安川新一郎『ブレイン・ワークアウト』(KADOKAWA)ーーブレイン・アスリート宣言

『ブレイン・ワークアウト』(KADOKAWA、2023年6月発行)を読了。

著者の安川新一郎さんは、1991年、一橋大卒。マッキンゼーで東京、シカゴ勤務。その後ソフトバンク孫正義社の社長室長、執行役員。2016年に起業、というキャリアである。

この処女作で、諸学問を横断した自分なりの見取り図が完成した。そして個人としての知的生産のパフォーマンスをあげるブレインアスリートたらんとする宣言を行った。最新のデジタルテクノロジーを武器として実践知・身体知の獲得を一生かけて追求するというライフワークが決まったのである。

著者は自分だけの知の生態系の構築し、その生態系に生息しながら、自分の脳を鍛えていこうとしている。この人の学びと実践を、知的生産者を目指してきた私自身の所見を交えながら紹介していくこととしよう。

 

  • 「武器は思考能力と言語化・図解化能力」「俯瞰思考による新たな洞察の獲得」。言語化能力と図解能力とは、私のテーマである「図解コミュニケーション」(日経三部作)と同じだ。俯瞰思考とは図解思考と理解したい。
  • ブレインアスリート」。極限まで身体を鍛えるアスリートに対し、脳を鍛えるアスリートという概念は魅力的だ。ビジネスマン時代には実務に強い学者と知的発言のできる実務家の時代がくると考え、「知的実務家」という言葉を創り出し、「知的生産の技術」研究会で知的生産としての著作も刊行してきた。このブレインアスリートという人間像には共感する。
  • 「二つのinteligence。知能は人間、動物、AI。答えがある問いにスバ琢適切な答えを導く能力。知性は人間だけ。明確な答えがない問いに対して、答えを探求する能力」。著者のいう知性は、私が『合意術』(日経)で紹介している深掘り型問題解決力と同じだ。この能力如何が業績に直結する。新しい課題、難しい問題に遭遇したときに必要なのは、この能力だ。
  • 「より善く生きるために自ら問い続ける精神の働きが知性」。「教養」と何かと考えると難しくなるが、私は「教養人」とは毎朝、何をすべきかを問い続ける人であるという定義が気に入っている。そのためには、歴史や地理が必要だ。だから時代認識や世界認識が大事になる。そうでなければ意味のある、より善く生きる日々が送れない。
  • 「脳には可塑性がある。脳を鍛えよう」。全力で取り組んだ仕事は、脳というソフトウェアをバージョンアップする。体験をするたびにその教訓を身につける。それが脳を鍛えることになる。
  • 「知的生産:梅棹忠夫加藤秀俊外山滋比古」。NPO法人知的生産の技術研究会で梅棹忠夫先生を先頭に、数多くの知的生産者の講演を聞き、彼らの本を読み漁ってきた。彼らの志、方法論、技術などで、現在自分ができあがっていると感じる。人と本との出会いが大切だ。
  • 「実践知の身体知化。実務家。独学」。現場での苦闘、自らの身体を実験台につかって得た貴重な知識。その独学の実践知が身体化されていく。独学の時代がくる。
