「知的生産の技術」ゼミ発表会:情報産業時代の知的生産の「技術」と「知的生産」のパーティ学。

「知的生産の技術」ゼミの発表会。以下、リーダーの都築さんの総括。
深呼吸学部 梅棹忠夫ゼミ「いま、『知的生産の技術』を読みなおす」最終回(=総集編=発表会)が終わりました。参加者は、聴くだけの方を入れて7名。最初の約30分間、都築から、このゼミを始めた経緯と、第1回~第5回のスライドにコメントなどを入れたものを次々と示しながら、振り返りを行いました。
  • 大きく、次のようなキーワード・キーフレーズがありました。 ・単に「知的生産の技術」を理解するだけにとどめず、自分ごととしてとらえ、現代の生活に活かしていくかという読み方をしていきたいと思います。・あえて漢語を少なく、ひらかなで表している言葉が多い。・「知的生産」という言葉は、頭をはたらかせて、何かあたらしいことがらー情報ーを、ひとにわかるかたちで提出すること。・学校は、知識はおしえるけど、知識の獲得のしかたはあまりおしえてくれない。・この本でかこうとしていることは、「いかによみ、いかにかんがえ、いかにかくか」。「いかにかんがえるか」が最も大切。・知的生産は現代に生きる人間すべての問題。・記憶は信用できない。記録すべきだ。・明日になれば自分は他人であり忘れてしまうので、あとで使えるように文章化する。・発信の必要性があればいろいろなことに気づき、記録するようになる。・「知的生産の技術」が出てから非常に多くの人がカードを購入したが、うまく使っている人を見たことがない。・カードは、共同研究の中で必要性に迫られて使われ、進歩していった。共同研究にはたいへん有効である。・カードは、わすれるためにつけるもの。・カードを活用するとは、カードを操作して、知的生産の作業をおこなうこと。いちばん重要なことは、くみかえ作業。・今日、日々の業務に追われる中でもいかにして知的生産をおこなっていくか。それを追求するのが大きな一つの課題。・読書について梅棹氏は「はじめからおわりまでよむ」「一気によむ」「本は二度よむ」などを提案しているが、読書のしかたは目的にもよる。梅棹先生の読書のしかたは名シェフの料理法と同じ。いきなり真似ると失敗する。・読書は「私にとっておもしろいところ」つまり「私の文脈」が大切。・かくときに「かんがえをまとめる」ことが大事。「こざね法」は、「図解」と同じ。
この後、参加者からコメントをいただき、久恒さん、橘川さんからのコメントもいただいた。
  • 久恒さんからのコメント。・知的生産の中核は考えること。特に、関係を考えること。自分のデータベースを基に。そのために図解コミュニケーションが最も良い。・『知的生産の技術』は名著ではあるがあまり神聖化してはいけない。梅棹氏は名シェフだが、ヒントを得ても真似る必要はない。自分なりの手作りの料理法をつくる。・生き方が重要。習慣をコントロールできるか。それにはタイムマネジメントが必要。・情報産業社会では全ての人が人生の研究者。例えば芸術的なものも知的生産。表現のない所に知的生産はない。
  • 橘川さんのコメント。・梅棹氏は知の巨人だが、時代背景もあり、京大の中で育まれた。その時代は情報化社会の端緒。しかし現在は情報化社会の真っ只中。・昔はテーマを見つけることが重要で、その過程でいろいろな分野に触れてきたが80年代頃から情報をどこかから引っぱってくることが主になった。知的消費の拡大。・深呼吸は吸ってはく。その間に肺のフィルターを通す。AIの時代になっても同じ。・AIのべりすと、α碁などいろいろ出ているが、AIは人間がやらなくてもよかったことをやってくれると捉える。人間が優れているのは入力デバイス
  • 最後に、今後のことについて都築からひとつの案を出しました。あくまでも例ですが「AI時代の『わたしの知的生産の技術』」。「発見」「読書」「かんがえる」などのテーマごとに、と思っていました。しかし、「本を書くことだけが知的生産ではない。作曲やゲームづくりや学校の授業も知的生産と捉えていいのではないか。そうなると、それぞれの仕事や活動の中での広い意味での知的生産を語ってもらうのもよい。」という助言をいただいて、確かにそうだと思い、検討中です。

