「知研・読書会」の第7回を開催ーー新人も含め最多の9人が参加。

「知研・読書会」の第7回を開催。以下、私のメモ。

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以下、司会の都築さんのメモから。

  • (1)平賀 緑『食べものから学ぶ世界史 人も自然も壊さない経済とは?』岩波ジュニア新書。著者は大豆と油が専門の経済学者。背景を探っていくと世界史につきあたる。主に穀物と砂糖を通して世界史を見る。「食べものが「商品」となり、資本主義経済の仕組みに組み込まれてしまったことに様々な問題の原因がある。
  • (2)小関智弘『職人学』講談社。町工場で旋盤職人として働いてきた。著者が、今までに出会った多くの職人とその言葉を紹介し、職人とは何かを掘り下げている。職人の語ったいい言葉もいくつか紹介した。
  • (3)芝田清次『花雲水 菓匠として世に生かされて』講談社日中戦争で左目を失う。「石門心学」「般若心経講義」などを学ぶ。1958年に和菓子舗「叶匠寿庵」を創立。大家族主義を根幹とする和式経営。「あも」という和菓子が有名。「和菓子のソニー」と呼ばれた。子の時代に「寿長生の郷」を造営。和菓子は派手な宣伝はせず、ほとんど口コミで評判になった。
  • (4)三城誠子『倉敷物語 はちまん』日本地域社会研究所岡山県倉敷を舞台に、何でも前向きに挑戦するはちまんちゃんの物語。映画化された。いがらしゆみこ美術館創立20周年の特別企画展となった。
  • (5)篠田謙一『人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンス中公新書。 古人骨に残されたDNAを解読し、ゲノム(遺伝情報)を手がかりに人類の足跡をたどる。6万年前にアフリカから全世界に広がったホモ・サピエンスネアンデルタール人やデニソワ人とも交配した。ホモ・サピエンスの起源は一つであり、人種とか民族で差別や戦争をするのは愚かなこと。
  • (6)堀川晃菜『みんなどう思う?感染症 大人も悩む「正解のない問題」に挑戦』くもん出版。子どものいだく感染症についての疑問に分かりやすく答えている。文字は少なくしているが最低限必要なことが分かるように書かれている。きわどい質問もかわいく扱っている。特定の誰かを思い出させないよう動物のキャラクターをつかうなどの配慮がなされている。
  • (7)谷川俊太郎Noritake『へいわとせんそう』ブロンズ新社。幼児向けの絵本だが、厚手の手触りのよい紙を使っている。見開きで、左に平和の姿、右に戦争のすがたを対称になるように描いている。「せんそうとへいわのときのおとうさん」など。戦争が終われば戻る世界はない、何かがなくなっただけでは終わらない。最後はせんそうのときのあかちゃんとへいわのときのあかちゃんで、両方とも同じ。
  • (8)寺島実郎ダビデの星を見つめて』NHK出版。寺島氏の『大中華圏』『ユニオンジャックの矢』と並ぶ三部作の一つ。今回は、本の読み方について。寺島氏の著作の背景や方法について語られた。文献調査とフィールドワークが基盤。大量の一次資料を読む。経験でなく実感を伴う体験(これまで100カ国以上を訪問、滞在、調査)。定点観測(世界中の知己に定期的に会って話を聞く)。構造を見ようとし、専門知でなく全体知。

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以下、私の覚書。

名前とテーマ。歴史総合。グローバルヒストリー。職人とは職業人。ブルーカラーはロボット、ホワイトカラーはAI。近江商人浄土真宗。五十嵐由美子。民族と民俗。動物同源・生物同源。サイエンスコミュニケーター。科学ジャーナリズムの衰退。NHK週刊子どもニュース。暮らしからの発想。絵本のメッセージ力。柳田邦男の絵本。絵本と公文。知的生産物と知的生産の方法。

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都心を散策:銅像千鳥ヶ淵の「品川弥二郎」「大山巌」と靖国神社の「大村益次郎」。鷺坂の万葉歌碑。

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「名言との対話」1月13日。橋本雅邦「神あって而して後形動く。物我相合し、心筆一致し、余情の紙外に溢るゝゆえん」

橋本 雅邦(はしもと がほう、男性、天保6年7月27日1835年8月21日) - 明治41年(1908年1月13日)は、明治期の日本画家。享年72。

東京都(江戸木挽町狩野勝川院邸内)出身。狩野勝川院雅信に入門し、同時入塾した狩野芳崖とともに、勝川院門下の「二神足」「竜虎」と称され、明治画壇の巨匠として日本画の命脈を保った。

明治初期は困窮し、扇子絵を描き三味線の駒を作って糊口をしのぎ、海軍兵学寮の図学の教師をしていたが、1882年の第一回内国絵画共進会の「竹林に鳩」「李白観瀑図」など濃淡を用いて狩野派の硬さを脱した作品で、銀牌第一席を得て画壇に認められる。岡倉天心フェノロサらによって創立された鑑画会に参加し、芳崖とともに日本画革新の先駆となった。

東京美術学校開校とともに教授となり、直前にい死去した芳崖亡きあと、その指導理念を受け継ぎ、古今東西の流派にこだわらず自由な個性伸長の教育を徹底して実行した。

日本美術院の創立にあたって、美術学校を退き、天心を助けた。「神(精神)あって而して後形動く。物我相合し、心筆一致し、余情の紙外に溢るゝゆえん」という「心持ち」を第一義とした画論を主張した。東京に実学校では、横山大観・下村観山・菱田春草をはじめ、寺崎広業・西郷孤月・川合玉堂・木村武山・石井林響・山内多門ら多くの後進を指導し、明治・大正・昭和の日本画壇を担う大家を育成した功績は大きい。

代表作に「秋景山水図」「白雲紅樹図」「竜虎図屏風」などがある。

橋本雅邦は、日本画の分野で嘉納芳崖とともに、狩野派の描法である江戸時代の「近世」と、遠近法を取り入れるなどして明治に花開いた「近代」への橋渡しをした画家である。

雅邦には「神あって而して後形動く。物我相合し、心筆一致し、余情の紙外に溢るゝゆえん」という言葉がある。神とは、精神のことである。絵を描くには、まず精神、心の修業からはじめよということを言っている。雅邦に影響を受けた大観も「人間ができてはじめて絵ができる。それには人物の養成ということが第一で、まず人間をつくら ねばなりません。、、。世界的の人間らしき人間ができて、こんどは世界的の絵ができるという わけです。、、、ただ一つ我は日本人であるという誇りをどこまでも堅持してもらいたい」と言っている。こういう人格主義の流れは、「偉大な人が出た時に初めて偉大なる芸術が出来る」という大観以下、観山、春草、玉堂ら、後を継いだ日本画の巨匠の中にとうとうと流れている。近世のエキスを、洋画の怒涛の進撃の中で食い止め、近代につないだところに、橋本雅邦の功績があるとあると感じた。

 

参考:「国史大辞典」