21時から「蜃気楼大学」講師の決起集会。
- 私は一日学長として挨拶:蜃気楼とは何か
- 図解塾と幸福塾の都築、垣内、鈴木さんも参加。
- 講師陣の自己紹介。フリースクール全国ネットの江川和幸さんと不登校親の会代表中村さん(気仙沼から8人の高校生も参加)のセッションに興味
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樋口裕一さんの最近作『凡人のためのあっぱれな最期』(幻冬舎新書)の感想を電話で伝える。
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アマゾンに以下の「イコール」の書評をアップ。
資金なし。組織なし。50人のコミュニティがつくる商業雑誌。シェア書店との連携。クラファン。コミュニティ通貨圏。雑誌業界の立ち上げ。着想から半年で敢行。3000部。128p・オールカラー。A5版。全国各地の未来人が大集合圏。人中心。、。この雑誌には未来の可能性の萌芽がつまっている。
日本列島のあちこちの、時代の最前線の熱気とうごめきの姿を垣間見ることができる。時代の最先端で活躍する著名人から、地域の最前線で活動する若者まで、実に多彩な人たちの鼓動が聞こえてくる。
以下、キーワードと登場人物を眺めると、全国の最先端と最前線で起きている新たな時代を拓こうとするムーブメントが見えて、未来を感じて元気になる。
日本列島のあちこちの、時代の最前線の熱気とうごめきの姿を垣間見ることができる。時代の最先端で活躍する著名人から、地域の最前線で活動する若者まで、実に多彩な人たちの鼓動が聞こえてくる。
以下、キーワードと登場人物を眺めると、全国の最先端と最前線で起きている新たな時代を拓こうとするムーブメントが見えて、未来を感じて元気になる。、、、、、
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4月発刊予定の共著『旅は新たな発見』の「人物記念館の旅」の「あとがき」を提出。
2005年から始めた「人物記念館の旅」に加えて、2016年から新たに「名言との対話」というテーマで毎日noteというサービスに毎日一人の人物を取り上げて、その人の生涯とそこから絞り出された名言から学んだことを書くことにした。
その日が命日か誕生日の人を選んでいるのだが、実に多彩な人と向き合うことになった。今年2024年は9年目になる。江戸後期の文化・文政から始まる近代から、明治、大正、昭和、戦後、平成、令和という、日本の近現代の人物をすでに3000人近く書いている。
この過程で、自分は何をしているのかを改めて考えると、現在の日本人が参考にすべき「代表的日本人」を調べていると思うようになった。「代表的日本人」といえば、100年以上前に内村鑑三が英文で書いた名著が有名だが、人選は日蓮、西郷隆盛、上杉鷹山、中江藤樹、二宮尊徳のわずか5人だった。
日本の屋台骨である精神の劣化が進む中、迂遠なようだが過去の偉人の生き方に光をあて、国民的財産として共有することが必要だと思う。「代表的日本人」というキーワードで、今後も日本人の精神を掘り起こす旅を続けていくことにしたい。
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編集者から『大全』の途中経過の報告。来週月曜日に打ち合わせ。
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「名言との対話」1月29日。橋本治「理想としては、山崎豊子が書くような題材を山田風太郎のような視点で筒井康隆のように書く(笑)」
橋本 治(はしもと おさむ、1948年〈昭和23年〉3月25日 - 2019年〈平成31年〉1月29日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。享年70。
橋本治という作家の本は読んだことがなかった。東大駒場祭での「とめてくれるな、おっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」のポスターや小説「桃尻娘」など、異色の活動を続けている人といういことくらいした知らなかった。
