久しぶりに福沢記念館を訪問ーー新しい知見も

中津の文化会館で行なわれるシンポジウムに出席する母親に付いていく。知り合いのおばあさんやおじいさんに挨拶。

久しぶりに福沢記念館を訪問。
中津駅前の福沢の立像は八波操五郎市長の題字。
寺町を歩く。十数のお寺が並ぶ街並みで、その一つ合元寺に出る。こも寺は赤壁として有名だ。ここで宇都宮一族がだまし討ちにあい、その時の血のしぶきがなかなか取れず、仕方なしに壁を赤く塗った。中学生の頃、ここで開かれていた英語塾に通っていたことを思い出した。

寺町の先に福沢記念館がある。以下、新しい知見。
記念館の前庭には福沢の胸像がある。今読んでいる本によれば中津出身の暴れん坊、野依秀市が現在の価値で120万円を寄付しそれが呼び水となって建立されたものだ。

  • 咸臨丸はオランダから購入した船、1857年に建造。
  • 福沢がオランダのハーグで写ったリラックスした姿の写真があった。蘭学をおさめた福沢はオランダ語を話せたからだろう。
  • 慶応の根本精神として、独立自尊を定めた。心身の独立。
  • 慶応は、ハーバード大学の協力でできた。
  • 自分で物事を考え行動することができる独立した人間の育成
  • 実学という言葉には、サイヤンスというルビがふってある。
  • 銀座の交詢社は今はどうなっているのだろうか。
  • 福沢家は13石2人扶持の下級武士。家は8畳、3畳間が三つ。
  • 記念館のそばに建つ家は母方の橋本家の家で諭吉が長く住んだ。こちらは15石3人扶持。
  • 1917年に慶応の医学科を創設、初代科長は北里柴三郎
  • 1858年に江戸の中津藩邸に蘭学塾ができてそこを任される。それが慶応義塾になる。
  • 1860年、25歳で咸臨丸でアメリカへ。1862年、ヨーロッパへ。
  • 先週の洪水で被害にあった耶馬溪の競秀峰の保護で買っている。

夕飯は、母と中津名物の鱧料理。
弟の同級生の小川さんの家族に会う。小川さんのお母さんは母の万葉集の受講生。

朝、サンデーモーニングに出た後の寺島さんから電話。昨日のインターゼミの終了後に中津に帰ったと聞いて驚いていた。