以下、私のメモ。

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今後の方向のヒント。

・「知的生産」の範囲を広げる:ゲーム開発、各種芸術、研究、授業、日記、仕事、川柳、、、。それぞれの「技術」があるはず。情報産業時代においてはあらゆる活動が知的生産活動になる。手作り、IT、AI。情報産業時代の知的生産の「技術」。

・グループによる「知的生産」を実践する:個人による知的生産の零細技術と、組織による知的生産の巨大技術の中間の領域。知的生産のパーティ学。

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「名言との対話」3月14日。吉本せい「笑わせなあきまへんで」

吉本 せい(よしもと せい、1889年12月5日 - 1950年3月14日)は、吉本興業創業者、芸能プロモーター

明石家さんまダウンタウンなど、人気芸人の宝庫ともいうべき吉本興業。日本の「お笑い界」を席巻する吉本興業の創業者が吉本せいである。山崎豊子の小説『花のれん』(1958年)のモデルである。芸術座で、菊田一夫の演出で同名の公演が行われた。1978年には「おもろい女」という題名で芸術座公演が行われるど、その後も劇場で吉本せいの人生を主題とした舞台がつづいている。

吉本せいは20歳で老舗荒物問屋「箸吉」の息子と吉本吉兵衛と結婚。22歳、「第二文芸館」を買収し寄席の経営を始める。変化する入場料、物販のアイデア。機転と気配りの天才。複数の寄席を「花月」と改名。寄席以外にも、ものまね、義太夫、娘義太夫剣舞、曲芸も興業に加えていく。客を呼べる看板芸人にはサラリーマンの10倍以上の破格のギャラを出す。吉本せいは、優れた起業家であった。1948年、吉本興業合名会社から「吉本興業株式会社」に改組し会長。1950年、死去。

落語に比べ歴史は古いが地位の低かった万歳に目をつけ、エンタツアチャコのインテリ万歳で成功をおさめる。万歳を新しい名前「漫才」に変えて芸能の世界を変えていく。ラジオ時代に乗って客をどんどん増やしていく。ついにせいは「女今太閤」「女版小林一三」と呼ばれるまでになる。吉本せいは、大実業家となっていく。

「心許すときはしっかりその人を観なはれ。時代を先取りして、誰の意見でも有り難く聴くことです。実行する、せんはこちらが決めればよろしい。失敗は何にでもつきもんです。恐れてては何もできまへん」

吉本せいをモデルにした2017年10月から始まったNHK朝ドラ「わろてんか」でその人生ドラマを楽しんだ。語りはNHK の小野文枝アナウンサー。京都編、大阪編船場編、笑売編、女興行師編と続くドラマである。平均視聴率は20.1%。

吉本興業の使命は大衆を「笑わせる」ことだった。人を観る。時代を先取りする。意見をよく聞く。そしていいと思ったものは失敗を恐れず断固実行する。お笑いに人生を賭けた女大将は、「笑わせなあきまへんで」と常に言いながらお笑いの集団を組織していった。

私もファンの「ピース」の又吉直樹の活躍など、今をときめく吉本興業は、現在では社員数868名、所属タレントは約6000名をかかえる企業に発展している。劇場運営だけでなく、テレビ・ラジオ、ビデオ、CM、その他映像ソフトの企画、制作、販売。イベント、広告、不動産、ショービジネスなど手広く活動をしている。創業は1912年だから、立派な100年企業だ。因みに「スクール」部門では、吉本総合芸能学院、よしもとアカデミー、よしもとデジタテイメントアカデミー、吉本興業高等学院、沖縄ラグ&ピース専門学校、沖縄ラフ&ピース専門学校高等課程などを擁している。BSよしもと、住みます芸人などの地方創生、アジア、中国、アメリカなどのグローバル展開、最年少三冠王の村上などのスポーツ関係者も一員だ。ヨシモトブックスで芸人の出版活動も支援している。

吉本せいの「笑わせなあきまへんで」という創業の精神は、100年以上たって大きく花開いているといえるだろう。人材の宝庫となった吉本興業の将来が楽しみだ。