『小林秀雄の恵み』(新潮社)という、小林秀雄(1902−1983年)を俎上に上げた本格評論を読んで今までの印象を一変した。小林秀雄といえば私たちの世代のだれもが知っている文芸評論の神様で、入学試験問題はこの人の難解な文章を題材に出されることが多く、畏敬の対象であった。小林秀雄の冴えた筆にかかるとどのような権威も丸裸にされてしまうという恐怖に近い感覚を持った同世代の知識人は多かっただろう。
橋本治は、小林秀雄の凄味と切り開いた地平を高く評価した上で、小林の秀雄の文章が難解なのはつじつまが合っていないからであるという申し立てを慎重に、しかし大胆に行っている。この本は常に異議を申し立てる側であった神・小林秀雄に対して、真正面から、かつ丁寧に異議を唱える志の高い一書である。
多くの書評がそうであるように、評論という営為は、対象を語りながら実は自らを語るということを目的としている、と言ってよいだろう。小林秀雄の多くの優れた仕事にもそういった面があり、私たちは彼が取り上げた偉大な人物を語る本人の考えを堪能してきた。兼好、西行、宣長という日本史上の偉大な先達の姿を料理する冴えた腕と技に惚れぼれとした人が多い時代とは何だったのか、これが橋本治の問いである。そして橋本治もまた小林秀雄をそうであったように、戦後世代としての自己を開陳していく。
「本居宣長」という書物は小林秀雄が63歳から書き始めて、単行本になったのが75歳のときであり、小林秀雄のライフワークとして見事な完成を見せ、輝ける名声をさらに高めた名著である、ということになっている。それは誰も疑わなかった。しかし橋本治は、この書は本居宣長を「学問する人」という片面しか見ていないと述べている。「源氏物語」の世界を憧憬しそれを生んだ土壌のルーツを求め「古事記」にすすむという道をたどる宣長の本質、つまり本(モト)は「和歌を詠む人」であり、学問は末(スエ)で従たる位置を占めている。だから誠実な小林秀雄は本居宣長を全的に認識できずに難渋しており、それが名著と言われている「本居宣長」を難解な作品にしている。宣長の二つの墓を証拠にもして「和歌の宣長」を橋本治は実証している。つまり橋本治は小林秀雄は本居宣長という人物を見誤ったと断定しているのだ。
連歌、俳句、謡曲、浄瑠璃、小歌、童謡、音曲の類の本(モト)である和歌を宣長は最上位においていた。それは日本文化の本来のあり方に自分(宣長)はのっとっているという自負があるということである。和歌のテーマは日本人が持ってきた変わらぬ不動のテーマである。和歌のテーマは「物のあはれ」を詠むことであり、それは「人の情(ココロ)の、事にふれて感(ウゴ)く」ということに尽きる。論理の人である小林秀雄は、「全的な認識」という言葉を持ち出して複雑にしてしまう。橋本治は、「物のあはれ」を小林秀雄は頭でわかろうとしたため、本当はわかっていなかったのでないかという疑問を発している。
学問する人である小林秀雄は、自らの生涯の価値を決定づける作品である「本居宣長」を63歳から書き始める。兼好にもベルグソンにも物足らない。長い年月をかけて探し出したのは、本居宣長という大きな対象だった。この宣長を十全に書くことによって小林秀雄は本当の小林秀雄をになれるはずだった。宣長と小林秀雄は一致もあったが、ズレも大きい。自身の遺書である「本居宣長」に書かれた本居宣長は、宣長の一面である「学問の人」小林秀雄そのものとなった。
日本という国は、常に外国から異様な情熱で学んできた。古くは中国、近代に入って欧州、現代はアメリカがその畏敬の対象であった。宣長が生きた江戸時代もそうであったし、明治以降特にその傾向が顕著に出ている。しかし日本の国柄を極めるという一方の営為がなければ、精神的崩壊が待っている。それを本居宣長は、神話として日本人が歯牙にかけなかった「古事記」に求めた。そしてその答えは確実にあった。宣長はそのような歴史と土壌の中で生まれ死んでいくことを理解したのである。宣長の仮想敵は、「漢意」(カラゴコロ)だった。この敵を相手にする中で本来の「日本」を掘り出していく。これが儒教や仏教を排撃し、反体制の尊王攘夷思想を生んで行く。
