片岡球子「面構え」シリーズ展。ビジネスマン時代の友人と会食。「知的生産の技術」ゼミ。

夜:20時半から、リモートで「知的生産の技術」ゼミの3回目に参加。

  • 主宰の都築さんの図解を使った解説を聞きながら、黒字で自分用のメモをとる。
  • 参加者の体験や疑問を聞きつつ、自分の答えを考えながら赤字でメモをとる。
  • メモのキーワード同士の関係、話す順番を考え、全体のストーリーをスケッチ。

以上のやり方で話すというやり方を毎回試している。

  • 「カード」とは規格化。ファイル・BOX。自分でつくったデータベースが有用。検索の出現による大変化。
  • IT技術の進化による「知的生産の技術」のブラシュアップに期待。
  • 事務と研究:考え方が重要。事務とは精神衛生のための整理。「ライブ・保管・保存・廃棄」。「ライブ・フロー・ストック」。「私をつくった本・私がつくった本・私がつくる本」。「過去・現在・未来」。その上で「研究」がある。
  • 本居宣長に学ぼう:本居宣長記念館。3刀流(昼・夜・深夜)。『古事記伝』44巻は34年。生まれた日から死ぬ直前までの日記。才能・晩学・暇。記録と継続の人。整理の達人。「ういのやまぶみ」。
  • 零細技術と巨大技術。個人と集団。能力と技術。知的生産とその技術。永遠の課題。「いつか役立つ情報」。仕事人のタイムマネジメント。盲者の知的生産の技術。学者という人種。

以下、参加者の学び。

(4) 深呼吸学部梅棹忠夫ゼミ「いま、『知的生産の技術』を読みなおす」第3回 | Facebook

  • 都築様、久恒先生、みなさま、本日の梅棹忠夫ゼミ、ありがとうございました。「カードのつかいかた」「きりぬきと規格化」「整理と事務」という3つを読んでの感想や意見交換の中、日ごろ情報を集めることは好きで、いろいろな媒体を使って記録はしているものの、活用という意味ではあまり出来ていないことや、古い情報もため込んだまま雑然としているため、精神衛生上もあまり芳しくない状態であることに改めて気づかされました。梅棹先生が、知的生産には「秩序としずけさ」が必要と言われており、身の回りの情報をきちんと整理し、すっきりした気持ちでいることが大切だと思いました。この点に関して久恒先生から、情報を整理するための方針を決めること、その一例として過去・現在・未来という視点で整理するという話があり、大変参考になりました。また「カードの本質は規格化」「データベースは自分で作ったものしか使えない」「仕事自体が知的生産」という話も印象に残りました。知的生産者としての本居宣長の話を伺いましたが、記録することと長く続けることが大事とのこと。こうしたことを少しでも自分の中に取り込めればと思いました。ありがとうございました。
  • 1月27日(金)、橘川・深呼吸学部+久恒・図解塾グループのイベント「いま、『知的生産の技術』を読みなおす」第3回を終えました。「3 カードとそのつかいかた」「4 きりぬきと規格化」「5 整理と事務」の3つの章について学びを深めました。参加者は6名。はじめに都築の方で概要を図解で説明し、他の参加者からも資料を共有したり実践を報告したりしました。私のパワポ資料の図解を添付いたします。本文より、本日のキーワードといえるものをここに列挙します。カードは、わすれるためにかくものである。」「自分というものは、時間がたてば他人とおなじだ、ということをわすれてはならない。」「何万枚のカードも、死蔵していたのではなんにもならない。」 「カードの操作の中で、いちばん重要なことは、くみかえ操作である。」「規格化をつよくおしすすめることは、身辺から雑多な要素を追放し、知的作業をわかりやすくするために、たいへん有効な方法である。」「整理や事務のシステムをととのえるのは、「時間」がほしいからではなく、生活の「秩序としずけさ」がほしいからである。後半の意見交換では、それぞれの参加者が情報をためこむのは熱心にやってきたが、活用していないという共通の課題が話題の中心になりました。初参加の安川新一郎さんは、コロナ禍で自宅にこもっている間、梅棹忠夫「知的生産の技術」「情報の文明学」、加藤秀俊「整理学」、外山滋比古「思考の整理学」をはじめ知的生産に関係する多数の書物を読み、ICT時代の現代にどう実装するかというブログを発信していることを話されました。
    また、「知的生産の技術」で紹介されていた本居宣長の知の巨人としての活動、壮大なライフワークについても久恒さんから改めて紹介され、そのすごさに改めて驚きました。最後に言われた「梅棹先生も加藤先生も、みんな学者だったので時間はあったからできた、というところもある」という言葉にほっとしました。今日、日々の業務に追われる中でもいかにして知的生産を行っていくか、それを追求するのが大きな一つの課題だと認識しました。話が尽きない1時間半でした。次回は、2月10日(金)の20:30から「6 読書」の予定です。
  • 第三回深呼吸学部梅棹忠夫ゼミに参加させていただきました。久恒先生、都築さん、皆様ありがとうございました。今回は、梅棹先生の著書「知的生産の技術」から第3章「3 カードとその使い方」「4 きりぬきと規格化」「5 整理と事務」を発表したり、感想や意見交換をし、大変参考になりました。私の特に印象に残った梅棹先生の言葉は「カード・システムは長期にわたって使用しつづけることを前提としている。」という言葉です。35年前に「知的生産の技術」を読み、購入した京大型カードが、今もなお色褪せず手元に新品のごとく残っており、あらためて「知的生産の技術」を読み直すと梅棹先生の細部にまでこだわった京大型カードへの思いが伝わり、感動しました。特にカードの「紙質選び」にこだわっている点は、素晴らしいと思いました。実際京大型カードを手にしてみると梅棹先生が言われている「あつさとしなやかさ」を感じ取りました。これは、カードは、くるものであるという考え方から、丁度良い質感になっており、カードの並びかえが心地良く、しやすいと思いました。また罫線の幅が1cmほどとってあり、市販のノート類より書きやすいなど工夫がされてあることがわかりました。一見何の変哲もない単純なことが、カード・システムの効果を発揮する条件だと梅棹先生が言われており、京大型カードのただ書けばいいといったことだけでなく、資料整理の技術の深みと梅棹先生のカード・システム思いを感じました。また今まで、「おぼえるためにかく」ということを実践してきましたが、梅棹先生はカードのつかいかたのかきかたの基本原則として「わすれるためにかく」という考え方を述べています。それは、カードにかいたら「安心してわすれていい」と言われ、今まで私が考えていた逆の発想に驚き、納得しました。次にカードをみるときは、他人がみてもわかるように完全な文章でかくことが大切で「自分というものは、時間がたてば他人と同じだ」という梅棹先生の言葉も納得がいきました。 今までに考えたことがなった「カード・システム」や「整理と整頓の違い」の話から、様々な視点での話が聞けてとても参考になり、日常生活でも実践したいと思いました。今はデジタルの時代ですが、今の時代にあったツールを活用して今後も資料整理の技術の習慣化していきたいと思います。安川さんのブログの紹介があり、とても興味深く、読んでみたいと思いました。 久恒先生からのお話で本居宣長が自分の家の書棚からあかりをつけずに本を取り出すことができたらしく、また生まれたころからの日記をつけるなど記録にこだわった様子の話も興味深かったです。ありがとうございました。次回もよろしくお願いいたします。
  • 都築さん、久恒先生、参加の皆さん、「今、知的生産の技術を読む」第3回、ありがとうございました。ちょうど、今日お話した、自分なりにまとめた知的生産の技術とそれを2022のテクノロジーで実装するというブログ2本思い出したので、添付します。
     

