クロッカス
「幸福塾。ラーフワーカーの5回目。
- 前半:田中優子。竹中千春。色川大吉。水田洋。飯田亮。野見山暁治。磯崎新。辻村寿三郎。豊田章一郎。「全集」「偉人伝」「本物」「100年時代」「人新世」(アントロポセン)
- 後半:童門冬二。浅川保。高任和夫。須藤一郎。山本一郎。岡田泰三。「二刀流」「勤めと務め」、、、。
以下、塾生の学びから。
- 久恒先生、みなさま、本日もおつかれさまです。本日幸福塾も盛りだくさんの内容であっという間の2時間でした。冒頭は「世界を知る力対談編」の話題から。「学び」をテーマに法政大名誉教授の田中優子氏と、元立教大教授の竹中千春氏と寺島先生との鼎談。田中氏はもともと作家志望だったが小説家石川淳の著作で「江戸文化」に衝撃を受けて以来、その道のオーソリティに。一方竹中氏は「非暴力」マハトマ・ガンジーのとの出会いがきっかけでそれ以来インド政治学のオーソリティとなった経歴の持ち主。共通点は「全集」「偉人伝」を通じて出会った『ホンモノ』の存在。「学びの世界」における代表的な二人の研究者は、素直で貪欲な若き日にともに衝撃的な出会いを果たしていた。折しも2月28日にJAXAが発表した宇宙飛行士選抜試験結果の会見において、合格者である諏訪理さん、米田あゆさんも夫々幼き日に日本人宇宙飛行士との出会いを経ているとのこと。この『ホンモノとの出会い』という衝撃はそのヒトの生きる方向性を決定づけてしまう程のすごい力を持っているという事に改めて驚かされました。次に久恒先生のブログから、『二・二六事件』が話題に、果たしてこれは何だったのか…。当時日本のエリート集団であった陸軍将校の間では、士官学校出身者と陸軍大学出身者が夫々派閥を形成し互に対立関係にあったが、『尊王討奸』(そんのうとうかん=天皇を尊び外敵を撃退しようとする思想)を合言葉にしていた士官学校出身者らが当時の内閣閣僚自宅を襲撃し、高橋是清蔵相および斎藤実内相が夫々犠牲となった。当時の深刻な不景気に対し適切な対応をとらず汚職事件が横行する政府内閣に向けた青年将校によるクーデターであり、形は変われど現在暗躍する『闇バイト』なる暴力にこれに似た背景が無いか大変興味が湧きました。著名人の死亡記事からは、水田洋(市民運動家、享年103歳)、飯田亮(SECOM社長、享年89歳:運は使う程「付く」)、野見山譲二(画家、享年102歳:歳を忘れる)磯崎新(建築家、享年91歳)、豊田正一郎(トヨタ社長会長、享年97歳)、辻村寿三郎(人形師。享年89歳)…全員100歳前後、ほぼセンテナリアン。そして本日メインの『個人』『ライフワーカー』の紹介、①童門冬二、美濃部都知事のスピーチライター、組織の中の人間像。②浅川保、石橋湛山記念館開設、高校教師を務め後に湛山研究の道へ。③喬任和夫、小説家・サラリーマン兼業「良い上司に恵まれる確率2割!」納得!ダメなら自ら切り拓け!!。④須藤一郎、個人美術館、若い芸術家を援助。⑤山本冬彦、アートソムリエ、週末はギャラリー巡りクルマ・酒はやらない、「買うアート」年2回のボーナスで。⑥岡田泰三、「限定本」コレクター…当方「推し」は童門冬二先生。会社員が怒涛の仕事の合間に人知れず行う「癒しのルーティーン」(⇒一人になって歩き回る・喋りまくるなどの奇行)に『ヒト夫々のリフレッシュ』が有る事を以前著作で知り惹かれました。年度末、心身ともに疲労が蓄積気味ですが、子供らの卒業や先述の宇宙飛行士候補の誕生といった未来に向けた明るい話題に助けられ、またその中にきっかけとなる『ホンモノ』との出会いなる共通のストーリーを見出すことができ、ちょっと嬉しい学びとなりました。今回も有難うございました