小林秀雄は日本の近代の入口を求めて、近世を旅する。それは武者達が闊歩する戦国時代から始まるのだが、その風潮は「下剋上」という言葉で表わされる。大槻文彦の「大言海」には、「此語、でもくらしいトモ解スベシ」とある。とすれば民主主義を標榜する近代は、実は近世から始まるともいえるのである。近世思想のトップランナーと小林が位置づける中江藤樹は、庶民が「学問する権利」を発見する。それは、熊沢蕃山、契沖、伊藤仁斎、荻生徂徠、そして本居宣長に受け継がれていく。私学の中江藤樹に対して江戸時代の官学には林羅山がいる。国学という民間学に対し、体制を護る官学とは朱子学、儒教である。橋本治は、世の中から崇められる神様・小林秀雄は私学に興味を持ったが、その本質は官学であると言っている。小林秀雄は林羅山であるという衝撃を橋本治は用意する。立ち位置と言説の分裂がおこっているというのだ。
小林秀雄という山は大きな存在感に満ちている。一応は文芸評論家という肩書で紹介されているが、その仕事をなぞってみるととてもそのような表現で説明できる人物ではない。文芸にとどまらず、「モオツアルト」などの音楽、「ゴッホの手紙」などの絵画、などあらゆるジャンルで一流の活動をしている。音楽絵画、文学を同列に置いたマルチメディア評論家ということになる。「平家物語」の「宇治川先陣」の流麗な文章を小林秀雄は「大音楽」と言っている。文章から音楽が聞こえるというのである。「無常ということ」はこれまた有名な本でよく読まれたのだが、戦争状態は無常であり、常なるものは歴史であり、その遺産としての古典であり、古典を読もうというように解釈できると橋本治はいう。戦争時の小林秀雄の講演では、戦争のばかばかしさを前提にした論陣を張っており反戦的ととられてもおかしくない主張をしているが、危険人物とはみなされていない。誰からも理解されないために安全であるという奇妙な役どころを上手に演じている。
近世という時代は非合理な神を存在させながら、一方を合理性で支配するという時代だった。神は神として置いといて、しかしそれとは関係なく実生活をまわしていく、そういう時代だった。それは日本思想のゴールであり、本質的な態度だった。自分は兼好法師ではないことに気がついた小林秀雄は、自身をむき出しにして己を求める僧侶・西行に行く。仏教は門口のみ用意しあとは自由という宗教であり、仏はただ伴走するのみであり、ゴールへ導いてはくれない。神が空白として存在していた日本人は、「桜」を代入した。桜は、神であると同時に自分自身でもある。だから西行はその空白を自分でうめ続けた自助努力と自己達成の人であって、近代人でもあるということになる。芭蕉は自分を問題にしないで、俳句の中で、水の音、最上川、夏草、を神にしたてあげる。その強さは日本人にとっては当たり前のことだったのである。
「しき嶋の やまとごころを 人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花」という本居宣長の歌は、私の本質は桜であるという意味でありそれ以上ではない。二つの墓のうち私的な墓にはなにも書くなと命じた宣長は、生業であった医者でもなき、ただ本居宣長であるだけでいい、それ以外の何者でも自分はないということを示している。森鴎外の墓にも「森林太郎墓」とだけある。また、原敬も「原敬墓」である。国学者でも文学者でも政治家でもなく、自分自身であるということなのが古道なのだろうか。
「本ヲオイテ、末ヲモトメンヤ」という宣長は、当然のことながら漢意に汚染された日本書紀ではなく、「古事記」へ向う。しかし、小林秀雄は、「古事記伝」を書いた本居宣長に関心があって、「古事記」そのものには関心がない。小林秀雄は思想よりも、人に関心がある。自分に重ね合わせて生き方を考えているのだろう。
この本の中で橋本治は、しだいに小林秀雄の正体を丁寧に薄皮を剥ぐように見せていく。その手腕はなみたいていの腕ではない。小林秀雄本人が小林秀雄を容赦なく批評しているという感覚を持った。ある時代を風靡した小林秀雄という神は、時代を通り抜けるトンネルのような役割を持っていたと橋本はいう。トンネルを抜ければ掘った人は忘れられる。そういう存在である。
この書を書き終えた時点で、橋本治は中江藤樹以降の系譜を学ぼうとするが、それをやってはいない。私は橋本治のこの考えに深く共感する。そして本居宣長という存在に大きな関心を持った。
橋本治にとって小林秀雄が恵みであったように、橋本治も私の「恵み」であり、私のトンネルであった。
内田樹という論客が聞き手となって、橋本治という得体のしれない大きな作家が自分を語るという趣向で、実に面白く読めた。橋本治の本は、神様・小林秀雄の間違いを指摘するという、恐れ多い仕事となった出色の小林秀雄論を読み、その力に驚いた記憶があるが、他の有名な作品は手にしていない。林真理子が、橋本治と同時に生きていることを幸せに思うというようなことを何かに書いていたが、この対談本を読むと、そうかもしれないと感じてしまう。
