『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り 漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』

日曜日に神保町で3冊の本を購入。目利きの書店主たちが選んだ本が並んでいるので、やはりいい本が多い。そして安い。その安さが、くじ引きで4割引き券があたり、さらに安くなった。この古本街をぶらつくと、買いたい本が目に飛び込んでくる。

坪内祐三『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り  漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』(マガジンハウス)。「名言との対話」で、今年の1月13日に坪内祐三を取り上げた。その時に選んだ名言が「慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り 漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代」だった。その本が目に入ったのだ。

森銑三『人物くさぐさ』(小澤書店)

人物くさぐさ

人物くさぐさ

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赤松正章編著『古川柳の笑い』(太平書屋)

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今日のミーティング。最近はミーティングはZoomが中心なので、実際に会う場合は「リアル」とわざわざつけることになっている。

  • NJ出版の編集者とのリアル・ミーティング。大著になるだろうが、やはり難物だ。じっくりと磨いていこう。
  • メタモジの松田さんと図解エディタのテーマでミーティング。
  • デメケンの定例ミーティング。橘川さんは風邪で欠席。
  • 力丸君との定例ミーティング。

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=NHK人形劇で著名「人形師 辻村寿三郎」から美学直伝の機会を!= | 共同通信PRワイヤー

「名言との対話」2月5日。辻村寿三郎「見る人が元気のでるような人形をつくりたい」

辻村 寿三郎(つじむら じゅさぶろう)1933年昭和8年)11月11日 - 2023年令和5年)2月5日)は、日本の人形作家、人形操作師。アートディレクター。旧名は辻村ジュサブロー。享年89。

2007年に日本を代表する人形師・辻村寿三郎の「ジュサブロー館」を訪問した。営団日比谷線・都営浅草線人形町から徒歩一分のところにある。このジュサブロー館は、創作人形の常設展と人形制作のアトリエを兼ねている。入り口を入ると人形が館内に見えて独特な雰囲気である。

入り口の左には棚があって、仏像、うさぎ、町娘などの小さい人形が並んでいる。貝殻細工の一寸法師、浦島太郎などの昔話が面白い。シジミハマグリの貝殻を使って動物、鳥、ネコ、鳥などをつくったり描いているが、どれも生き生きとしている。

縮緬(ちりめん)、指を伸ばして、、、」などの会話が聞こえてきた。受付と奥の洋風人形の展示室との間に、仕事場があって、そこに辻村寿三郎御本人が和服姿で座って、一心に人形をつくっていた。本人が仕事をしている記念館は初めてだ。弟子と制作の技術論を語っているのだった。

奥の部屋。右の脇には50センチくらいの高さの着物を着た日本人形がいくつか立っている。
正面には洋服を着た人形がミュージカルを演じたり、歌を歌っている様子の人形である。この部屋は8畳ほどの空間である。

靴を脱いで階段を昇って2階にあがる。戦国武将、侍、貴族の人形。吉原の花魁の人形。天狗の鼻を持ったお面、頬かむりした庶民。
「寿三郎のきものコレクション」の格子ちらし25.2万円よりで売っていた。振袖、付下げ、、。

着物姿の婦人の顔は、本当の肌のよう。九代目団十郎の人形も見事だ。

小さな作品も多い。そろばん、コーヒーカップ、牛、風雷神、阿弥陀様、、、。

辻村寿三郎満州国に生まれた。広島の中学で演劇部に入部。17歳で演劇サークル夕鶴の会では脚本、演出、美術、役者として活躍。舞台美術も担当。22歳で上京。劇団人魚座の研究生になり人形を動かす技術を学ぶ。23歳、藤浪小道具(株)で八百屋お七の衣装人形を出品。
27歳、創作人形制作を一生の仕事とすることを決意。28歳、第13回現代人形美術展に2点が入選。以来入選を続ける。30歳、「ブー・フー・ウー」のためのむいぐるみ人形を担当。33歳、第18回現代人形美術展で「アルジェの少女」が特選。34歳、寺山修司脚本の「人魚姫」の人形制作。35歳、人形作家グループ「グラップ」結成。39歳、雑誌「芸術生活」に悪女列伝を連載。北条正子、、。
40歳、NHK連続テレビ人形劇「新八犬伝」の人形美術を担当し脚光を浴びる。42歳、同じく「真田十勇士」。43歳、文化出版局辻村ジュサブロー作品集」。44歳、芸術選奨「文部大臣新人賞」。45歳、自伝エッセイ「人形曼荼羅」。蜷川幸雄の王女メデイア、ハムレットのアートディレクター。46歳、NHK特別番組「辻村ジュサブローの世界・人形まんだら」。49歳、人形芝居「風流蝶花形」「化鳥」「海神別荘」で国内巡演。イタリア、フランスで上演。63歳、全国各地で人形展。67歳、辻村ジュサブロー辻村寿三郎と変更。71歳、酒田市に「さかた夢野の倶楽」オープン。、、、

こうやって並べてみると、人形という一点に切り込んだ寿三郎の足跡も興味深い。

このジュサブロー館の開館時には、「長年の夢がやっと実現しました。人形達の美術館は私の愛の結晶なのです。私の夢というよりも彼等が欲しかった夢なのかもしれない」と述べている。「人形場、人の形をした小さなほとけさま」

ギリシャ神話、マリー・アントワネット、北条正子、、、など世界中のあらゆる物語を人形で表現しようとしているようだ。世の中の全てのものを独特に表現しようという意思を感じる。トップクラスの表現者にはこういう人が多い。
人形をつくるにはモデルの人物像、歴史的背景などを調べる必要があり、辻村さんはずいぶんと歴史などの勉強をしている。次から次へと新たな世界が現れて興味が尽きない仕事だったと思う。

一階に降りて「辻村寿三郎作品集」「寿三郎 作品集」を買おうとすると、「サインしましょう」といってご本人が現れて驚いた。そして話をした。つやもよく和服姿の和尚さんという雰囲気だ。
「体が丈夫だから、。いつまで続くかわからないが続く限り、、。先日もロスに行ってきたばかり。外国人も関心が高い。戦国武将などは現在の暴走族と同じ。いろいろな材料を試してきた。使わないものはないくらい」
私の人物記念館の旅にも興味を示して「それは面白いでしょうね」といってもらった。人形制作も物語や歴史に登場する人物を表現することなので、共通の感覚があると感じた。

小さな小さな仕事場で朝からずっと人形をつくっている。小さな引き出し、、。ちょうど女性の小さな人形をつくっているところを見せてもらった。体を布で覆ってアイロンで貼り付けていく、、。
「顔の肌は縮緬(ちりめん)でつくる」
「彫刻は彫っていくが、人形は中におがくずなど柔らかいものをつめてそれが膨らむ力を使って、力を出すのです」

最後に人形師だから人形町に仕事場をつくったんですかという私の問いに「たまたまだったんですよ。でもこの町の雰囲気に惹かれてきたのかなあ」と笑って答えてくれた。

このジュサブロー館は、しゃれた2階建ての洋風の外観だ、中は純和風のつくりだった。懐かしい不思議な雰囲気の館だった。

辻村寿三郎さんは「見る人が元気の出るような人形をつくりたい」と私に語ってくれた。そしてどこかで「創造的な活動とは、自分だけの驚きの体験を、創作家の智恵を通して、人々の驚きにまで進めていくこととも言えるのではないでしょうか 」とも語っているのをみかけた。自らの体験と智恵で人々が驚くものをつくる。分野を問わず、それが創造的活動の神髄なのだ。人を元気にする創造活動を続けたいものだ。