共著『人生は迷いと決断の協奏曲』(人生100年時代を輝かせる会=編)を刊行。

私も参加した共著『人生は迷いと決断の協奏曲』(日本地域社会研究所)が発売されました。

「人は、生きているとさまざまな局面で難しい判断を迫られる−。高度経済成長期から低成長期の荒波を生き抜いた「人生の先達」10人が、岐路に立たされたときの対処法と、躓いたときの這い上がり方、未来の見据え方を綴る」(「TRC MARC」の商品解説)という謳い文句です。

表紙のデザインが気に入っています。手元に届くのが楽しみです。

目次。

  • ジェトロヤンゴン事務所の開設奮闘記 荒木義宏
  • 迷ったときは難しい道?それとも安易な道?どっち!? 伊佐和巳
  • 迷ったときはデータに聞け 伊藤廉
  • 私の人生における選択と出会い 猪俣範一
  • 迷ったときは、少し時間をかけて決定する 小野恒
  • 失敗は判断の誤り、成功は正しい判断から生まれる 呉羽和郎
  • 人生選択の判断 小林尚衛
  • 研究者をやめて教師に、きっかけは聖書との出会い 都築功
  • 千仞の谷を跳んだ人生最大の「決断」 久恒啓一
  • 迷ったことがない私 茂木正朗
  • アンケート「迷ったときの決定法」

以下、私の「千仞の谷を跳んだ人生最大の「決断」のまえがきから。

 

人生は選択と決断の連続です。

ふり返って見れば、私も大小さまざまの岐路に立ち、その都度、進路を選択し今日に至っています。その中で、最大の「決断」は、40代半ばの転職であったことは間違いありません。ビジネスマンから、大学教員への方向転換です。、、、、

 

中略

 

、、、、方向転換をするとなると、あらゆる状況をこの大プロジェクトにひきつけて、大きな構えでかつ慎重にマネジメントしていかねばなりません。退職までの3年間は、我が人生においてライフコンシャス(人生に対する意識)がもっとも高い期間でした。社内外の人に会うたびに、その人の人生を見つめながら、自分のこれからの人生を深く考えることになりました。そして、転職をするかしないかという生涯最大の決断に向かって進み、最後は目をつぶって千仞の谷を挑びました。

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「名言との対話」4月1日。豊沢団平「芸の奥義は深いもので、考えても考えても尽くることがない。わしはいつも芸の事を考えているから少しも退屈せぬ」

初代豊沢団平(とよさわ だんぺい 文政11年(1828年) - 明治31年(1898年4月1日)は、人形浄瑠璃文楽義太夫名跡となった三味線弾きの名人。

溝口健二監督の映画「浪花」、有吉佐和子の小説『一の糸』は、豊沢団平をモデルとしている。逸話の多い人物であった。

兵庫県加古川市出身。飛行機には航空の安全を祈る航空神社があるように、浄瑠璃には浄瑠璃神社がある。大阪市天王寺区生国魂神社境内の中にある。祭神は文楽の先哲たちで近松門左衛門などが祀られてる。舞踊、琴など諸芸の上達のために信仰を集めている。団平には神号があり、「三緒妙音翁神」という。団平は舞台中に脳溢血で72歳で没した。戒名は大達糸道居士となっている。「三」、「音」、「糸」が入っているのは興味深い。

三代目竹本大隅太夫の相三味線となったとき、団平のけいこの激しさに声をつぶしてしまったという逸話があるくらい、稽古が厳しかった。「芸」とは、学問や武術・伝統芸能などの、修練によって身につける特別の技能・技術を言うが、学問も武術も、奥義を深め一芸に秀でることは容易ではない。人形浄瑠璃文楽」における団平の禁欲的修練の姿はそのことを教えてくれる。

時計を見ても時間の数え方を知らず、着物のよしあしも解らず、月にも花にもただ一挺の三味線あるのみ。このオトに安心立命を得て、三味線に生き三味線に死んだ、これは劇作家・劇評家の岡村柿紅氏の評である。

そしてとうとう豊沢団平は三味線引きの神様になったのである。