短編だが、やはりさまざまのトリックがあり、最後に真実が明らかにされる。「山名耕作、、、」では「横溝」本人が登場している。横溝の正史の77作品を数える代表作の主人公・金田一耕助も、山名耕作も同じく「耕作」である。

執筆で行き詰まった際には編み物で気分転換したこの作家は、推理小説を書くにもかかわらず、閉所恐怖症でもあった。電車に乗る際は必ず酒の入った水筒を首から提げていたというエピソードもあるのは意外だ。

1980年からミステリ作家の発掘のため横溝正史賞が創設される。大賞受賞者には、金田一耕助像と副賞として500万円が与えられる。第20回までは横溝正史、第21回から第38回までは横溝正史ミステリ大賞、第39回からは、日本ホラー小説大賞との統合により横溝正史ミステリ&ホラー大賞となっている。因みに2021年度530編、2022年487編の応募がありなかなかの人気である。

推理小説とは何か。「殺人盗難誘拐詐欺など、なんらかの事件犯罪の発生と、その合理的な解決へ向けての経過を描くもの」という説明が普通であり、多彩なジャンルに発展している。その先駆けを担った一人が横溝正史であった。

冒頭の「謎の骨格に論理の肉付けをして浪漫の衣を着せましょう」は、2012年の訪問時に山梨の横溝正史館で見つけた。推理小説とは何かを、この言葉ほど見事に言い表した言葉はないように思う。謎と論理と浪漫、そして骨と肉と衣。これを組み合わせた比喩が素晴らしい。