本屋で、橋本治本人が「代表作に近い」という『窯変源氏物語』を買ってきて、読むことにした。この本は全14巻の大作だが、昨年源氏物語千年紀ということで、田辺聖子や寂聴の源氏物語を見たがあまり食欲がわかなかった。この本についての本人の解説を聴いて、挑戦することにした。今回は全巻通読ができそうな予感がする。
この対談本は、同世代の二人の特異な書き手の考えていることや手の内がわかるのだが、橋本治の逆説的な、本質的な、独学的な言葉群に魅力があって、最後まで楽しくうなずきながら読み終えることができた。内田樹は相の手と相手の言葉を敷衍するちょっとした解説がうまいので、橋本治の話がうまく回転してく。
橋本治という作家のことを論ずるにはまだ早いので、この作家の「知的生産の技術」に関係するかもしれない部分をピックアップしてみた。
- 「頭が丈夫」
- 「思考体力」
- 技術って、「だいたいできているから、もうちょっとちゃんとできる」って形で進歩するんだと思う、、、。「だいたい」からジリジリジリっと完成度を高めていく、、、。
- オリジナルに勉強する、高を括るっていう、優越感てもたないとだめですよね。それがないと、「えーっ」て人の後についていって平均点のノート取るだけになっちゃう。
- 一個やったらほかにやる必要ないぐらい「作品として立っている」っていうことにしなと、気がすまないんですよ。
- 滝沢馬琴と葛飾北斎と鶴屋南北は、デビューが五十過ぎなんですよ。、、、。で、五十から七十五までがピークなんですよ。
- だから自分の社会的な壁を高くしちゃえば、変な人間関係に煩わされずにすむから、それでわいりとパブリックなことばっかり考えるようになってしまったっていうのはある。
- 日本の歴史という床下で配線がこんがらがっちゃっているから、その配線をちゃんと繋ぎなおさないと、現在がちゃんと機能しないみたいなことがあるから。
- タイトルのストックは結構あります。
- 俺はなんか単体じゃないんです。すごく複数なんです。
- 地べたを這いまわるような時間を費やしていくと、体の中に経験値が積もって、ある時突然、パッと見えるようになるみたいなものがある。
- 十代の時に、面倒くさい本を読まなかったことで、俺は、すごく得をしたと思いますね。知らないから、成熟したいまの頭で、先入観なしで読めるんですよ。
- 一廉の者(ひとかどのもの)
- 最大の破壊は建設なりと思っていますから。
- 名優がやれば、どんな話でも芸談になるんですよ。
- 小説というのは、、、苦にならないような説明のテクニックを持ってしまった人が勝ちなんだと思ったんです。
- 「文章をぎゅっとわしづかみするという方法は一つあるんだなあ」と思って、、、、日本の文章の基本って漢文じゃないですか。、、、正式になればなるほど、ぎゅっとわしづかみになって、俗にするのなだったら、もうちょっと開くというようにして、その伸縮自在さが日本語の文章なんです。
- 「である」は私にとって漢文。
- 歯車が回り、ピストンが動いているみたいな。明治の文章ってそんな感じがするんですよね。
- 私は批評はいらないんです。ちゃんと紹介してくれれば。、、、紹介文でさえ、感想文になってしまっているということが最大の問題だと思う。
- 「窯変源氏物語」に関しては言葉のスペクタクルをやりたかったんです。
- 文芸評論をやる前に、皆、小説をちゃんと書いてみな、すごいことがいっぱいわかるから、
橋本治には名言が多いが、「理想としては、山崎豊子が書くような題材を山田風太郎のような視点で筒井康隆のように書く(笑)」を採ることにしたい。
山崎豊子は「はげ山に木を一本一本植林していくような、いわば『植林小説』を書いていきたい」と語っている。『二つの祖国』、『大地の子』、『不毛地帯』、『沈まぬ太陽』など一本一本が壮大な問題作である。
山田風太郎は、司馬遷の『史記』の列伝を意識し、『人間臨終図巻』を書いた。医者でもある山田は日本史上の900人を何歳で死んだかという視点で描き切っている。
筒井康隆はSF的なやりかたで、あらゆる物語をエンタメ的に書き上げ、抜群の面白い作品を連発する。
壮大なテーマを、人間に焦点をあてて、面白く書く、ということになるだろうか。私が読んだ『窯変源氏物語』などはそういった作品であった。