ジェネレーター研究講座に出講ーー梅棹文明学を俯瞰する  〜「梅棹忠夫著作集」図解プロジェクトから〜

ジェネレーター研究講座に2月8日に出講することになった。主催は「知図展」を京都や東京などで開催している、市川力さん、原尻淳一さんをリーダーとする会。以下、その案内を転載。
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今月のジェネレーター研究講座は、梅棹忠夫先生の思想と方法を今に伝え、図解学の草分けである多摩大学名誉教授の久恒啓一先生にご登場いただきます。知図の思想と方法の源流をたどり、私たちが歩き、描き、表し続けることの意義について深めます。
 
タイトルは、梅棹文明学を俯瞰する
 〜「梅棹忠夫著作集」図解プロジェクトから〜

久恒先生は、学生時代探検部で活動し、梅棹忠夫『知的生産の技術』に感銘を受けました。就職後に「知的生産の技術」研究会で活動し、著作活動を展開。キャリアの前半はビジネスマン(日本航空)、後半は教育者(宮城大学多摩大学)として活動してきました。一方でNPO法人知的生産の技術研究会で研鑽を積むという二刀流のキャリアの道を歩んできました。その間、図に表して考え、コミュニケーションする図解の技術を多くの人々に伝えてきました。
2022年から2年かけて、知の巨人である国立民族学博物館初代館長・梅棹忠夫先生の『梅棹忠夫著作集』の図解講義と図解作成を実行し、100数十枚の図解が完成しました。主として「梅棹文明学」を構成している「情報史観」「生態史観」「日本研究」「地球時代」が対象です。
今回の講座では、生態学から出発し、民族学、そして比較文明学にまで視野を広げた一代の碩学の理論体系を、「全体の構造」と「部分同士の関係」を明らかにできる図解という表現手段を使って明らかにしようとするプロジェクトのエキスを紹介します。
 
〜プロフィール〜
久恒啓一:NPO法人知的生産の技術研究会理事長。多摩大学名誉教授。宮城大学名誉教授。
『図解の技術』(日本実業出版社)を皮切りに『図で考える日とは仕事ができる』(日本経済新聞社)など200冊近い書籍を刊行。現在、『図解コミュニケーション全集』全10巻(8巻まで刊行済み)を刊行中。
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☆この講座は有料会員のみ参加できます。当日生参加できなくてもアーカイブとしていつでも見ることができます。以下のみつかる+わかるのウェブページからFANTSにお入りください。
月額2200円で、今回の講座だけではなく、これまでのジェネレーター研究講座の動画アーカイブをすべて視聴できます。ジェネレーター仲間の投稿や、Feel度Walk、知図づくりをはじめとしたイベントの情報もいち早く知ることができます。コミュニティ対象のオフ会もあります。
なお入退会は簡単ですので、関心のある月のみの参加OKです。
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午後:新宿の星野珈琲で、NPO知研のミーティング。福島さんと都築さんと。総会に向けての、昨年度の報告、今年の方針などを話し合った。

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若い頃の石原慎太郎(左、兄)と石原裕次郎(右、弟)の写真 | 昭和ガイド

「名言との対話」2月1日。石原慎太郎「幸せの本質とは、つまり石原慎太郎という人間が一生をかけて純粋に石原慎太郎になりきることにしかないと思う」

石原 慎太郎(石原 愼太郎、いしはら しんたろう、1932年〈和7年〉9月30日 - 2022年〈令和4年〉2月1日)は 日本作家政治家。享年89。

一橋大学在学中の1956年に『太陽の季節』で芥川賞。「太陽族」「慎太郎刈り」などの流行語・風俗がうまれた。ついで「処刑の部屋」「亀裂」などを発表。

1968年参議院全国区にトップ当選し、自民党に入党。47年衆議院に転じ、当選8回。福田赳夫内閣の環境庁長官竹下登内閣の運輸相をつとめる。議員辞職し1999年東京都知事に当選。都知事4選をはたす。2012年都知事を辞職、衆院選に当選。

小説や政治家としての発言ではなく、『弟』『私の好きな日本人』『真の指導者とは』など、この人の人生論の本が好きで、私はよく読んできた。

親しい誰かの訃報で感じる高揚感は残酷なものかもしれないが、自分はまだ生きているという密かな生き甲斐をさえもたらしてくれる」(日経新聞) という微妙な心理をあらわす発言もしている。

石原のメッセージは、やはり作家らしく錆びが効いている。そのいくつかを書いておこう。

ミリオンセラーとなった、石原裕次郎のことを書いた『弟』という作品がある。作家と俳優というこの二人の年齢差は2つ。この作品を読むと兄の目から弟や弟との関係を描いていて、共感を覚えるシーンが多々あった。私の2つ違いの弟にも読むことを勧めた記憶がある。仲間、ライバルなど微妙な2つ違いの関係や感覚を描いた傑作だ。

東京都知事時代にオリンピック誘致を呼びかけるときに「一緒に楽しい夢を見ようじゃありませんか」というメッセージを都民に送ったことがある。「同じ夢をみようじゃないか」は、現状突破のために人々を鼓舞する強烈なメッセージだった。