  • 「人は人、旅、本で学ぶ(出口治明)」。人は何によって学ぶか。それは「人・旅・本」だ。これを私は体験と呼びたい。「旅」は移動によって得たカラダを通しての体験だ。「本」はアタマを使った著書の思考の追経験を通じた学びという体験だ。そして「人」はカラダとアタマの両方を使った体験である。私は2004年以来、毎日ブログ「今日も生涯の一日なり」を書いている。これは学びの記録だ。その学びの対象は、「人、旅、本」だ。この記録は、学びの軌跡となっていく。それは私の人生そのものになるだろう。
  • 「日中は脳に負荷をかけ、夜は時間の許す限り寝る」。自由学園を創設した羽仁もと子は「朝起きて聖書を読み、昼は疲れるまで働き、夜は祈りて眠る」生活をしていた。私は企業や大学につとめていた時代はこうはいかなかったが、現在は早朝から午前中にかけて知的生産を行って、午後は外出し、そして睡眠を十分にとる生活になっている。
  • 「対話は相互理解を通して共通の価値観や新たな気づきや発見に近づいていく」。このやり方として、私は「定性情報」と「図解思考」を用いた『合意術』という本を出している。サブは「深掘り型問題解決のすすめ」。対話の方法論だろう。
  • 「知りたいテーマに関して、俯瞰的な全体像を解説している入門書をざっと目を通す」。ビジネスマン時代は異動に際してはこの方式をとっていた。広報とサービスに関してこのやり方で乗り切った。
  • 松岡正剛出口治明。堀内勉。WIREDの関係者」。特定の分野に関しては先達の手引きを必要だ。分野ごとに人を決めているとのこと。歴史、小説、デジタル、、、、など私にもそういう人がいる。
  • 「読書については、書き込み。再読。能動的読書。文字と図解でメモ。自分の言葉と自分の図解」。私の場合は、大事な本は読了後、一枚の図に集約するという図読の方法を試してきた。「図読の技術」に関する本も書いている。『一枚の図で読む!世界の名著が分かる本』(三笠書房)では47の世界的名著を図読している。
  • 「京大カードを使って実績をあげた人あまりしらない」。これは著者が知研読書会に参加したときに私が述べた感想を使ってくれたのだろう。薬学の船山信次先生は高校時代にカードに出会い、『知的生産の技術』に魅了され、学者としての業績はカード方式によると教えてくれた。学者は蓄積が勝負であり、時間が豊富にあるからカードは有効だろう。人生100年時代になってくると、時間が豊かになるから学者でなくとも知的生産を実践できるようになる。
  • 「5年間で500冊の本を読了。キーメッセージと自分で描いた図は300枚。組み合わせればそんなテーマの講演も可能」。私の師匠の野田一夫先生は、話の材料は自分の頭の中に豊富に入っている。講演の時は相手の反応にあわせて、組み合わせを考えるだけだと秘訣を教えてくれた。私は長年にわたり作成してきた図解をテーマに合わせて組み合わせることで講演をしてきた。多くの部品を持ち、それを組み合わせて、ひとつの作品を創造する。同じである。
  • 「生成AIは有能な部下と適切なアドバイスをくれるコンサルを持ったと同じ。それがセカンドブレインだ」。「知性から価値を生みだす人、AIの活用で生産性を圧倒的に改善できる人、あるいはその両方ができる個人がこれからの時代に必要な人材だ」。個人が組織と闘える時代になる。
  • 「生成AIは魔人」。悪魔か、神か、友達か。
  • 「朝起きて白湯を飲む」。NHKラジオ「後は寝るだけ」でピース又吉ら3人がこの話題を語っており、私も同じようにしているのでおかしかった。

