- ウオーキング:先週1週間の平均は1万142歩だった。2022年の平均は7421歩。2023年の目標は1割増しの8000歩だが、今までは7240歩。3月は6534歩。4月は8030歩なので、4月のペースで過ごしたい。
- 今日の収穫:槇文彦(建築家)「大きさや予算の問題じゃない。いつでも面白いことに挑戦していたいのが建築家という生き物です」(日経「私の履歴書」吉田忠裕(YKK))。永田和宏「植物の名前を一つ、星座の名前を一つ知っているだけで世界は豊かになる。歌を一首知っているとまた彩りが増す。、、日々の生活の豊かさ、世界の見え方の余裕こそ、、、我々が限られた〈生の時間〉を生きていくうえで、より大切ではないか」(日経)
- 野田先生の「語録」の企画について:藤村さんより奥様の了解をいただいたとの電話連絡あり。
- 電話:古い知り合いの仙波さん。中津の藤田くん。
- シェア書店「猫の本棚」から承認の連絡あり。
- 本の注文:『ハドリニアヌス帝の回想』。『プルターク英雄伝』。『原田マハ、アートの達人に会いにいく』
- 本の到着:仙台の画家の山浦さんから『仙台ジャズ物語ーー楽都仙台と日本のジャズ史』(岡本勝壽)が届いた。表紙は山浦さんの作品。好きだなあ。
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Bingとの対話から。テーマ「早起き」。CahtGPTを組み込んだBingを使い倒すことにしよう。
村上春樹(作家)。宗次徳治(CoCo壱番屋)。原田泳幸(ベネッセ)。西島篤志(二西島)。哀川翔(俳優)。有野晋哉(芸人)。柳井正(ユニクロ)。ティム・クック(Apple)。マック・ザッカーバーグ(Facebook)。
以下は、私のDBからーー馬越恭平。カント。梅屋庄吉。平櫛田中。ウィルソン。ヒルティ。武者小路実篤。
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「名言との対話」4月25日。大槻玄沢「およそ、事業は、みだりに興すことあるべからず。思いさだめて興すことあらば、遂げずばやまじ、の精神なかるべからず」
大槻 玄沢(おおつき げんたく、宝暦7年9月28日(1757年11月9日)- 文政10年3月30日(1827年4月25日))は、一関藩出身の江戸時代後期の蘭学者。
大槻玄沢は 『解体新書』の翻訳で有名な杉田玄白・前野良沢の弟子でその才を見込まれて両師から可愛がられた。玄白からは医学、良沢からオランダ語を学んだ。「玄沢」とは、師である2人から一文字ずつもらってつけた通り名である。
玄沢は師の指示で『重訂解体新書』を完成させている。仙台藩医として江戸詰時代にはシーボルトとも交流があった。『蘭学階梯』に刺激を受けた全国の秀才が玄沢のもとに集まり、江戸蘭学の中心的存在となった。
「西の頼家、東の大槻家」ともいわれた。玄沢の息子には漢学者の大槻磐渓、孫に『言海を編んだ』国語学者の大槻文彦がおり、郷里の一関(現在の岩手県)では、この3人を「大槻三賢人」と称している名門である。
大槻盤渓は子ども時代から才能があり、桂川甫周が「能学家を蘭学者の中に育てなければならない」と言うと、父の玄沢は10歳にもならない盤渓を指して「わが家の六次郎(盤渓の幼名)がその任に当たりそうに思える」と語った。大槻盤渓は、仙台藩の藩校、養賢堂学頭であった磐渓は、幕末期の仙台藩論客である。
大槻文彦について。小林秀雄は日本の近代の入口を求めて、近世を旅する。それは武者達が闊歩する戦国時代から始まるのだが、その風潮は「下剋上」という言葉で表わされる。大槻文彦の「大言海」には、「此語、でもくらしいトモ解スベシ」とある。下剋上とはデモクラシーのこととすれば民主主義を標榜する近代は、実は近世から始まるともいえるのである。高田宏は1978年に言語学者大槻文彦の評伝『言葉の海へ』を書いている。この書は大佛次郎賞と亀井勝一郎賞を受賞している。
さて、大槻玄沢は「遂げずばやまじ」の精神で、玄白から命ぜられて『解体新書』の改訂に取り組む。1790年から始めて、1798年には『重訂解体新書』ができた。改訂作業は続き、1804年にようやく完了した。その精神が現れた偉業である。著書や翻訳書は、300巻に及ぶという仕事人でもあった。その精神は、息子の盤渓、孫の文彦にも引き継がれて、それぞれ歴史に名を残す仕事を完成させている。その源は玄沢であった。この人の影響力は何世代にも渡った。
因みに、並び称された「頼家」。朱子学者の頼春水、春風、杏坪の三兄弟は、学問、詩文、書に優れ「三頼」と呼ばれた。春水の子が『日本外史』を書いた頼山陽、その三男が幕末の勤王の志士で詩人の頼三樹三郎。
短歌の佐々木信綱の佐々木家は、子の治綱とその妻の由畿、孫の幸綱、曾孫の頼綱と定綱と続いている。
人物論をやっていると「家業」というものが近代において重要な位置を占めていることがわかる。継ぐか。捨てるかであるが、学問の分野においても「家業」というものの重みと凄みを感じる。
大槻玄沢の「およそ、事業は、みだりに興すことあるべからず。思いさだめて興すことあらば、遂げずばやまじ、の精神なかるべからず」は、始めることは簡単だが、やり遂げることは容易ではないと諭した言葉だ。みだりに、うかつにことを始めてはならないのだ。