- 本日もどうもありがとうございました。「幸福塾」のおかげで、新聞記事やテレビ番組、Facebookなどで人生100年時代をはつらつと生きている方々、目立たなくてもライフワークに打ち込んでいる人、二足のわらじをはいたり遅咲きでも転身して活躍した方々の生き方について意識するようになりました。Evernoteに「人生100年時代」というタグをつけて記事などを保存しています。たまに見直して励まされます。今日の幸福塾の内容は、まさにそんな人たちでした。市民運動を続けて103歳まで生きた水田洋氏、102歳で個展を開き続ける画家の野見山暁治氏、90歳まで生きた日本に警備保障の一大業界をつくったセコムの飯田亮氏。91歳まで生きた建築家の磯崎新氏。97歳で亡くなったトヨタ自動車の豊田章一郎氏、89歳まで生きた人形作家の辻村寿三郎氏。辻村氏については他の参加者の多くも印象に残ったとおっしゃってましたが、人形のモデルとなる人物を徹底的に調べるというその姿勢に心打たれました。 ライフワークについて取り上げられた人々からも、多くのことを学べました。美濃部都知事の秘書まで務めて退職後300冊の本を書き今も講演などをしている童門冬二氏からは組織の中の人間について。高校教師だった浅川保氏は偶然高校の100周年記念室での石橋湛山の著書と出会い、石橋湛山記念館にまで発展したこと。「会社は、意欲ある人にとってはふ卵器である」とした高任和夫氏。趣味が高じて美術館を建てた須藤一郎氏、アートソムリエの山本冬彦氏、限定本コレクターの岡田泰三など。深谷さんが紹介してくれた90歳の投資家のウォーレン・パフェットのことも、全く無縁の世界だっただけにいろいろと教えられました。次回も楽しみにしています。
- 久恒先生、みなさま、今回もどうもありがとうございました。今回は、自分が保管していた古い文書データの中に見つけた『幸福の習慣』のことを少し紹介させていただきました。どこから引用したのか不明ですが、2011年10月16日発売の本の紹介文章をそのまま保管していました。幸福塾に参加して以来、活字で「幸福」を見つけるとちょっと立ち止まるようになりましたから、そのおかげで気づいた次第です。そこには、「世界150か国調査でわかった人生を価値あるものにする5つの要素」ということで、仕事の幸福(情熱を持って取り組む)、人間関係の幸福、経済的な幸福、身体的な幸福(心身共に健康で活き生活き)、地域社会の幸福(地域社会に貢献)の5つについて統計的に解説されているとあり、しかも、この5つが互いに関わり合うことで幸福(ウェル・ビーイング)を実施できるということです。10年以上前にこの本に興味を持ったことが自分でも驚きましたが、幸福塾でこれまで学んだことが載っているようなので、改めて読んでみたいと思いました。 これからも幸福塾に参加することで、ふだんの生活の中に自分の「幸福」を見つけながら、またご紹介いただいた人々をお手本にして「幸福」な時間を自ら作っていくことで楽しい人生にしたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。
- 久恒先生、本日も幸福塾をありがとうございました。範囲を絞って、集中していくことがライフワーカーのコツなのではないかと思いました。これだと思えるものに出会えるのは、ご縁なのではないかと思った次第です。個人でも収集して美術館まで造ってしまう方がいるのは驚きでした。ボーナスで年二回の購入、積み重ねなのだと思った次第です。 自分はこれだと思えるものにまだ出会えていないので、幸福塾で知見を深めていくうちに何かに出会えるのではないかと、淡い期待を抱いています。50歳からの勉強法、なんだか気になったタイトルなので、早速発注しました。
- 久恒先生、みなさま、本日の幸福塾ありがとうございました。今日は「ライフワーカー」ということで、会社員などの仕事を持ちながら、人生の後半にライフワークを持った「二刀流」の方々のご紹介でした。歴史小説家の童門冬二、石橋湛山記念館の浅川保、経済企業小説の高任和夫、『世界一小さい美術館物語』の須藤一郎、週末ギャラリー巡りの山本冬彦、「限定本」コレクターの岡田泰三など、各氏のライフワークはそれぞれに魅力を感じました。特に惹かれたのは人物研究をテーマにした童門冬二氏。著書の一つに『50歳からの勉強法』があったので、人生後半ライフワーク作りのヒントがあるのではと思い、さっそく購入してみました(50歳はとうにすぎてしまいましたが)。また、組織と人間をテーマにした小説も、会社勤めを経て書かれたものには、「二刀流」ならではの共感溢れる場面がたくさん出てきそうで、読んでみたいと思いました。また、最近長寿を全うされた著名人、文化人の方々の紹介もありましたが、「人生100年時代」を改めて感じることができました。次回も楽しみにしています。ありがとうございました。