『私の好きな日本人』から。「歴史の原理を踏まえ、それぞれの感性に応じて眺めれば、過去の歴史を形作ってきた先人たちの中に数多くの自分自身の分身を見つけることが出来る」「かくも多くの素晴らしい、好きな日本人を持つことが出来たのは、日本人として至福なことだと思う。そしてそれこそが、歴史と人間の関わりの本質に違いない」

『真の指導者とは』。いかなる組織や集団も率いる指導者の資質と能力の高低によってその運命が決まる。指導者なき現代の日本において指導者はいかにあるべきかを論じた問題提起の書だ。ちまちました組織論を真のリーダーは超えてゆくことができる。気概を持った一人の人間が組織を動かすことができる。歴史上の、あるいは現代の傑物たちの叡智のこもった言葉と、石原慎太郎自身の放つ言葉を選んでみた。

  • トインビー「国家の衰亡につながるいちばん厄介な要因は、自分で自分の物事を決めることができなくなったときだ」。サッチャー「物事は決断しなきゃだめよ。政治家のエクスタシーは決断にあって、決断がない政治家はだめ。それができない政治家は政治家に値しない」。アンドレ・マルロー「日本人というのは、世界の中で唯一、永遠を瞬間的に把握することのできる民族だ」。アラン「楽天主義は意志の所産だが、厭世主義は人間が自己を放棄したときの状態である」。マキャベリ「決断力のない君主は大概みんな中途半端な中立の道を選ぶ。そしてその大方は滅びていく」。マーヴィン・トケイヤ(ユダヤ人)「ユダヤ人の教育の最大の目的は、新しいものを創り出す個性的な力を持った人材を育てることにある。このために自立した人間を創らなければならない。これが人づくりである。」。毛沢東「主要矛盾と従属矛盾」。長尾芳郎(名鉄百貨店会長)「初対面のときに、自分と他人との人間関係を得意げにべらべらしゃべる者はほとんど信用できない。あるいは、相手の話を何度も重ねて縦にずっと見ると、いつも同じことを言っている人は信用していいが、どこか筋が違ったり、話の内容が変わっていくのは眉唾だ」。松下幸之助「第一の経営哲学、経営理念が確立できれば、まず五十点で半分成功したのと一緒」。福田和也「幼稚な人間とは、何が肝心なことかがわからぬ人間、かつまた肝心なことについて考えようとしない人間こそ幼稚な人間なのだ」。川渕三郎「いま時期尚早とという人は、百年たってもなお時期尚早というでしょう」。福沢諭吉「独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず」。司馬遼太郎「日本のいわゆる発展は終わりで、あとはよき停滞、美しき停滞をできるかどうか。これを民族の能力をかけてやらなければいけない。」。
  • 石原慎太郎「主張のない者に相手が敬意を抱くわけはないし、価値を認めるわけもない」「マージャンのゲームとしての優れた特性は、いつも自分と相手と比べて考える。自分を相対的に捉え、自らの可能性を打診していくというところにある」「政治学者というのはみんな気のきいたようなことをいうが、学者が政治をやったらその国は簡単に滅びてしまうぐらい、実は彼らには現実感覚があるようでない」「究極の目的を設定するのはナンバー1の仕事だが、それをいかに実現するかという、ハウツーを考え出すのはナンバー2の仕事である、またその下にいる参謀たちの仕事です」「そもそも日本はマーケットを「市場」と訳すべきではなかった。「戦場」とでも訳しておけば、いまの日本の体たらくはなかったかもしれない」「あの巨きくもろく可愛かった、私の人生の中を通り過ぎていったひとりの懐かしい男」 (中川一郎への弔辞)」なれるなら岡本太郎になりたい」。

石原慎太郎は人気小説家とタカ派の政治家という二刀流を貫いた。 「僕が行政に関わるなかでいろんなアイデアを思いつくのは、やはり片方で小説を書いているからですよ。」(文芸春秋)と語っているのも説得力がある。

以上、人生に関する名言があまたある石原慎太郎の言葉の中で、「幸せの本質とは、つまり石原慎太郎という人間が一生をかけて純粋に石原慎太郎になりきることにしかないと思う」という言葉を採りたい。

安岡正篤も「自分はつきつめた所、何になるかといえば、自分は自分になる”完全な自己”になるということだ」 と語っている。人物学を修めた安岡正篤の言葉には重みがある。自分は何になるのか。どのような職業を選ぼうとも、長い人生の時間をかけて、人はゆっくりと自分自身になっていくのだ。この言葉はまことに腑に落ちる。そして何かテーマを持って進んでいけば、いずれは真理に近づき、最後は宇宙、天、神、という偉大な存在に気がついていく。東洋の教えにはまことに深いものがある。

長い人生行路においては、出会いと離別、大小の様々な選択、運と縁、失敗と成功、、、など誰にとっても山あり谷ありだ。そういった道を亜歩む、そのいくつ先に自分自身がある。人は一生かけて完全な自己になる。石原慎太郎はそのことを言っているのだ。私もそう考えている。人生が終わる時、自分が完成するのである。