「遅咲き偉人伝」はセザンヌ「絵を描きながら死にたい」。昼は横浜中華街で今年最初の兄弟会。

ユーチューブ「遅咲き偉人伝」。前回はゴッホ、今回はセザンヌ

https://youtu.be/ROxRNQMucvQch?v=ROxRNQMucvQ

今日の昼は横浜中華街で「兄弟会」。順海閣。4時間。

ものすごい人出だった。コロナの鎮静、春休みということもあるのだろう。ほかの人のFBでも、どこも人出が多かったようだ。

母の3回忌の日程調整:5月28日。中津、福岡。最近亡くなった東原さんの話題。、、、、。妹「楽しかったねーー。兄弟会が一番楽しいーー」。弟「だね、言いたいこと言えて、楽しかった。お母さんがいるとまたいじってもっと楽しかっただろう」(以上、LINEから)。次回は中津で。

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「名言との対話」3月5日。歌川国芳「「西洋画は真の画なり。世は常にこれに倣わんと欲すれども得ず嘆息の至りなり

歌川 国芳(うたがわ くによし、寛政9年11月15日1798年1月1日) - 文久元年3月5日1861年4月14日))は、江戸時代末期の浮世絵師

歌川国芳は、北斎、広重と同じ江戸後期を生きた浮世絵師。広重とは同年生まれ。日本橋染物屋に生まれ、10代で歌川豊国の弟子となったが、30代で人気絵師になるという遅咲きだった。

2010年に府中美術館で開催された「歌川国芳--奇と笑いの木版画」展。では、以下の印象を書いている。歌川国芳(1797-1861年)は、北斎、広重と同じ江戸後期を生きた浮世絵師。この企画展はある人物が収集した二千数百点の絵から選んだというがどういう人物か興味が湧く。日本橋染物屋に生まれ、10代で歌川豊国の弟子となり、30代で人気絵師になるという遅咲き。

2011年に浮世絵専門の太田美術館で「破天荒の浮世絵師 歌川国芳」展を観たことがある。国芳は63歳で亡くなるが、年譜を見ると48-52歳の間が最も仕事が活発だ。

2017年に府中美術館で「歌川国芳 21世紀の絵画力」展。最初の企画展から7年経ってこちらの構えも違っているせいか、国芳の現代的なスタイルに感銘を受けた。歌川国芳は、豊国門下で、兄弟子は国貞(三代豊国)。41歳の頃、河鍋暁斎が7歳で入門している。国芳の画風を暁斎が展開したのだ。「最後の浮世絵師」と呼ばれた月岡芳年も弟子であり、その画系は芳年年方清方深水という風に昭和期にまで続いている。

老中水野忠邦による天保の改革では、質素倹約、風紀粛清の号令の元、浮世絵も役者絵や美人画が禁止になるなど大打撃を受けるが、国芳は、浮世絵で精一杯の皮肉をぶつけた。国芳を要注意人物と徹底的に幕府からマークされている。

武者絵の国芳」と言われたが、武者絵以外にも役者絵、美人画、名所絵など様々な作品を世に残している。西洋画に注目してその写実技法を取り入れ、リアリティの強い作品を生んだ。「相馬の古内裏」という作品に描かれている巨大なガイコツは「西洋の解剖学の書物を研究した成果」と言われている。ユーモアに富み、気骨のある、そして進取の気象に富んだ痛快な人物像が浮かんでくる。

以上は、2017年の記述である。以下、2017年の府中市美術館「歌川国芳 21世紀の絵画力」展の詳細を書く。

混んでいたが、この美術館はじっくりと観賞できるように、入場制限をしながら人を順次入れていく。あせらずにじっくりと観ることができた。「これぞ国芳!」決定版とあるだけあって、量と質とも充実していた。

2010年に府中美術館で開催された「歌川国芳--奇と笑いの木版画」展も見ている。10代で歌川豊国の弟子となり、30代で人気絵師になるという遅咲きの人という薄い印象しかなかったが、7年経ってこちらの構えも違っているせいか、国芳の現代的なスタイルに感銘を受けた。 国芳が人気だそうだ。何が現代人に響くのか。「かわいいもの」に人気がでる今に合っている。特に「猫」は猫ブームの現代人の心とつながる。

歌川国芳は、豊国門下で、兄弟子は国貞(三代豊国)。41歳の頃、河鍋暁斎が7歳で入門している。国芳の画風を暁斎が展開したのだ。

私は美術館などの企画展では必ず厚い「公式図録」を買うことにしている。その図録もずいぶんとたまってきた。今回の「国芳」展の図録は、今まで手にした中で、もっとも力が入ったものだった。通常は、最初と最後に若干の論考があり、後は絵画作品を並べて終わりというものが多いが、今回は全く違う。説明文が実に多いのだ。企画展を企画した人たちの意気込みを強烈に感じさせる。おざなりの企画展ではなかった。美術王国・日本でもこのようなスタイルが浸透してくれば、さらに日本人の芸術鑑賞力はアップするだろう。

「相馬の古内裏」

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「近江の国の勇婦お兼」

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西洋の本「イソップ物語」の挿絵をもとに描いた銅版画。

 「みかけはこはゐがとんだいいひとだ」

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 男たちの裸身が重なり合って人間の顔となる。だまし絵。

歌川国芳歌川広重は同年生まれ。この年、蔦屋重三郎が48歳で没。15歳、歌川豊国に入門。31歳、水滸伝の武者絵シリーズでデビュー。35歳、洋風表現を取り入れた風景版画を多数発表。40歳、滝沢馬琴の70歳の賀に出席。41歳、河鍋暁斎が7歳で入門。46歳、艶本の取り締まりで罰金。47歳、天保の改革を批判したと評判・回収。48歳、北斎に面会。54歳、風刺画が発禁処分。月岡芳年が入門。57歳、「評判記に「豊国にかほ(似顔)、国芳むしゃ(武者)、広重めいしょ(名所)」と掲載。59歳、中風。60歳、最初の妻没。65歳、没。

30代でのデビューは、当時としては遅咲きだ。この国芳の生きた65年間の絵描きたち等の人生と作品がからまってくる。国芳の20代では、山東京伝56歳で没。杉田玄白85歳で没。司馬江漢72歳で没。初代豊国57歳で没。30代では、大槻玄沢71歳で没。酒井抱一68歳で没。40代では、谷文晁78歳で没。柳亭種彦60歳で没。間宮林蔵65歳(?)で没。50代では、渓斎英泉58歳で没。葛飾北斎90歳で没。高野長英47歳で自殺。60代では、歌川広重62歳で没。まるでドラマティックな絵巻物のようだ。

以下、国芳の人と作品をとりあげる。

まず「人物」。江戸っ子の気性。極端な巻き舌。職人気質。逸話が多い。無鉄砲。尻軽。猫好き。気分屋。反骨。ユーモア。人間味のある花形絵師・浮世絵画工。

「作品」。「水滸伝」でデビュー。武者絵というジャンルをメジャーにした。西洋語法の写実主義に基づく有名人の肖像の錦絵。劇画の祖。今日の漫画・戯画の軽妙さ。リアル。自由闊達。遊び。おちゃらけ,戯れごと。笑いと共感。東西芸術の不完全な融合。

 北斎没後の1850年の浮世絵師ランキングのトップは国貞「出藍」(初代豊国を超えた)、広重「真景」(風景画)、国芳「狂筆」(おかしな絵)とある。彼らは日本の近代の浮世絵を代表する画家である。