毎日の「名言との対話」が、本日で3000日を迎えました。

「名言との対話」は2016年1月1日から、毎日書き続けている。本日、2024年3月19日に、3000日に達した。

2016年「命日編」、2017年「誕生日編」、2018年「平成命日編」、2019年「平成命日編2」、2020年「戦後命日編」、2021年「大正から昭和へ」編(誕生日)、2022年「明治誕生日編、2023年「近代命日編」、そして9年目の2024年は「令和命日編」が進行中だ。

飽きないように、時代を毎年前後しながら書くという工夫もしてきて何とか続いている。これを時代順に並べ直してみると、江戸時代後期の文化・文政、明治、大正、昭和、戦後、平成、令和と、日本の近代・現代の人物を中心に3000人と向かい合ってきたことになる。

続くという行為は一日一人を書くという集中力、毎朝書くという持続力で成り立っているような気がする。100m走に似た瞬発力と、マラソンに似た耐久力、それが継続を支えているのかもしれない。

取り上げる人物は、その日が命日か誕生日の日本人であり、人選には苦労する。また、対象人物の名言の選択は、できるだけ自伝、伝記、著書を読んで、自分の心の琴線に触れたものを選ぶようにしているし、その言葉についての私の感慨も書いているから、いきおい私自身の人生観が出ることになる。

そして人物の生涯を客観的になぞるのではなく、私自身のとの関わり、つまり記念館の訪問、会ったこと、本との出会い、メディアでの印象なども、できるだけ記すようにしている。私の〇〇論なのだ。

人は時代の中に生きているから、同じ分野の人は当然だが、他の分野の人とも交流がある。それは後で、気がつくことになるから、その人についての理解が深くなってくる。また人は歴史の中に生きているから、前の人から影響を受け、後に人に影響を与えていく。したがって、タテ・ヨコがひろがって、人物についての読みも厚くなっていく。

この過程を経る中で、日本近現代史を歩いている感覚になっている。歴史、なかんずく近代と現代の日本の広大な歴史空間を、登場人物たちと一緒に歩む旅である。日本近現代史の旅であり、実に楽しい日々だ。

こういう試みには障害が多い。人物をどうやって見つけるか、資料となる書物をどうやって手に入れるか、そして自分をめぐる環境の変化や、自身の体調や意欲の継続の問題もある。継続するのは難しいと思いながら始めたのだが、一日一人であるので、なんとかやれている。今日は誰と向きあえるのかと思うと、楽しくなってくる。

取り上げたのはどういう人たちなのか。最初は「偉人」というイメージを持っていたが、命日と誕生日で人選するから、誰が登場するかわからない。学者、事業家、教育者、画家、彫刻家、音楽家、建築家、芸人、野球、サッカー、水泳、柔道などのアスリート、力士、行司、床山などの大相撲関係者、軍人、政治家、発明家、小説家、書家、冒険家、探検家、登山家、武人、俳優、外交官、記者、歌人俳人、柳人、詩人、宗教者、ノーベル賞受賞者文化勲章受章者、俳優、女優、長寿者、、、などあらゆる分野にわたっている。このデタラメ感がいいのである。

しだいに彼らを「偉い人」だと思うようになった。偉い人とは、役職や地位ではなく、影響力の大きい人だ。深く、広く、長く、そして永く影響を与えた人が、偉い人である。

また、これらの人物の実像を追いかけているのではない。彼らから何を学ぶか、をテーマとしており、否定的側面は無視している。理解が浅い面があるのは承知の上で続けている。

最近は忘れられているが、かつては「真人間」という言葉があった。人の道を踏み外さない人、正しい生き方をしている人、まともな人、まっとうな人である。こういう人間になれというのが、先生や親の意向だったような気がする。最近、新しい学校のリーダーズという女性グループが「真人間」という歌を歌っている。この「名言との対話」で登場した日本人たちこそ、「真人間」なのだと気がついた。この連載のテーマは真人間だったというこもできるかもしれない。

また、1000館に及ぶ「人物記念館の旅」で出会った人たちも含めて、3000人を超える真人間のリストをながめると、彼らは「代表的日本人」であることがわかった。戦後78年の年月を経て、失われつつある日本人の原型がここにある。コロナ禍でズームで始めた「幸福塾」では、2024年から「新・代表的日本人」シリーズを始める。豊富な材料を使っていい講義をしていこう。日本人をとり戻すプロジェクトでもある。

