市川力・井庭数崇『ジェネレーター 学びと活動の生成』を読了。

市川力・井庭数崇『ジェネレーター 学びと活動の生成』(学事出版)を読了。

二人の著書は自分たち教師の役割を、ティーチャー、インストラクター、ファシリテーターから、創造型社会の要請に応じてジェネレーターへと進化させようとする提言の書である。

ジェネレイトとは「生成する」という意味だ。新しいものごとが生成する場に参加し、役割を自ら担う。それをこの本ではジェネレーターシップと呼んでいる。

ものごとの生成の場では、「参加」という言葉を無自覚に使うことが多いが、「参加」という概念は幅広く、ただ集まるだけの参集、観察主体になるという意味の参与、傍観者から脱皮し何らかの働きかけをする参加、そして場の主体となる参画というステージがある。ジェネレーターは幅広い参加の仕方を自由にこなす人をいうのではないか。

人生という究極のプロジェクトの場では、ジェネレーターとして自分の人生を創造的に生成していくほかはない。混沌とした環境で、縁のあった人たちと一緒に、試し、失敗し、少しづつ真実を知っていく、そしてその知のネットワークの中で自分自身を創り出していく。人はみな、ジェネレーターであるべきなのだ。

私は問題を抱えた企業や大学で、改革への参加の仕方を模索してきた。先の見えない流動的、危機的状況の、ある時は一部を担い、ある時は推進役となり、またある時は主役となった。いずれの場合もも全体をにらみながらの活動となった。ジェネレイトという言葉には、全体という視点と寛容という態度が込められている。ならば私もジェネレーターであったともいえる。ジェネレーターシップは創造的に生きるというライフスタイルのことなのだ。

私は「図解コミュニケーション」を提唱し、様々の業界で数多くの研修を行ってきた。ここでは単に教えるという立場では受け入れられない。参集した相手の抱える問題、課題に参与し、参加する。そして受講者を問題解決の参画者になってもらうということになる。「全体の構造と部分同士の関係」を図解を用いて生成していく過程に付き合ってきたということになるだろうか。

こうみてくると「ジェネレーター」という概念は、教育界だけでなく、集団や組織を創造的に運営していく人々にとって重要であることがわかる。著者たちは、自分たちの身近な環境を「知図」にしていく過程で、ジェネレーターシップを身に着けてもらおうとする運動を推進し成功している。「図解コミュニケーション」を標榜する私の同志であるとみた。

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  • 7日の「図解塾」の準備。
  • 8日の講演の資料準備。
  • ヨガの補講(土曜日の)。昨日の雪でできた道を歩み、女性クラスの中に闖入。

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「名言との対話」2月6日。渡辺和博マル金マルビ

渡辺 和博(わたなべ かずひろ、1950年2月26日 - 2007年2月6日)は、日本編集者漫画家イラストレーターエッセイストである。

広島市出身。1968年に上京しカメラマンを目指し東京綜合写真専門学校に入学し中退。1972年、現代思潮社美学校に入り赤瀬川原平に師事。1975年、美学校の先輩・南伸坊の誘いで青林社に入社し伝説的漫画誌「ガロ」の編集者となり、面白主義を打ち出し、編集長もつとめる。

1984年、著書『金塊巻 現代人気職業三十一の金持ビンボー人の表層と力と構造』がベストセラーになる。この本の中で提示した「マル金、マルビ」で第1回流行語大賞にも輝いた。31の人気職業(コピーライターイラストレーターミュージシャンなど「横文字職業」)を徹底的に観察し、1980年代のバブル時代のさまざまな職業の人々を「マル金マルビ」として分析し、鮮やかに時代をきりとってみせた。

2003年、肝臓癌の闘病記録を『キン・コン・ガン!--ガンの告知を受けてぼくは初期化された』として刊行。鋭い観察眼で、医師、看護師、患者、そして自身の手術についても鋭い観察眼で描写し話題になった。「自分の体の中にはフェラーリ1台が入っている」は、夫人の生体移植など高額な費用とともに家族の苦労があったことををバイクマニア、車雑誌の連載者らしい言葉で語ったものだ。葬儀で師匠の赤瀬川原平が弔辞で紹介した。

渡辺は生涯にわたって感性は若く「おたく世代」の前触れのような人だった。「ユルい若者」などで使う「ユルい」は渡辺の造語らしい。

34才で華々しく世に出て56才で夭折した人なので、同世代としてこの人には興味がある。

「主張と収入の和は一定である」は、コツコツ働いてある程度の高収入を得るか、言いたいことを言って低収入に甘んじるか、という選択を迫る言葉のように聞こえる。一面をえぐった言葉であり一理はある。

一方でグラデーションが濃くなるように自己主張をしだいに強めながら組織の階段をのぼっていくやり方もある。階段をのぼると制約が増すのではない。収入も増すが、それ以上に自由が拡大するのである。主張と収入の和が増えていく。この妙味を自由人・渡辺和博は知っていたかどうか。

渡辺和博の言葉の中では、やはりバブル時代を象徴する「マル金マルビ」をあげることにしよう、