読書会の2冊の課題図書「イスラエル」「中東戦争」。どう料理しようか。

3月15日の公文俊平情報塾(第二期)読書会の課題図書2冊が到着しました。

前回は、『万物の黎明』という人類史を根本からくつがえす本。

今回は「イスラエル」「中東戦争」がテーマ。これは「人類史上最もやっかいな問題」。どういう読み方をするか。 

 

「イラスト、地図、年表、図解」に着目し、他の著者の説明との「関係」を重視する読書術の実験をしてみようか。

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「名言との対話」2月23日。松本キミ子「三原色と白だけを使って、モデルごとに描き始めを決めて、色づくりをしながら隣を隣へ描き進めていく絵画指導法(キミ子方式)」

松本 キミ子(まつもと きみこ、1940年5月4日 - 2022年2月23日)は、日本の彫刻家、美術教師、絵画教育の研究者。享年81。

北海道沼田町出身。東京芸大彫刻家を卒業。中学校t高等学校の教諭免状を取得。1967年から1982年まで東京三多摩地区の小中学校産休補助教諭。

1975年に多摩市連光寺小学校で新しい絵画教授法(キミ子方式)を考える。翌年日野市立第一中学校時代にキミ子方式の公開授業を実施。1979年、幼児にも有効な教授法と認められ、活動が全国に広がる。

1980年、美術の授業研究会を創設し代表。1983年の白浜以降、2013年の長野県飯綱町まで30回にわたりキミ子方式全国合宿研究大会を全国各地で開催した。

この間、1985年には朝日新聞天声人語」で紹介される。以降、有限会社の設立、アートスールを開設する。

短期大学、薬科大学、美大などで教授や非常勤講師をつとめる、2000年年と2006年には短大の教授となる。2006年には北海道旭川市に「メゾン・ド・キミコ(キミ子方式資料館)を開設した。またトンガ王国、メキシコ、キューバなど海外でも教えている。

実に精力的な実践者だ。このキミ子方式とは、三原色(赤・青・緑)と白だけを使って、モデルごとに描き始めを決めて、色づくりをしながら隣へ隣へと描き進めていく絵画指導法である。

従来の美術教育は、分析的部分的な絵画方法であり、全体的・総合的な問いかけを忘れている。絵を描く喜びと作品の生命感が大事であり、キミ子方式ではただちに絵が描け、生命感にあふれる作品が生まれる。その過程で多くの友人を持つことができる。そういう主張であった。

松本はキミ子方式の実践だけでなく、1982年から2010年まで28年間に28冊の著書も刊行している。「ひろびろ」「誰でもできる」「フィールドノート」「スケッチ」「カット」などの言葉が並ぶタイトルは絵を描く楽しさを感じさせる。

松本キミ子を見出したのは板倉聖宣(1930-2018年)である。板倉は東大で科学史を学び、卒業後に国立教育研究所に勤務。仮説実験授業研究会を設立。教育雑誌『ひと』、月刊誌『たのしい授業』を創刊。日本科学史学会会長。2018年の「産経抄」では「残念ながら教育にはノーベル賞がない」というタイトルで追悼された人だ。

板倉は「科学的認識はすべて仮説をもって対象に目的意識的に問いかけることによってのみ成立する」「子どもにとって楽しいことを教えるべきである」と考えており、松本キミ子の活動を支援した。

板倉によって松本キミ子は勇気をもらうだけでなく、精力的な普及活動も展開できた。仮説をもって、実験と実践を重ねる中で「独学」による新しい美術教育方式の発明をしたのだが、それを大きな視点から認め励ましてくれる人を得たことは幸運だった。このことは人生における「出会い」の大切さを教えてくれる。