- 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。野見山暁治さんの102歳で個展をする。辻村寿三郎さんの、ありとあらゆるものを作りたくなる。という言葉。また、趣味を一つ極めて、コレクターとなり、美術館を開いてしまった、須藤一郎さんや山本冬彦さん、などのお話、楽しかったです。また紹介してくださった写真から、楽しそうなお顔ばかりで、充実されているのが感じられました。野見山暁治さんや、辻村寿三郎さん、の展覧会や、すどう美術館、神奈川県立近代美術館鎌倉別館へ、など、行ってみたいところが増えました。機会を作って訪れたいと思います。次回のお話も楽しみです。
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「名言との対話」3月1日。中村是公「お前もよっぽど馬鹿だなあ」
中村 是公(なかむら よしこと、通称: なかむら ぜこう、なかむら これきみ[1]、1867年12月20日(慶応3年11月25日) - 1927年(昭和2年)3月1日)は、日本の官僚・実業家・政治家。南満洲鉄道株式会社(満鉄)総裁、鉄道院総裁、東京市長、貴族院議員などを歴任した。
台湾を9年で黒字の植民地に変えた後藤新平は、半官半民の国策会社・南満州鉄道(満鉄)の総裁に就任する。後藤は「御前8時の男でやろう」と考え、若い是公を副総裁に抜擢し、官庁、企業から30代の俊才を集めた。後藤は2年の後、逓信大臣になり内地に戻る。中村是公は満鉄の第2代総裁に就任し、後藤のアウトラインに沿って満鉄の基礎をつくった。満鉄の隆盛は「是公の敏腕によって作りだされたものであった」と菊池寛が述べている。
1913年に原敬内務大臣の干渉があり、総裁、副総裁らは満鉄を去る。
1917年に後藤内務大臣兼鉄道院総裁のひきで貴族院議員に勅選される。その後、是公は鉄道院副総裁に就任。1923年の関東大震災では、またしても後藤の推薦で東京市長となり、東京の復興に取り組んでいる。1926年に辞職。1927年に死去。享年60。
満鉄総裁時代に中村是公は渋谷に敷地3000坪の大邸宅を構えた。この邸宅は「羽沢ガーデン」と呼ばれ、各種の行事で親しまれた。私の師匠である野田一夫先生の三男の豊さんがここをレストランにして成功した。2005年頃に私も何度かこの重厚な満鉄総裁が過ごした部屋で野田先生と食事を摂った。その頃は「人物記念館の旅」を始めたころで、歴史や人物については無知だったが、今から思えば、この満鉄総裁が中村是公だったのである。豊さんは京都でもガーデンオリエンタルというレストランで話題になっている。竹内栖鳳(第一回の文化勲章を横山大観と同時に受章した画家)の自宅をレストランとしたもので、いまや関西ではもっとも行きたい店のランキングで一位と日経新聞が報じていた。昔の広い日本家屋の雰囲気の中でテーブルと椅子で洋食を楽しむのは実に素敵である。庭に点在する別棟や離れなどもこのレストランの一部となっていて、結婚式場の披露宴場として人気が高い。2007年には京都大学の藤原勝紀先生(九大探検部の先輩)夫妻を招いて食事を堪能したことがある。
さて、この中村是公が「お前もよっぽど馬鹿だなあ」と言った相手は、夏目漱石だったのである。是公と漱石は大学予備門時代に一緒に住んでいた親友だった。是公がボート競技で優勝した賞金で漱石に『ハムレット』をプレゼントしている。是公は後に満鉄総裁時代に漱石を満州に招いている。
漱石は大阪朝日新聞の連載「永日小品」で是公のことを書いている。副題は「変化」である。「昔の中村は満鉄の総裁になった。昔の自分は小説家になった。満鉄の総裁とはどんな事をするものかまるで知らない。中村も自分の小説を未(いま)だかって一頁も読んだ事はなかろう」と書いている。
豪放磊落な是公は「べらんめえ総裁」「フロックコートを着た猪」「独眼竜」などの異名を奉られている。後藤新平も部下たちが酒を飲みながら「うちの大将は」と話題にしたが、是公もそうだったのではないか。人間味を感じる綽名である。
「ぜこう」と「金ちゃん」