『安井仲治 生誕120年 僕の大切な写真』展ーー「僕はこんな美しいものを見たよ」

東京ステーションギャラリーの『安井仲治 生誕120年 僕の大切な写真』展を先日訪問した。この企画展は愛知県美術館兵庫県立美術館でも巡回展示される。200点以上の作品を堪能した。

38歳で夭折した安井仲治(1903-1942)というカメラマンは写真の可能性を切り拓いた偉大なアマチュア写真家だった。戦前のわずか20年の仕事ぶりは、「写真とはかくあるべきものだ」と興奮して叫んだ土門拳や、「初めてのリアリズムであり、モダニズムではなかったか」と熱っぽく語った森山大道などから賞賛を受けている。

代表作は以下。「猿回しの図」(見物人に焦点)。「メーデー」(報道写真の先取り)。「流氓(るぼう)ユダヤ」シリーズ。「山根曲芸団」シリーズ。「熊谷守一のポトレート」。撮影場所で即興的に組み合わせる「半静物」。

分厚い公式図録『安井仲治作品集』は、「日本写真史に燦然と輝く天才写真家の傑作を集成!」と紹介されている。安井仲治松尾芭蕉に傾倒していた。俳句と写真、どちらもスナップショットだ。

安井仲治の言葉を拾った。

  • 「僕はこんな美しいものを見たよ」と報告すればいいいのである。
  • 風景が懐に入るが如く捉えられ、写真にすることが出来たら、その作家は自然の中に溶け込んだので、自分も殺さず、自然も冒さず一如の境に入り得ぬとは云えません。(主客合一)
  • 技術以上に全人格をかけて「道」として、写真に取り組む。(写真と芭蕉を重ねて語っていた)
  • 新しい状況において出現した新しい技術と様式を以て、賦役を表現することが安井の「道」であった。
  • 座右の銘「松のことは松にならへ、竹のことは竹にならへ」(芭蕉の教え)
  • 見る者と見られる者、その間には何の関係もない様で、しかし又、目に見えぬ何かを大きな糸ででも結ばれているように思われます。
  • 古への紅毛人の造りたる カメラオブスキュラ 今吾が命

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見田宗介さん『現代社会はどこに向かうか』

「名言との対話」4月1日。見田宗介「新しい世界の胚芽となるすてきな集団、すてきな関係のネットワークを、さまざまな場所で、さまざまな仕方で、いたるところに発芽させ、増殖し、ゆるやかに連合する胚芽をつくる」

見田 宗介 (みた むねすけ、 1937年 8月24日 - 2022年 4月1日 )は、日本の 社会学。享年84。

東京都出身。東大文学部社会学科卒業。講師、助教授を経て1982年に教授に就任。見田ゼミは人気が高く、吉見俊哉宮台真司小熊英二上田紀行などの多くの優れた研究者を輩出している。

1988年の社会学科長時代には、中沢新一助教授に推すが教授会で否決されるという事件(中沢事件)が起こる。

著作のタイトルには「現代」と「社会」という言葉が多い。現代社会の中で生きる青年像、生きがい、社会意識などを追及し、メディアを通じて影響力があった。代表には作は1996年刊行の『現代社会の理論』などがある。見田の著作には私も何冊か触れている。

見田は社会学の課題は、未来を予見し、未来を構想することと語っていた。その構想とはいかなるものであったか。

2018年8月に刊行した『現代社会はどこに向かうかーー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書)で、見田宗介の次のようなメッセージを聴いた。

貨幣経済と都市の論理の原理が社会全域に浸透し、無限性を生きる理想を600年かけて追求したのが「近代」である。それが1970年代に世界の有限性に気づき、反転し急速な減速に陥った。世界の有限性を生きる思想を確立するという課題に直面している。

その課題を解決する方向として、以下を提言している。

新しい世界の胚芽となるすてきな集団、すてきな関係のネットワークを、さまざまな場所で、さまざまな仕方で、いたるところに発芽させ、増殖し、ゆるやかに連合する、ということである。

一人の人間が、一年間をかけて一人だけ、ほんとうに深く共感する友人を得ることができたとしよう。10年で10人。20年で100人、30年で1000人、40年で1万人、50年で10万人、60年で100万人、70年で1000万人、80年で1億人、90年で10億人、100年で100億人。前回の革命に600年を要したとすれば、速い革命である。これは破壊する革命ではなく、創造する革命である。

近代の終焉、そして見田のいう現代が始まって半世紀が過ぎた21世紀初頭の現在に生きる私たちに送る最後のメッセージを重く受け止めたい。