本日発売の雑誌『BRUTUS』(No999,2024.1.1)は「理想の本棚」特集。
年末年始の本特集は人気企画。今年は「本棚と本のはなし」で、テーマは「理想の本棚」。
- 横尾忠則「本はイメージとして所有する。背を読み、愛でる本棚」「本を肉体化する」「匂い、重量、他の本との関係」
- 大根仁(映像ディレクター)「自分を作った本の背表紙を常に見ている」
- 森田真生(独立研究者)「蛍光黄色のマーカーペン」「線を引く、書く、分かち合うというサイクルで身体化する」
- ヒコロヒー(芸人)「同じ本を繰り返し読むという行為は、友人や知人を思いだす感覚に近い」
- 東出昌大(俳優)「自然を望む山小屋の本棚と居間を生きるために必要な本」「山で暮らしていると自分の実体験を通じて物事を考える機会がたくさんあります」
- 開高健記念館:「旅には聖書」「辞書を読む」
- 北区立中央図書館:ドナルド・キーン「ここは整理されているのでわかりやすい」。キーン自身の書き込みがある。
- 平松洋子「単行本。文庫。私家本」
「猫の本棚」が2ページにわたって紹介されている。オーナーの樋口尚文さん「大島渚監督は整理魔」。私の「人生100年書店」の棚も写っている。
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朝:ヨガ1時間。
午後:原稿執筆。
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今日の収穫。
近代映画の父・セザンヌ「自然を円筒形、球体、円すい形によって扱う」。多角的な視点で幾何学的に捉える考え方は、キュビスムへとつながっていく。(東京新聞12月16日)
図解は「ものごとをマルと矢印によって扱う」ということだから、自然を幾何学的に捉えるセザンヌに共感する。
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「名言との対話」12月16日。近衛文麿「自分は何も残せなかったなあ」
近衛 文麿(このえ ふみまろ、旧字体: 近󠄁衞 文󠄁麿󠄁、1891年〈明治24年〉10月12日 - 1945年〈昭和20年〉12月16日)は、日本の政治家。
東京出身。京都帝大法科卒。1916年、25歳で貴族院議員。1933年貴族院議長。1937年組閣。1940年第二次内閣を組閣。大政翼賛会を設立し、日独伊三国同盟を締結。他方、日米衝突回避に努力したが失敗。第三次内閣総辞職後、日米開戦に至る。戦後、内大臣府御用掛として憲法改正調査に着手したが、A級戦犯指定を受けて服毒自殺。
近衛文麿は五摂家筆頭という家柄、一高から東京と京都の二つの帝大で学んだ高学歴、180センチを超す貴公子然とした風貌、英米協調外交に反対する主張などで、高い人気があった。その国民的人気を背景に、日中戦争、大東亜戦争に突き進む時代に3度にわたり首相をつとめた政治家である。
園遊会でヒトラーの仮装をしていたという近衛文麿はどのような人で、どのような見識を持っていた人なのか。多くの人の証言を拾ってみたい。
- 石原莞爾「この危機に優柔不断では、日本を亡ぼす者は近衛である」
- 重光葵「戦争責任容疑者の態度はいずれも醜悪である。近衛公の如きは格別であるが、、」
- 昭和天皇「近衛は自分にだけ都合の良いことを言っているね」
- 木戸幸一「いざというときのふんばりがたりない。そこでいつも困ったんだ」
- 東郷重徳「薄志且矛盾に富たる性格は、結局政治家として失敗せしものなり」
- 近衛秀麿(弟)は、「兄は政治家にまったく向いていなかった」
海軍大将の井上成美は「軍人にしたら、大佐どまりほどの頭も無い男で、よく総理大臣が勤まるものだと思った。言うことがあっちにいったりこっちにいったり、味のよくわからない五目飯のような政治家だった」と辛らつだった。「大佐どまりほどの頭も無い男」が、政権を担って、日本を亡ぼしたということになる。
「自分は何も残せなかったなあ」とは、戦犯に指定された後に、弟の秀麿に語った言葉である。この感慨も甘すぎる。壊滅した日本を残したのだ。戦犯容疑者の態度は醜悪であり、その中でも近衛は目立っていた。国家の命運を託した人物が、このような気の弱い、勇気に欠けた人物だったとは、驚いた。そして現在の日本はどうだろうと思ってしまった。