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昼。

横浜そごう美術館で、片岡球子「面構え」シリーズを堪能した。図録と『精進ひとすじ 片岡球子の言葉』を購入。

12時半からJAL同期の生田康夫君と久しぶりに会食。そごう10階の「大和屋」。40年の俳句修行のことを聞く。10冊の歳時記。同学の仲間の存在。2000句。、、、、、。そして同僚たちの動向、彼のキャリアについても。川柳と俳句。

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「名言との対話」5月29日。野口雨情「童謡は童心性を基調として、真、善、美の上に立つてゐる芸術であります」

野口雨情(のぐち うじょう、1882年明治15年)5月29日 - 1945年昭和20年)1月27日)は、詩人童謡民謡作詞家。享年62。

茨城県茨木市生まれ。その後の人生を眺めると、東京専門学校の中退から始まり、失敗、不発、転々、悶々、離婚という苦悩の言葉が垣間見える。

1905年の民謡詩集「枯草」から始まる詩人としての活動は活発で、童謡、創作民謡などにも多くの名作を残した。北原白秋西條八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われるまでになった。

代表作で私もよく歌ったのは、「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」「青い目の人形」「シャボン玉」「こがね虫」「あの町この町」「雨降りお月さん」「証城寺の狸囃子」「波浮の港」「船頭小唄」などがある。日本なら誰でも知っている歌がこれほどあるということに感嘆する。

「シャボン玉」は、野口雨情が生後まもなく死んでしまった長女に捧げた鎮魂歌だったともいわれている。 我が子の死を悲しみ、はかないシャボン玉にそれを託し、最後に「風風吹くなシャボン玉とばそ」と我が子の魂が天国で幸せにという気持ちを込めた詩に、童謡作曲家の中山晋平が、優しい曲をつけている。

私は2009年に、八王子恩方にある「夕やけ小やけ ふれあいの里」の中村雨紅展示ホールを訪ねた。中村雨紅は、童謡「夕焼け小焼け」の作詞者である。19歳で府立青山師範学校を卒業、21歳で童話を書き始める。24歳で野口雨情宅を訪問し、以後中村雨紅をペンネームとするなど、雨情は後進にも大きな影響を与えていることを知った。

今回『野口雨情 名作全集』(日本文学研究会)を手にした。第1章「青い目の人形」から始まり、石川啄木小川芋銭との交流の随筆もあり、第24章の「未刊童謡」までが集録されている。この最初の「青い目の人形」に、野口雨情の童謡観が記されている。

「童謡は童心性を基調として、真、善、美の上に立つてゐる芸術であります」とあり、続いて、「童謡の本質は知識の芸術ではありません、童謡が直に児童と握手の出来るのも知識の芸術でないからであります。童謡が児童の生活に一致し、真、善、美の上に立つて情操陶冶の教育と一致するのも超知識的であるからであります」との力強い言葉がある。

童謡、童話、絵本などは、子どもや児童の情操、正義感、暖かい心を育む。こういった仕事に心血を注ぐ人たちは、聖なる人たちであると思う。わけても童謡は音楽の力によって、子どもたちの心に深く宿る。そういう人たちの代表格が野口雨情である。

野口雨情は、明治15年に生まれ、太平洋戦争の敗戦の1945年までの、明治、大正、昭和前期という日本近代を生き、詩、童謡などの分野で大きな足跡を残した。とくに童謡については、いまだにメロディーとともに、雨情の詩は親しまれている。日本人の心情に広く、深い影響を与えた人である。音楽の力を改めて感じた。

野口雨情 名作全集: 日本文学作品全集(電子版) (野口雨情文学研究会)