近年、世界からの日本への関心が高まっているようだ。不調となってきた経済ではなく、歴史、文化、食、自然、漫画、アニメなどに興味が移っている。その延長線上には、日本人の生活の仕方、生き方、生命観などが登場してくるだろう。

自分自身のために、そして日本の未来のために、ささやかだが、この旅を続けていこう。因みに、毎日書いているブログは、本日で7112日目となった。

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夏樹静子 写真 に対する画像結果
「名言との対話」3月19日。 夏樹静子「椅子がこわい」 

夏樹 静子(なつき しずこ、1938年12月21日 - 2016年3月19日)は、日本の小説家、推理作家。享年77。

東京出身。慶應義塾大学文学部の3年時に江戸川乱歩賞への応募(最終候補)がきっかけとなって、NHKテレビで人気の「私だけが知っている」のレギュラー執筆者になる。

結婚して沈黙の後、1969年に『天使が消えていく』で江戸川乱歩賞の最終候補に残る。以後、ミステリーを量産していく。弁護士朝吹里矢子シリーズ。検事霞夕子シリーズ。長編小説。中・短編小説。アンソロジー。エッセイ・ノンフィクション。翻訳。

また、作品は日本テレビ・TBS・フジテレビ・テレビ朝日テレビ東京などでテレビドラマになっているから、この人の名前はよく知られている。ミステリーは300本ほど書いている。1984年の『妻たちの反乱』はベストセラーになった。

趣味の囲碁ではドライアイを和らげるためにグリーン碁石を開発し普及した。これで日本棋院から大倉喜七郎賞を授与された。2007年、日本ミステリー文学大賞を受賞。

二冊目の単行本『見知らぬわが子』では、7編の短編が収められており私も読んだ。ここには夏樹ミステリーのルーツがある。家庭を媒介とする男女の葛藤のドラマであり、女性と母性の視点が特徴だ。

夏樹静子は福岡に住んでいた。夫君は石油の出光の関係者で新出光の会長である。夏樹静子の本名は出光静子である。

1997年の『腰痛放浪記 椅子がこわい』は、日本での心療内科が広まるきっかけをつくったと言われている。54歳の完璧主義者の仕事人間・夏樹静子は1993年からの約3年間腰痛に悩まされた。「遺書」「死」「真暗闇」などの言葉が踊る。その克服の記録である。多くの読者の共感を得て、今なお売れ続けている作品だ。良い評判を聞くとすぐにかかり絶望するという遍歴と放浪を重ね、最後に行き着いたのは自身の心の問題であり、夏樹静子を捨てて本名の出光静子に戻るというミステリー仕立てになっている。

この本の中で、私の知り合いが3人登場していて驚いた。彼女が二ヶ月入院した大分県中津市の病院長・川嶌真人先生(50前後)は私の母の友人(ちょうど本日、川島先生の80歳の傘寿記念の『玄真堂と私の歩み』という冊子が届いた)。JALの塩田年生福岡支店長(夫の親友)は私のJAL広報課長時代の広報部長(故人。常務取締役)。九大教養部心理学科の藤原勝紀教授(50歳)は私の九大探検部時代の先輩(51歳のときに河合隼雄先生に招かれて京都大学に転出)。

内科と心療内科の医師である平木英人は「典型的な心身症」という診断を下し、自律訓練法森田療法、絶食療法などで、自身の心では支えきれなくなったワーカホリック夏樹静子から別れ、1年間かけて出光静子への再生を図り、ようやく平穏な日々が訪れる。そしてまた本の執筆が始まる。「この本(『椅子がこわい』を、私に心身の健康を取り戻して下さった平木英人先生に捧げます」という感謝の言葉には、万感の思いが凝縮されている。

2024年3月に、臨床心理の大御所となっている京都大学名誉教授の藤原勝紀先生夫妻と、腰痛経験のある妻も交えて食事をした折に、夏樹静子の『椅子がこわい』が話題になった。藤原先生は、夏木静子と結婚後の出光静子、それに加えて旧姓の五十嵐静子という3つの自分の矛盾が腰痛の深因だと指摘していた、それが最後に書かれていたらもっとよかったが、と言われた。心因性の腰痛にはこういう原因もあるということを知った。