数年の集中した総覧的な勉強の軌跡でわかったことを簡潔にまとめてくれているのでありがたいが、この本のポイントは、科学的知識を背景にした徹底した「実践知」志向にある。この方向を究めて欲しいものだ。健闘を祈る。

この文章を書きながら結果的に、自分の歴史をある角度から振り返ることになった。どうやら、この本をダシにして、自分のやってきたことを確認する時間となったようである。感謝します。

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  「名言との対話」7月30日。幸田露伴「福を惜しむ人はけだし福を保つを得ん、能く福を分かつ人はけだし福を致すを得ん、福を植うる人に至っては即ち福を造るのである。植福なる哉、植福なる哉」

 幸田 露伴(こうだ ろはん、1867年8月22日慶応3年7月23日) - 1947年昭和22年)7月30日)は、日本小説家。第1回文化勲章受章者。

京都帝国大学文科大学初代学長の狩野亨吉に、東洋史講座の内藤湖南と一緒に国文学講座の講師に請われているが、わずか1年で退官している。また 斎藤茂吉が尊敬していたのは、森鴎外幸田露伴であり、この二人だけは「先生」と呼んでいたというから、独学で到達した文学者としての力量はやはり群を抜いていたのだろう。

代表作は『五重塔』ということになっているが、『努力論』もいい。 文豪・幸田露伴の厚みのある人生論で、努力論というより日本を代表する幸福論だ。運命。人力。自己革新。努力。修学。資質。四季。疾病。気。こういうキーワードで事細かく生き方を論じた名著であり、首肯するところが多い。

・努力は人生の最大最善なる尊いものである。 ・「努力して努力する」----これは真によいものとは言えない。「努力を忘れて努力する」--これこそが真によいものである。 ・凡庸の人でも最狭の範囲に最高の処を求むるならば、その人はけだし比較的に成功しやすい。

「天地は広大、古今は悠久。内からみると、人の心は一切を容れて余りあるから人ほど大なるものはない。外からみると、大海の一滴、大空の一塵、、、」。こういう世界観の中で露伴は、「幸福三説」を主張する。

惜福。分福。植福、これを三福という。惜福とは、福を使い尽くし取り尽くしてしまわぬをいう。分福とは、自己と同様の幸福を分かち与えることをいう。人の上となり衆を率いる人が分福の工夫をしなければ、大なる福を招くことはできない。植福とは、人世の慶福を増進長育する行為である。

最後に「植福哉、植福哉」と言っているように、幸福三説の中でもっとも大事なのは植福だろう。正しい努力である精進を続ける事で、望ましい未来が創造できるという人生観が基底になっている。露伴の『努力論』の命名の意味はそこにある。将来の福を植える、幸福の種を播いておくこと。自己の福を植え、同時に社会の福を植える。そういう心がけでいきたいものだ。

『努力論』は、文豪・幸田露伴の厚みのある人生論。努力論というより日本を代表する幸福論だ。少し詳しく書こう。

運命。人力。自己革新。努力。修学。資質。四季。疾病。気。こういうキーワードで事細かく生き方を論じた名著であり、首肯するところが多い。 最も読むべきは「幸福三説」である。惜福。分福。植福、これを三福という。

  • 惜福とは、福を使い尽くし取り尽くしてしまわぬをいう。個人では家康の工夫。団体では水産業、山林、軍事。
  • 分福とは、自己と同様の幸福を分かち与えることをいう。人の上となり衆を率いる人が分福の工夫をしなければ、大なる福を招くことはできない。分福は秀吉が優れていた。
  • 清盛。ナポレオン。尊氏。福は惜しまざるべからず、福は分かたざるべからず。
  • 植福とは、人世の慶福を増進長育する行為である。自己の福を植え、同時に社会の福を植えることだ。
  • 「福を惜しむ人はけだし福を保つを得ん、能く福を分かつ人はけだし福を致すを得ん、福を植うる人に至っては即ち福を造るのである。植福なる哉、植福なる哉」 
  • ・志を立てる。先ず高からんことを欲するのが必要で、さて志し立って後はその固からんことを必要とする。
  • ・凡庸の人でも最狭の範囲に最高の処を求むるならば、その人はけだし比較的に成功しやすい。
  • ・天地は広大、古今は悠久。内からみると、人の心は一切を容れて余りあるから人ほど大なるものはない。外からみると、大海の一滴、大空の一塵、、、。
  • ・春生じ、夏長じ、秋に自ずから後に伝わるの子を遺し、冬自ずから生活の閉止を現す、、
  • ・世間の一切の相は、無定をその本相とし、有変をその本相として居る。
  • ・、、変の中にも不変あり、無定の中にも定がある。
  • ・願わくば張る気を保って日を送り事に従いたいものである。致大致正致公致明の道と我とを一致せしむるのが、即ち浩然の気を養う所以である。

いくつか、エピソードを紹介する。

  • 樋口一葉逝立った時に、露伴は「女子名は夏子、士人の女なり」と惜しんでいる。
  • 佐々木久子の お酒とつきあう法』(鎌倉書房)には、著名人のの酒に関する言葉がでてくる。この本中で、幸田露伴「お酒は心をつぐものである」という言葉が紹介されている。
  • 「自分のこと、過去のことは語らなかった。興味のあることを語った」という観察もある。

「努力して努力する」----これは真によいものとは言えない。「努力を忘れて努力する」--これこそが真によいものである。 これが幸田露伴の『努力論』の結論だろう。